ずっとずっとそばにいた。彼のバレーへの熱意と努力に私がどうこうできるものはないけれど、それでも隣で見ていたいと思ったから中学の頃からマネージャーをやっていた。
何かを言うわけでもないし特別仲が良いとかそういうわけでもない。
でも、いいの。
彼から何かが欲しいわけじゃない。ただバレーボールに全身全霊で打ち込む彼のそばにいたいだけ。



暑い。ぐんぐん気温が上がり、湿度も高いこの時期に体育館に閉じこもるのは地獄同然だったが、それも六年目となれば些か慣れたものだ。
換気のために外の水道へと通じる扉を開け放てばそこからは時折生ぬるくも風が入ってくるし、木々が風に揺られる音はなんとなく涼をもたらしてくれる気さえした。
北川第一から青葉城西にきて、男子バレー部のマネージャーを続けて。……ただ及川くんのバレーを見続けるのももう六年目で、長いことやってきたなと思う反面それももう最後なんだな、と思うとまだ夏の始まりなのに急激に心臓は締め付けられる。
ここ最近はそればっかりだ。まだ春高の県予選さえ始まっていないのに終わることを考えてばかり。選手たちに失礼なのはわかっているけれど、一生終わってほしくないという願望の裏付けのようなものだから心の中でそう思うことだけは許して欲しい。

今日は一日部活で、土曜だから校内には同じく部活動に勤しむ人たちしかいなくて割りかし静かだ。
昼休憩の中、なんとなく部員たちとかたまって昼食を摂る気にもなれず、外へ通じる扉の前を一人で陣取りぼけっとしていた。
足を伸ばしあまり食欲を訴えない胃袋に少しぬるくなったゼリー飲料をちびちび流し込む。

夏だ。

こうやって暑さに負けて食欲が落ち、体育館の風通しの良いところでゼリー飲料を飲むのも六回繰り返した。夏は暑くて人とあまりくっつきたくない。そんな私を近すぎない、でも遠くない距離で接していた岩泉くんと及川くんは察してくれた。それは青城にきてからも変わらずさりげなく部員たちを遠ざけてくれる。
初めは具合が悪いのかと気にかけてくれていたけれど、やんわり笑って大丈夫だよ、と繰り返していればこの夏バテにも気づいてくれたようだった。

わがままなのは重々承知しているのだけれどそういう煩わしくない配慮が有難いなぁなんて思っていたらふと隣に人の気配がした。


「…?」


横を見れば、及川くんが立っていた。
何かを言いたそうな表情だったけどそれは決して不機嫌なものではなく。
昼食はもう終わったのだろうかという視線を向ければ、彼は理解したのか小さく頷いた。

北一にいた時、彼が後輩の才能に怯えていたとき。
私は何もできなかった。
何かをできたのは幼馴染で相方の岩泉くんだった。
それから私は、何もできないことを理解していたしできるとも思っていなかったから、せめて彼が発する感情を見誤らないように努めてきた。

これは、甘えたいのだろうか。

時折彼は私に近づいてきて甘えることがあった。言葉を発することは少なかったが話したいときはポツリポツリとこぼすし、素直な気持ちを聞けて嬉しいと感じていたから望むだけそばにいた。
彼女ができても別れても、バレーで躓いてうずくまってしまっても。
彼のそばにいたいから、そうしてきた。

どうしたの、と聞かなくても甘えたいサインなのだろうなぁとわかっていたから立ち尽くす及川くんに向かって手を伸ばす。
座ってる私と立っている及川くんは、彼の長身も相まってかなり差ができていたけどあまり威圧感を感じさせないのは彼の目が優しいからだろう。
手を伸ばすその意味を理解しているからか及川くんも子供のように笑って隣に座り頬をすり寄せてくる。


「暑いね」
「ん」


短い会話をしてから彼の頭をゆっくり己の太ももへと導いた。
甘える気満々だったらしい彼は逆らわずになだれ込んできたし、居心地良さそうに目を細めて寝そべった私の太ももから視線を寄越す。

何を言うでもなく、彼の求めるものすべてを与えて、ただそばにいる

それが私たちの関係。
私はもちろんずっと前から及川くんに恋愛感情を抱いていた、そのきっかけがどんなものかすら覚えてないくらい長い片思いだし、彼を強く思うあまり恋愛感情から少し外れているような気がしなくもない。
ただ彼の笑顔を守れたらいいのだ、私は。
だから彼女が出来ても及川くんが幸せならよかったし、別れてもケロリとしている及川くんを見ると安心していた。


「寝る?」
「…名前、今日はボール拭きしなくていいよ」
「え、でも」
「だって練習始まるまでこうしてたいんだもん」
「…岩泉くんに怒られないかなぁ」
「名前の善意でやってることだし怒んないよ」


昼休憩のときは自分の食事をさっさと終えてからボール拭きをしていた。
まぁ、やることもないしみんなが気持ちよく練習するために出来ることをしようと遠い昔に思いついた習慣だった。
誰に言われたでも強制されたわけでもなかったから確かに怒られないかもしれないけれど、いつもやっていたことをしないとなると変に思われないかなぁ。


「名前」
「……お昼休憩終わる十分前までね」
「ありがと」


毎日べたべたとくっついているわけではないが、こうやって甘えられると存分に甘やかしてしまうから、たまに岩泉くんには「嫌なことは嫌って言えよ」だとか「クソ川に甘えられるなんて反吐が出るほど気持ちワリィ…」と言われていた。
やはり私は及川くんのことが大好きすぎるようだ、と苦笑する。
甘えられたら甘やかす以外の選択肢が見つからないの、と岩泉くんに心の中で言い訳しつつ及川くんの髪の毛に触れる。
前は彼女でもない子に頭を撫でられるなんて嫌じゃないのかなと恐る恐るだったが、及川くんに嫌がられたことはないどころか本人が求めてくるから、結構な頻度で彼の頭を撫でてしまう。

