冬の篠突く雨

驟雨




「ミイラ取りがミイラになるだなんてとてもいい皮肉文句だと思わないかい?」


めずらしく夕食時に地下の研究室から顔を出した兄は、愉快そうに両手を広げ言った。
それが私に向けられたものなのか何なのかわからなくて反応に困る。


「お前にはまだ皮肉は扱いに余るかな。なんたって純粋純情な…死んだ人間の骨にさえ怯えるような子だからね、明は」


彼の言葉にびくりと肩が震えた。誤魔化しようがないほど鼓膜は兄の言葉を拾っていたし、それに対してわかりやすすぎるほどに反応してしまっていた。

無音がスノードームのようにこの屋敷を包み込んで、世界からこの家を切り離す。
外は土砂降りの雨だというのに。
雨音すら入り込んでこないほどに鬱屈しているのだ。


お兄ちゃんはいつも何が言いたいのかわからない…

再び大きく肩が震えた。
こちらもまためずらしく玄関のチャイムが鳴ったから。
この家のチャイムを鳴らして訪ねてくる方は少ない。宅急便などは兄は一切利用しないし、研究に必要なものがあればお手伝いさんに取りに行かせたり買いに行ってもらったりしている。


「…だ、誰でしょう?私、出てきます」


夕食の準備も終わっていたからお手伝いさん達も帰ってしまっていて、来訪者の対応は自ずと私か兄かになっていた。
しかし兄がそんなことをするはずがない。
気まずいこの空気から逃げる良い口実だと言わんばかりの態度になっていただろうが、構わず玄関まで駆け寄る。

薄っすらドアを開けてみると、門の向こう、真っ暗な道に灯る電灯が艶やかに地面に反射する程の雨の中、彼は私の家に現れた。


「玲央君…?」
「夕食時に悪いわね、明」


傘の意味も成さないくらいの雨の中だったから、慌てて玲央君に近づく。


「どうしたの?部活帰り?」
「ええ。こんなずぶ濡れでごめんなさいね。あなた、明日提出のプリント机に置きっ放しだったから」
「あ…!うそ、ごめんね。私本当、鈍くさくて…」
「いいのよ、そんなこと言わないで」
「タオル持ってくるね!暖かい飲み物飲んで行って?」


遠慮する玲央君の腕を引き、タオルを手渡し紅茶を淹れる。
リビングに戻った時にお兄ちゃんは忽然と、いた事すら嘘のように、消えていたので安心して玲央くんを招き入れた。


「立派なお屋敷ねぇ…本当に」
「そんな、二人暮らしなのに不便なくらいだよ」


兄からしたら『二人暮らし』ではないのかもしれないが、それにしたってこんな立派な…まるでお父さんがお母さんとお兄ちゃんがいた頃に買った東京と似たような家にしなくたっていいのに、と苦笑いする。


「このお家にお友達呼ぶの初めてなの。ゆっくりしていってね」


今ならお兄ちゃんは研究室に戻ったばかりだし、誰も来ない、はず…


「おや?明、お客様かな?」
「、!」


軽やかだけど威圧感のある声に、いつまで経ってもなれない。
かちゃん、とティーセットが音を立てた。
振り向けば、他人の気配があるとめったに研究室から出てこないはずの、お兄ちゃん。


「あ、あの、お兄ちゃ…」
「お邪魔してます、明さんのクラスメイトの実渕玲央です」
「こんばんは。いつも妹がお世話になっているようだね。僕は兄の旭です、ああもう新聞やメディアで知ってるかな」


家に人をいれたことを怒るかと思ったけれど、今日はとことん機嫌がいいらしい。
流麗に自己紹介をするお兄ちゃんに魅了されながらも安心した。
ほ、とうまく流してくれた玲央君に感謝する。


「お兄さん、テレビなどで拝見していましたが、実際見ると明さんと似てますね」
「、え」
「……そうかい?」


彼の言葉に、戸惑う。
お兄ちゃんに似ている。それは嬉しい。
けれどお兄ちゃんはどうだろうか、私はあの人の、彼女の…


「…僕は父親似でね。妹は母親似なんだ。だからあまり似てはいないと思うのだけれど。そう言われるのは僕も少しは母親似だからだね。嬉しいな」
「…すみません、何か出過ぎたことを、」
「いいや、君は悪くないよ実渕君。明、雨脚も強くなっているからあまり彼を引き留めてはいけないよ」
「…はい、お兄ちゃん」


やっぱり、あの人が。胸元を握った手が熱い。襲い来る言いようのない、罪悪感と劣等感。
地下には彼女とお父さんが眠ってる。
その地下に、お兄ちゃんは、いつもひっそりと闇を背負って帰っていくのだ。
私の指先さえ届かないところに。


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