「そういえば、愛するっていうのは具体的にどういう? 私そういうのよく分かんなくて」

 二人で黙々と料理を食べ、ようやく落ち着きを取り戻したときだった。
 あの時愛する、と出たのはそれが一番分かりやすい言葉だったからのように思う。しかしアズールには誰かを愛した経験がない。なので、具体的にと言われると困り果ててしまう。

「ノープランです」
「そうなんだ、珍しいね。いつも確実なことしか言わかないのかと思ってた」

 そう言われて言葉に詰まった。確かにミドルスクールの頃は彼女の面倒を見る、という立場だったので正確性のないことは言わないようにしていた。

「あれは思わず口にしていたので……」
「それであんなスラスラ出てくるの? すごくない?」

 彼女は純粋に感心しているのだろう。しかし、本人が意図しないところで出てくるのは前々から頭にあったことや本心からの言葉であることが多い。
 アズールは居た堪れなくなりながらも「僕は商売人ですので、口はよく回る方なんですよ」となんとか言葉を出した。

「えっ、私また騙されてるの? あんなに本気っぽかったのに?」

 いや、本気というか。あの場でのアズールは自分が何をしているかを理解していなかった。ほぼ素の状態だった。彼女に本気っぽかった、と言われるぐらいなのでさぞ必死な姿だったのだろう。羞恥心でいっぱいだ。本当に、もう二度とこの店には来れない。

「僕は冗談や遊びで付き合おうとは言いません。デメリットの方が多いですから」
「付き合うをメリットデメリットで考えるの、アズールって感じ」
「そうですか? まあ、愛し方については各々で考えるとして。ひとまずあなたは僕に対しての責任を果たしてくれればそれで良いです」
「アズールだけを見るってやつか」

 そうなのだが。意図としては他の人間に騙されるな、というところだが改めてそう言われると随分なセリフを言ってしまったのだと恥ずかしくなる。メガネのブリッジを押し上げて平常心、と言い聞かせながらアズールは「そうです」と返事をした。

「もちろん、あなたにそれを求めるのならば僕も同じように責任を果たします」
「アズールも私だけを見るってこと? なんか本当に付き合ってるみたいで恥ずかしいね」
「本当に付き合い始めたんですよ、十分前から。そうでないならさっきまでのやり取りはなんだったと言うんです」

 しかし、気持ちも分かる。未だ現実味がないのはアズールも同じだった。

「僕と付き合ったからには、あなたのその『他者に煽てられればなんでも受け入れてしまう』欠点を克服していただきます」
「具体的には?」
「そうですね、僕が言う言葉が本心かどうか当ててみるとか」
「えっ、じゃあ今後アズールから褒められたとき全部疑わなくちゃいけないの? しんどくない?」
「……僕が本心かそうじゃないかくらい分かっていただかないと困ります」
「そっか。でも疑うのは疲れそう」

 正直が過ぎる。最初が最初だったせいで、彼女がアズール相手に言いたいことを我慢することはない。多分、思ったことをそのまま口に出している。アズールも彼女相手だと黙っていられないので、時に言い争うことになるが、最後には大抵丸く収まっているので不思議なものだ。
 こちらとしては分かりやすくていいが、いろんな意味でダメージを食らうこともあるし、今後人と付き合うならもっと腹芸を覚えた方がいい、とも思う。
 遠慮されるのも落ち着かないのでアズールは考えたことを飲み込んで「……慣れてください」とだけ返した。



