※東堂くんが女装しています
この時のわたしはとにかくお金が無かった。
勤めている会社は土日祝が完全に休みなところがウリだがその分給料が安く、最近一人暮らしを始めたばかりのわたしは生活していくのがやっと。友達に誘われてもお金が無いからごめんと断ることも多く、どうしようかと考えた結果思いついたのは転職では無く副業を始めるということだった。
と言ってもネットの広告でよくある『自宅で副業始めませんか?』的なものではなく、次の日会社が休みの金曜日と土曜日に店へ出向く普通のアルバイトである。
この前久しぶりに会った親戚が経営しているバーで、自由に使えるお金が欲しいわたしの事情を汲んで本業の会社には内緒で雇ってくれることになったのだ。
今日はそのバイト先の初出勤日である。
制服は貸し出すから好きな恰好で来てくれていいと言われたので適当なシャツにスカートという普段会社に行く時となんら変わらない格好で向かい、教えられた店を探す。
大分入り組んだ先にあったがスマフォの地図アプリのおかげで何とか見つけて戸を開くと「いらっしゃいませー!」とメイド服姿の女の子? に元気よく出迎えられた。
今女の子? と疑問形にしたのはその人の声が女の子にしては低く、無理やり出したような高い声だったからである。
し かしその人はわたしの顔を見た瞬間くるりと後ろを向き、「ねえ、彼女が今日来るって言ってた新人さん?」と奥の方へ行ってしまう。
「よォ、よく迷わずに来れたな」
「アイフォン様のおかげよ」
奥から出てきたのはわたしを雇ってくれる親戚だった。高校時代と変わらぬところどころに赤色が混じる緑色の髪の毛を一つに纏め、高校時代よりいくらかましになった表情でわたしに話しかける。
「それより裕介、あんたの後ろに隠れてる子は?」
「あー、……うちの店でバイトしてる、トウコちゃん」
「トウコちゃん」
裕介の後ろに視線を向けると、さすがに隠れていられなくなったのかトウコちゃんがひょっこり顔を出す。
「トウコでえす。名前ちゃん、よろしくねえ」
語尾に濁ったハートマークが付きそうな勢いでぶった声を出されたが、やっぱり無理やり感がすごい。
黒髪の前髪ぱっつんロングに大きな目。首を少し傾げた仕草はすごくかわいいけど声、頑張ってるな。あとよく見るとミニスカメイド服から覗く腕や脚が逞しい。本当に女の子だったら失礼すぎるので、男か女かは後で裕介に確認しようと決めた。
名乗る前からわたしの名前を知っていたのは裕介に聞いていたからだろうか、と思ってトウコちゃんの顔を眺めていた訳だが、眺めていたら気付いてしまった。
わたし、この顔見たことある。
更に近付いてじっと眺めるとトウコちゃんはじりじりと裕介の方に後ずさる。
誰だっけな、どっかで見たことあるんだよなあ。こんな美人、一回見たら忘れられなさそうなのにと首を傾げていると耐えきれなくなったらしいトウコちゃんが裕介に助けを求めるような視線を送る。
と、ここでわたしの頭の中の引き出しの内の一つがスターンと言う音を立てて開いた。
思い出したぞ。
「東堂くんだ!」
思わず人差し指を立ててしまったわたしにトウコちゃんは右手で顔を覆いながら天を仰ぐ。裕介も何とも言えない顔をしている。
東堂くんとは特に深いかかわりがある訳では無いが、高校3年生の時に同じクラスだったのと割と有名だったのとで顔をしっかり記憶していた。
「……そういやオマエ、高校ハコガクだっつってたナ」
「そうだよ。インターハイの二人の戦いもちゃんと見てたよ! で、東堂くんは何でこんなになっちゃってるの?」
