*「欠陥だらけのアイラブユー」の続き 我に返った時、既に魔物は目の前から綺麗さっぱり姿を消していて、代わりに現れたのはオレの下で頬を熟れた林檎のように染めている名前だった。そして、状況は非常に不味いもので女の子を下敷きに、というよりは寧ろオレが故意的にこの状態を作り出したよう。背筋が凍った。自分は何を仕出かしたのか。名前の顔を見ることなど出来るはずもなく、視線を落とすとリボンの形が崩れているのが目に入って、続いて自分の手元を見た。手袋をしていない。細かい作業をするときは厚手の手袋が邪魔になるので外すのはいつものことだ。乱れたリボンと、頬を染める名前と、自分の手袋がベッドの横に放り投げられているのを見れば、更に頭を抱えたくなるわけで。 急いで手袋を付けるためにベッドから降りて、その場を去るつもりでいたけれど、やはり自分の行いというものは気になってしょうがない。オレは恐る恐る口を開く。 「オレは、なにか…したか」 「え、ええっと…」 「魔物と戦っている最中にメダパニを食らった気がするんだが、その後から今まで記憶が…無い」 「テリーさんの思っているような、最悪な事態はないです。けど…」 「けど、なんだ」 背中を向けつつも気になって振り返ってみると、最悪な事態という言葉を発したときの名前は潤んだ瞳を此方から背けて、近くにあった毛布を手で掴み、何か言いにくそうにした。オレの想像していた最悪な事態と彼女が口にしたそれはきっと意味的には同じものだと考えてよさそうで、ほんの少しだけ安心感を覚える。もし取り返しの付かないことをオレがしてしまっていたら、今後どうしていいか全く見当も付かないし、不純異性交遊など誰かに知られでもしたら周りの目が恐ろしいものだ。そして、何よりも名前に拒否されてしまうことが怖かったのかもしれない。 「あああの、あの、キスを、ですね…」 完全に名前の方を向くことが出来なくなった。 彼女は今、あのさくらんぼ色のくちびるでキスという二文字を紡いだのだ。頭の中で彼女のくちびるが具体的に想像出来るのは、オレの中に潜んでいたもう一人の自分がメダパニを利用して現れて、それを奪っていったからであろう。オレは知らない、でもオレは知っているのだ。 一気に火照る顔がそれを証明した。部屋は暑くない。バトシエは過ごしやすいように冷暖房完備がなされているのだと、この艇に乗る前に研究員たちから散々と自慢された。片手で両目を覆い、視界を遮ってなんとかクールダウンを試みるが、不思議とくちびるの触れ合った感触が甦ってくるようで、もう耐えられない。オレは知らない筈だったのに、こんなに鮮明に呼び起こされては知らないなんて、言えない。 苦し紛れに弁解した次の言葉を名前はどう受け止めたのだろう。キスを交わしたことをしょうがない、と一言で片付けられる筈もない。同時に、オレはどうして混乱していたのにも関わらず名前のところへやって来たのだろうか。まるで目的が彼女だったという大きな主張に思えた。オレがしたいと心から願っていたのは名前なのかは自分でも明確には分からないが、最後に口から出たのは、お前が良かったんだと思う、だ。 逃げ道を自分で作ったのか、それとも塞いでしまったのか、今となってはどっちつかずの曖昧な言葉だったと思う。自分の想いが本物なのか自信がなくて、確証が持てなかったのは事実。それでも惹かれているのは、気になっているのは、間違いないことなのかもしれない。はっきりと答えを出さなかったせいで名前を傷つけてしまったかもしれない、もしかしたら期待を持たせてしまったかもしれない。オレには分からなかった。 キスをしたかった? 押し倒してどうしたかった? オレは、名前になにを望んでいる? 素直じゃないのよ、と姉さんにずっと言われてきたがまさにその通りだ。自分に素直じゃないからこそ、答えが一向に出ないわけで。 自室に戻ったあと延々と考え込んでいたオレは、窓の淵に肘をついた。このあとの夕食の時間、名前とどんな顔をして会えばいいのやら。一人旅をしていた時に、何処かの街で武器屋の息子が道具屋の娘に想いを寄せていて、通りかかったオレに声をかけてきたことを思い出した。そういえばあのとき、まさに同じ台詞を吐いていたような気がする。 くだらないことで悩んでいるなと内心馬鹿にしていたが、その馬鹿は今のオレだ。 「…くそっ、なんなんだ!」 暖色を帯び始めた雲は、まるで名前の頬を想起させる。あの場面を思い出させるには充分なきっかけだった。自分が普段からくだらないと一言で片付けていたはずの色恋沙汰にこんなにも頭を悩ますなんてな、と思わず自嘲的な笑みが零れる。誰も見ていないけれど、夕日は確かに雲から顔を覗かせていて、照らされた顔は夕焼け色に染まった。 直接当たる夕日が眩しいこともあったが、考えること自体が億劫になってきて、ベッドに仰向けに倒れ込む。乱暴に倒れ込んだため、ベッドが軽く軋んで枕が落ちた。ぱさっと柔らかい音を立てたときに、ふと気づいたことがある。 「…名前は、抵抗、したか?」 天井に向かって小さく口を開く。誰も聞いていないので、勿論問いかけに対する解答など返ってくる筈も無いし、期待してなどいない。ただ、口に出して自分に問いかけたのである。オレの微かな記憶を辿ると、最後は平手打ちを喰らったために正気に戻ったけれど、それまで彼女は明瞭な抵抗をしていないように思う。正気では無かったため、確信を持って言えることでは無いと思っている。しかし、彼女は確かにキスをしたと言った。それは、つまり。 「受け入れた、のか?」 突然のことで防衛が不可能だったのかもしれない。でも、何かしらそこで抵抗していればオレはもっと早く通常状態に戻っていたのではないか。そうすればキスをすることを未然に防ぐことが出来たのはないだろうかという考えに辿り着いた。 どうして、という言葉が頭の中をぐるぐると回る。素直に受け入れてしまったのだったら、オレとのキスは満更でもないということなのか。もしかしたら彼女だってオレの素直な気持ちと似たような点があるのかもしれない。 そんな風に考えたら、ますます顔を合わせ辛かった。 考えることを放棄したオレは目をゆっくり閉じた。次に目を覚ますことになるのは月光が知らせる夕食時間だなんて知る由もない。 |