***



 それから一週間。アズールは愛についてを考えていた。具体的にどうする、と聞かれたときにまったく何も思いつかなかったからだ。これが顧客ならば相手の要望を汲んで具体的なプレゼンが出来ただろう。しかし具体的に愛するとは、と尋ねられるとさっぱり何も出てこない。
 愛。特定の人をいとしいと思うこと。いつくしみ。大事に思う。自分にとって彼女が特別である、ということは認めざるを得ない。しかし、それがそういう感情なのかと問われると首を傾げたくなる。他人を見て、ああ、愛し合っているのだな、というのは理解できる。しかし自分がその感情を向ける、となった瞬間、アズールは愛するということがよく分からなくなるのだ。
 例えば、両親。両親が自分を愛してくれている、というのはアズールにも分かる。アズールの両親はレストランを営んでいるので二人とも忙しくしていたが、限られた時間の中、二人はアズールのことを大事にしてくれていたように思う。
 大事。自分は彼女が大事なのだろうか。好きです、と言葉にしておいてアズールにはそこが分からなかった。好き、という言葉を使ったのは言い慣れていた言葉が咄嗟に出ただけのようにも思う。最初はあんなに嫌っていたのに、目で追っているうちに彼女に惹かれるようになったのはいつからだろう。
 アズールは根っからの商売人だ。自分がかけた労力に見合う対価、見返り、利益が無ければまず動かない。彼女の世話を焼いていたのだって元はと言えば自分の成績のためにやむを得ず、だ。教師に働きかけてペアを変えてもらうように仕組んだが、逆に教師の方からお願いされて終わってしまった。学校が変わった今は面倒を見てやる義理などないのに、律儀に相談に乗ってやったのは何故だ。最初は自分のためだったが、今は?
 アズールはその疑問をまとめて片付けるために出した結論が「好きです」の一言だと考えた。自分が動くとき、相手には同量かそれ以上の何かを差し出させるように仕向けるのは商売人としての癖だった。アズールにとって、彼女を好きだ、なんて感情だけで相手のために動くのは許されないことだった。自分だけが損をするなんて。あそこで彼女が頷いて、お付き合い、という形をスタートさせたからにはお互いがお互いのために動くという理由ができる。彼女がそうというわけではないが、将来、伴侶となる者ならなおさら。
 アズールはそこまで考えてようやく、第一段階の彼女を好きなのか、という感情を認めるに至った。彼女が見たら「アズールって面倒くさいよね」と言うだろう。自分でもそう思う。

 彼女との通話回数は前よりも増えた。週に一回、多いと二回は必ず電話するようになった。
 メッセージのやりとりをすることもある。今日は学園内に侵入した変なネコの写真だった。人魚にとってネコは珍しいものだ。彼女はネコを見つけるたびに写真を撮るので、友人からはネコ好きだと思われているそうだ。特に返信も求めていないような送り方なので、アズールはいつも一言コメントしてそこで会話が終わる。
 一度、側溝に落ちた、とケガをした写真を送ってきたことがあった。広い範囲が擦りむかれた足を見たときは血の気が引いた。冷静に考えれば命に別状があるような大怪我ではない。しかし、アズールが『ケガをしたのは足だけですか』と送った内容にピースの絵文字一つで返されたときは即座に電話を掛けた。
 彼女が電話に出た瞬間「どういう意味なんですか、あれは。意味が正しく伝わるように送ってください」と問い詰めると「え!? どう見ても大丈夫のピースじゃん! 節穴!?」と返されたので久しぶりに言い争った。しかし「今ハナちゃんに超愛されてんじゃんって言われた。心配してくれてありがとう、足は痛いけどめちゃ元気です」と照れたように言われてむず痒くなった。ハナちゃんというのは彼女と一番仲がいい友達の名前だ。そんなことまで共有できる仲になったのだ、と時々実感しては何とも言えない気持ちになる。そもそも友達の前で電話に出るなという話ではあるが。また会話を聞かれては堪らないので今度彼女に言っておかなければ、とその時思って未だに言えていない。いつも電話が終わった後に思い出すのだ。
 結局そのあとは彼女には痕の残らない処置の仕方を教えて、絶対にかさぶたを剥がすんじゃありませんよ、と言い含めて電話を切った。十中八九、剥がすだろうが。
 それにしても傍から見たらアズールは彼女を愛しているように映るのだろうか。自分の内側に入れた人間がケガをしたら誰でも多かれ少なかれ心配をする気がする。ケガの程度にもよるが。
 ジェイドとフロイドが同じケガをしたとして自分はどうするかを考えたが「早く洗って消毒しておきなさい」と言うくらいだろう。薬箱は出してやるかもしれない。それを思うと電話をしたのはやりすぎたったな、と感じるのだ。