「……頼むから触れないでくれ」
すっかり違和感の無い喋りに戻った東堂くんは綺麗な顔は相変わらずだったがわたしの記憶より少し声が低くなっていた。
気まずそうな顔をする東堂くんに「コイツにも色々あンだよ」と言った裕介の言葉もあってわたしはこれ以上東堂くんの女装姿については触れないことにした。触れないことにしたが、勝手に東堂くんはきっと女の子になりたかったんだなあと思っておくことにする。
「で、仕事内容のことだが。大体はトウコと同じことをやってもらうからよく教えて貰うように」
「はーい。東堂くんのことは何て呼べばいいの? トウコちゃん? トウコさん? トウコ先輩?」
「何でもいい、好きに呼んでくれ」
「じゃあトウコちゃんにしよ」
よろしくトウコちゃん、と先程しそびれた握手を求めて右手を出すと先程と同じような頑張った声でよろしくと言われながら握り返された。やっぱり語尾に濁ったハートマークがついていた。
「じゃあ仕事の説明をするが、基本は開店前の店の準備を手伝ったり、お客さんにお酒を出したり、話し相手になったりという感じだな」
「急に東堂くんに戻られるとどっちで呼んでいいか分からなくなるんだけど」
「店ではトウコと呼んでくれ。あと説明する時にあの喋り方だと不都合があるから今は普通に喋る」
「イエッサー」
「というか名前ちゃんはまず制服に着替えた方が良いな」
巻ちゃーん、と別の準備をしていた裕介を呼ぶトウコちゃん。
制服ってまさかわたしもメイド服なんだろうか。トウコちゃんは身長があるからか、結構なミニスカートなのだがわたしは25歳にもなってあんなミニスカートを履けるのだろうか。と言うかあれって下には何か履いているのか。
……出来心だった。
別の言い方で言うのなら魔が差したと言うやつだ。
裕介を呼ぶのに後ろを向いたトウコちゃんのスカートを、ひょいと持ち上げる。
「ギャア!」
東堂くんとトウコちゃんのどっちつかずの声で悲鳴を上げたトウコちゃんはバッとスカートを押さえて振り返った。
「下、パンツ?」
「今日はたまたま下に履くのを忘れて来たんだよ! というか捲るな!」
「ごめん、興味出ちゃって。ガーターとかしないの?」
「ガーター良いな」
「何言ってるんだ巻ちゃん」
制服らしき物を持ってきた裕介がわたしの提案に乗っかる。
絶対しねえと苦い顔をしたトウコちゃんにほら、制服持って来たんだろと促されたので裕介から制服を受け取る。
トウコちゃんとは違って、普通の白いシャツと黒のベスト、パンツだった。
「トウコと一緒のメイド服もあるけどどっちがいい」
「えっ、メイド服あんの?」
「おう」
「ちょっと着てみたい気持ちはあるけどこんなミニじゃなあ」
「名前ちゃんの身長で着るなら、もっと隠れると思うぞ」
「あ、そうなの?」
じゃあ今日だけおためしで着てみようかな。
25歳にもなってミニスカートうんぬん言っていたわたしなんて完全に居なくなり、人生一度ぐらいはメイド服を着てみたいというわたしが思考を独占した。わたしの手から普通の制服は奪い取られて、代わりに渡されたメイド服は確かにわたしの太ももを隠してくれそうだった。
「ここが更衣室だ。鍵を締めるのを忘れないように」
通された更衣室は狭い納戸のような倉庫のような場所だった。
言われた通り鍵をかけて服を脱いだらトウコちゃんに教えて貰った通りにメイド服を身に付けていく。
靴だけがアンバランスなことに気付いたがそれ以外は中々いい感じじゃないか。意外と見れるぞ25歳!
