近所に新しく出来上がったファッションセンターがあるというので待ち焦がれた休日に早起きして、開店と同時に駆け込んだのは今から三時間前の話。今日は雨だと聞いていたので、雨傘を持ってきて、傘立てに置いておいた。薄い赤色を基調とした花柄の傘は結構お気に入りのもので長い間お世話になってきている。開店前は雨など降っていなかったけれど、わたしがショップバッグを持って店を後にしようと思った頃には小雨が降っていた。傘を置いたと記憶している位置をキョロキョロと探してみるが、見当たらない。ここに確かに置いたはずなのに、薄い赤色の傘は見つからなかった。ほら、ちょうどあの赤い髪色を薄くしたようなカラーの傘なのに。



「あれ〜?どうしたの」
「赤羽くん」



わたしが例に挙げた髪色をしていたのは赤羽くんだった。同じクラスの人と休日に会うというのは珍しい。特にわたしの目の前で手を振りながら此方へ歩いてくる赤羽くんなんて、本当にレアだと思う。その手には傘が勿論握られていて、わたしは一瞬忘れていた傘のことを思い出しては深くため息をついた。



「俺のこと見てため息だなんて悲しいよ」
「ご、ごめん。赤羽くんじゃないの。傘のせいで」



傘が無くなった件について赤羽くんに簡単に説明すれば、それって盗られたってことでしょ?と答えがすっと返ってくる。わたしだってその可能性を考えていなかったわけではなく、考えたくなかっただけ。自分が大変気に入っていた傘が手元から無くなるっていうのは大切にしていた本人にしか分からないことだ。赤羽くんにとって、わたしの傘なんて他人の傘なのだから特に気にすることなど無い、だからあの返答なのだろう。本当に気に入っていたのになあ、と零すと赤羽くんはわたしの肩をポンポンと叩く。



「ねえ」
「…わたし今とってもショックなの」
「濡れて帰る気?」
「傘がないんじゃ、しょうがないよね…」



赤羽くんが自分の傘を一度畳んで、わたしの隣に立った。ここはまだ入り口先なので屋根があって濡れない。わたしより背の高い赤羽くんが空を見上げながら、これは当分止まないだろうし、もしかしたら強くなるかもよ、と言った。さっき買った何着かの服が濡れてしまうかもしれないけれど、雨はどうすることもできない。ショップバッグに入れてもらっているとはいえ、紙袋なのだから家までの距離を歩けば確実にびしょびしょになってしまうだろう。今日何度目か分からない溜め息をついた。
赤羽くんはそんなわたしを見て隣で笑っているだろうなあと思いながら、ちらりと盗み見ると彼もこちらを向いていた。笑ってはいなかったけれど。でも目が合ったと思えば、くすりと笑って、わたしの手を引いた。



「ねえ、名前ちゃん」



自分が呼ばれたことに気が付くまで時間がかかった理由は、赤羽くんが普段こうやってわたしの名前を呼んだりしないからだ。一瞬耳がおかしくなったのかもしれないと思ったわたしは頭をぶんぶん振って、口を開いた赤羽くんの言葉に注意深く耳を傾ける。



「名前ちゃん」
「あ、赤羽くん…?」
「名前ちゃんも名前で呼びなよ。カルマ、でいいからさ」



聞き間違いではなく、赤羽くんは確かにわたしの名前を紡いだ。彼の手にはいつの間にか差された傘があって、腰をぐっと引き寄せられて驚いたわたしは金魚のように口をパクパクとさせる。慌てて落としそうになったショップバッグを肩に掛け直した。



「あんまり離れると濡れちゃうよ」



赤羽くんの傘でわたしたち二人は雨を凌いでいる。傘は一人用のものだから二人で使うのだったら、もっと距離を縮めなければならない。カップルでも無いのにこんな至近距離で男女が歩くなんてわたしには到底耐えられそうになかったのだけど、赤羽くんが腰から手を離さなかった。離してと言わんばかりに彼を睨んでやっても、彼は全く動じず、わたしのことを掻き乱すような言葉ばかり発してくる。



「ほら濡れちゃうといけないから、名前ちゃんもっと寄って〜」
「赤羽く、」
「カルマ」
「あか、」
「カルマ」



引き下がるわけにはいかないわたしがもう一度赤羽くんと名前を呼ぼうとすると、くちびるがぴとりと閉じられる。わたしがくちびるを閉じているのではなく、赤羽くんの人差し指がくっついているのだった。雨のせいで少し気温が下がっていて肌寒いなと感じていたわたしのくちびるは冷たかったようで、赤羽くんの指は温かい。そこからじんわりと熱が広がっていき、わたしの頬も熱を持っていくのが分かった。こんなに乱されているわたしに対して赤羽くんは余裕の笑みだから、勝てる気がしない。赤面しつつも諦めたような表情を浮かべると、彼もそれを察してくれたようで指を離してくれた。



「か、カルマ…くん、お願いします」
「いいよ、名前ちゃん」



雨は止まない。



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