柔らかく閉じられている瞳と、午前中の練習でかいた汗がひいた頬。寝ているわけではないだろうけど目を閉じて休む及川くんの頬を撫でる。
ちょっとぺとりとした感触の肌が夏をより強く実感させる。自分でしておいてアレだが膝枕なんて暑くないのかな。
本当は私、知っているんだ。彼のどこに触れても怒られることはないということを。ずるいから、知らないフリをして、探り探り距離をとってるフリをして、このほんのりとした「主将とマネージャー」の関係を保っている。


「……ずっとこうしてそばにいれたらいいのにな」


ぼんやり呟きながらふと思い出した。
昨日買ったチョコレート、机に置きっぱなしだった。この暑さじゃ中身もどろどろに溶けていることだろう…
お母さんは自室には入ってこないからチョコレートがリビングの涼しい空間へと避難されている可能性はない。
せっかく買ったのに、だなんて下らないことを考えていたら及川くんに触れていた手を掴まれる。
驚いて下を向けば及川くんは不機嫌そうに口を曲げていた。サーブに納得いかないとき。試合会場で牛島くんと鉢合わせたとき。度々彼はこの表情をする。


「どうしたの?」
「名前はずっとそばにいてくれるんじゃないの」
「え?」
「だから、名前はずっと俺の隣にいるんでしょうがって言ってるの」


あ、さっきのひとり言のことか。と思考が追いつくのと同時にまたわからなくなる。
いやぁ、そばにいたいのは山々なんですけどね。
進路のこともあるし近い未来に私たちは部活を引退するじゃないですか。まずそこで関係性はなくなるよね…


「うう〜ん…?」
「なに、俺と離れてもヘーキなわけ?」
「や、平気というか…そもそも部活ありきじゃない」


そう言うと及川くんはますます機嫌が悪くなってしまった。
これはいけない。むしゃくしゃしてると彼は自主練を長くする傾向があるからなんとかしなければ、と思うけれど、何を言うのが正解なのかわからない。


「…名前が、ずっとマネージャーっていう立場を貫いてきたからそれを尊重してきたけどさ」
「、うん」
「俺はもう好きでもない子と付き合ったり部活してなきゃそばにいれないのも嫌なんだよね」
「……好きでもない子と付き合ってたの?」
「俺はずっとマネージャーさん一筋だからね」


息が止まる、とはこのことかと頭の片隅で思った。
マネとして北一の頃からそばにいたのは、奇しくも私だけだ。


「それ、は」


確かに及川くんに彼女が出来るたびに岩泉くんはなんだか怒っていたし、彼が別れるととてつもなく呆れてもうこういうことはやめろとお説教をしていた。
あの時はぼんやり、まぁ及川くんはモテるからだらしなくならないように岩泉くんがシメてるんだろうなくらいにしか思わなかったそれも、一つの意味を持ち始める。
及川くんは好きな人がいるのに告白してきた子となんとなく付き合ってたのだとしたら?そして短い期間で別れても悲しまない彼を見て、岩泉くんが呆れていたのだとしたら?

そんな、都合良すぎ。

わかっているつもりなのに、私の頬は熱くなる。
及川くんの言った言葉の意味と合わせても、これは告白なのだろう。


「名前はずっと俺と同じ気持ちでいてくれたから青城まで追っかけてきてくれたんだと思ってたよ?」


確信犯だ。
下から上目遣いで見上げられると、どうにも弱い。普段彼がこんなに目線が低くなることはないからか本当に弱いのだ。
じわりと暑さに汗がにじむ。
なんだ、バレていたのか。北一から青城に進む生徒が多いバレー部にいたから割と自然な形で青城に来れたと思ってたんだけどな。三年越しの誤算だったな。


「ねえ、名前の答えを待ってるんだけど?」


なんの答え?としらばっくれてしまえば、大胆不敵な彼が何をするかなんて想像もできない。その上きっと機嫌もさらに悪くなるだろう。
たぶん、私は別に意地っ張りなわけでもないけれど。でも言っていいのだろうかとも思う。
これから彼はインターハイ予選の悔しさを晴らすために最後の春高へと臨む。
そんなときに、マネージャー以上の感情を持った私が、マネージャーとしてじゃなく彼女としてそばにいてもいいのだろうか。


「……これから、最後の春高だよ」
「知ってる。ていうか、それ、好きって言ってるようなもんじゃん」
「言わないでよ…」
「俺は名前から好きって言葉が聞きたいんだけどね?」


その春高を控えた俺が欲しいって言ってるんだから、くれるでしょ
彼を甘やかしてきたのは失敗だったのかもしれない。こうやっていとも簡単に私の気持ちを知りながら自分の欲しいものを手に入れようとしてくるんだもの。


「……好きだよ。ずっとずっと、理由なんてわからないくらい及川くんのことが、好き」

及川くんは?だなんて、わかりきったことを聞いてみる。ほんの少しの意地悪くらい許して欲しい。


「俺はね、」


名前を呼ぶだけで、泣きそうになるくらい。好きだよ


そう言って涙を必死に堪えたような、それでも幸せだと心から叫ぶような表情をした彼と、体育館の片隅で、隠れるように初めて唇を重ね合わせた。
甘い口付けに、自室にあるどろどろに溶けているであろうチョコレートを思い出した。

Happy Birthday Toru Oikawa !!



ALICE+