鍵を開けると少し離れたところでトウコちゃんが待ってくれていた。
「見て、結構かわいくない?」
「まあアタシには負けるけどね」
「トウコ、そんなキャラなの?」
いまいち掴みきれないトウコちゃんのキャラに戸惑っていると様子を見に来た裕介に「まあ思ったより見れるショ」と褒めてんだかけなしてんだかなお言葉を頂いた。
それから靴もちゃんと用意してある、とメイド服に合うちゃんとした靴も貸してくれた。
足のサイズピッタリなんだけどもしかしてわたし用に調達しておいてくれたのだろうか。
「さ、まだまだ説明し足りないところはあるだろうがそろそろ開店時間だ。後は実践して覚えるのみッショ」
しかしその疑問を口にする前にタイムアップとなってしまったようで、わたしはろくに説明も受けないままに店に立たされることとなった。
幸いなことに今日はお客さんの入りがそれほど多く無かった為か、営業時間中もトウコちゃんに色々説明して貰う余裕があった。おしぼりはここにある、灰皿はここだとか。親切なお客さんに今日が初出勤の新人ですと言うとタバコの火を付ける練習もさせて貰えた。
中には熱心なトウコちゃんのファンの人も居て、その人は何かとトウコちゃんを隣に座らせたがった。
たまに太腿を擦られても嫌な顔一つせずにそっと太腿から手を外させるトウコちゃんの技たるや、思わずその場で拍手しそうになった程だ。
流石学生時代からトークがキレると自分で言っていただけあって話も上手い。
そして何よりすごいのは、彼女の仕草である。
声はアレだが席に座る時のスカートの押さえ方だったり座った時の脚の揃え方だったり、ちょっとぶりっこするときの首の傾げかただったりが完全に女子。多分わたしより女子。
何よりすごいのは脚を全然開かないところで、絶対に脚を広げてはいけないバー24時かってぐらい膝と膝が離れない。
気を抜くと少し膝と膝が離れてしまうわたしは是非見習いたいと思う。
そんなこんなで初回の5時間を終え、気付けば退勤の時間となっていた。
「トウコ先輩、色々勉強になったッス」
「え? 本当ぉ? トウコうれしい!」
完全にキャピキャピモードのトウコちゃん改めトウコ大先輩に頭を下げる。
緩く握った両手の拳を頬にあてている、普通の女子がしたら間違いなくイラっとする動作もトウコ大先輩にかかれば普通にかわいい!
完全にトウコちゃん信者となったわたしは本日二度目の更衣室に籠り鍵を掛けてさあ着替えようとしたのだが。
後ろのファスナーに手が届かない。最初に着た時どうやって着たんだろうって思うぐらい届かない。ヤッベー脱げねえや。
どうする、今からお酢を借りてきてしこたま飲んで再挑戦するか。いや、お酢にそんな即効性は無いしお酢を飲んで身体が柔らかくなるなんて迷信だ。
……残された手段は一つ。誰かに開けて貰う、だ。
そこでわたしが呼んだのは親戚の裕介では無かった。
「トウコちゃーん、ちょっとー!」
更衣室から顔を出してトウコちゃんを呼ぶと、トウコちゃんはすぐに来てくれた。
「どうしたの?」
「ごめん、ファスナーがどうしても下げらんなくて」
ちょっと手伝って、と言えばトウコちゃんは一瞬びっくりした後仕方が無いというような顔をして更衣室に一緒に籠ってくれる。
一人でも少し狭いなと感じる更衣室に二人で入ると結構狭い。
そんなことを考えていると、ジジッと言う音がしてトウコちゃんがファスナーを下げてくれたのが分かる。
「ここまででいい?」
「あ、めんどくさいから全部下げちゃって」
先程の印象が強烈に残っていて、トウコちゃんを女子より女子な女子っぽい人だと思い込んでしまっていたわたしは東堂くんという存在などすっかり忘れたお願いをした。
案の定下は下着姿な訳だが、先に述べた通りわたしはトウコちゃんのことを女の子(と同じようなもの)だと思っていたのである。
わたしの言葉通りにファスナーを全部下げてくれたトウコちゃんにありがとう、とお礼を言う。
トウコちゃんは「どういたしましてえ」とにっこり笑ったが、わたしがこの場でそれ以降の着替えを始めようとするのを許さなかった。
わたしの顔の横に、トウコちゃんの両手が突かれる。
ただでさえ狭くて近いなあと感じていたのに更に近くなってわたしが思ったことと言えばトウコちゃんまつ毛長げーなということであってまるで危機感が無い。
いわゆる壁ドン状態というやつであろうそれに何でこんな状況に陥ってるのか疑問に思っていると、トウコちゃんがゆっくり口を開く。
「名前ちゃんに、一つ教えておいてやろう」
トウコちゃんは先程と同じくにっこり笑っていたが、それは先程とは少し雰囲気が違っていた。
「俺はこんな格好をしているがれっきとした男で、性癖も至ってノーマルだ。だから名前ちゃんの下着姿に当然興奮するし、名前ちゃんを抱くことだって出来る」
言ってる意味、分かるよな?
そう続けたトウコちゃんはもうトウコちゃんではなくて、高校時代の、わたしが知っている男の子の東堂尽八くんだった。
「分かったなら、これからは無防備に肌を晒すような真似はしないことだ」
相変わらずの美しい笑みのまま、鍵は閉めろよと言って出て行った東堂くんに、ようやくわたしは彼が男の子だったことを思い出したのだった。
140808 東堂くんハッピーバースデイその2