 今日は金曜日だ。彼女から電話があるかもしれない。事前に言ってください、とは言っているが時々突然掛けてくる。忙しい時は出なくていい、と言われるがいつも緊急の用事なのでは、と出てしまう。大抵は彼女の分からない課題のことや最近あった楽しいことを雑談して終わる。
 今日はケガの様子を聞こう。かさぶたを剥がしていないかも。愛について結局理解出来なかったことはその時の状況次第で伝えることにする。途中で投げ出すわけではない。経過報告だ。きっとふつうの人間は恋人から「愛というものが理解できません」と言われたら呆れるのだろう。しかし、なんとなく彼女は「分かる、私も」と言いそうだなと思ったし、それは実際その通りとなった。

「人の愛し方って何? ってハナちゃんに聞いたら『AIかよ』って言われた」

 夜九時に掛かってきた電話で、話の流れで伝えると「AIカップルじゃん」と笑っていた。相変わらず無駄に楽観的だ。そういう部分は自分にはないので、理解できないと同時に少しだけ尊敬もしている。

「そもそも、学生同士の付き合いで責任のある行動をって出てくる時点で本当に同級生か? って疑われた。彼氏、学生ながら商売してる人だからって言っといたけど」

 彼女の友人は「あ〜、信用大事だもんね」と言っていたらしい。そこは納得するのか、と思った。それよりも彼女の口から出てくる彼氏という単語にムズムズした。

「でさ、私的にびっくりした話があってさ。言っていい?」
「どうぞ」
「陸の人間、娯楽で交尾するらしい」

 思わず咽た。ためらいもなくそういうことを言ってしまえるところは強みではある、と改めて思った。アズールやジェイドのようにそれを意図して効果的に使えるようになればもっと楽に生きることが出来るだろうとも。まあ彼女がそれを求めているかは分からないし、現状楽しそうに生きているので言うつもりは無いが。

「お友達とそんな話になったんですか」
「ハナちゃんね」
「はい、分かっていますよ」

 彼女は最初に友達の〇〇が、と名前を出すと以降はそれで通すタイプだった。

「どこまで進んだ? って聞かれたから、何が? って聞いたら教えてくれた。アズール、知ってた?」
「……ええ、まあ」
「へえ〜。さすが」

 人魚は魚と同じく、繁殖期にその目的でしか交尾をしない。なので、彼女が「アズールさあ、私と出来る?」と聞いてきたときは心底驚いた。

「……したいんですか」
「興味がある」

 その興味がある、で何度痛い目を見て来たか忘れたのか? と思った。
 逆に彼女はアズールと交尾の真似事ができるということだろうか。逸る胸を抑えながらアズールは努めて冷静に返そうとした。

「……避妊具を付けていても妊娠する確率はゼロではないそうですし、万が一を考えたら避けるべきだとは思います。僕たちは学生ですし、元人魚が人間の身体で妊娠したときのリスクもあります。だから本当に興味があるのなら卒業してからもう一度考えてはいかがでしょう」

 さっと思いつくだけでも多くのリスクがある。興味がないとは言い切れないが今でなくてもいいのでは、と思った。

「すごい真面目な意見返ってきた」
「はあ? あなたが興味があるというからこっちも真剣に……!」
「ごめんって。そういう意味じゃなくて、私の思い付きに真剣に付き合ってくれて優しいな、と思ったの」
「そうですか。別にふつうだと思いますけどね」

 彼女はアズールってなんだかんだ面倒見が良い、と笑っている。面倒に巻き込むのは誰だと思っているんですか。

「じゃあキスとかならどう?」
「キスですか……。そのくらいなら、まあ」
「じゃあ次回のデートのときはキスしよっか」

 何でもないことのように彼女はそう言った。アズールの方が動揺して椅子から落ちかけた。
 アズールが何と返そうか迷っているうちに彼女の方からコンコン、という音が聞こえた。

「あ、点呼だ。ごめん、もう切るね」

 いつの間にか彼女の寮の消灯時間になっていたらしい。ブツッ、と音を立てて通話が切れたスマホを眺めながらアズールはどうしたらいいのか分からなくなっていた。どうやら次回、キスすることになったらしい。


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