白夜王国近くの見回りを任された俺は重装備をして馬を走らせていた。堅実に戦うスタイルの俺は、武器だけでなく防具にも拘りがある。戦闘が始まると先陣を切って飛び出していき、後援を受けつつ敵をなぎ倒していくのがいつものことだった。再会したカムイは俺のことをはっきりと覚えてはいなかったものの、信頼を置いてくれ、こうやって一緒に戦うことが出来ている。俺はカムイの親友だ。彼の役に立ちたい。
見晴らしの良い場所に馬を止めた俺は近くにあった木に手綱を括りつけて、馬を撫でる。一緒に育ってきたこの馬が今更逃げることなんてことはないと分かっているけれど、騎士養成訓練で馬の扱いを教えられた際に必ずするようにと言われた。その教えを忠実に守っている、ただそれだけ。たてがみに籠手を付けたままの手の指を通そうとすると、突然愛馬が嘶く。普段は嫌がらず、寧ろ喜ぶ素振りを見せて甘えてくるのだが、今回ばかりは様子が違った。何かあるのかもしれないと思った俺は馬の視界に目を凝らす。視界はとても広く、立体視できるものの中央の部分は死角とされているので、馬の正面ではないことは明らかだ。



「…あれは」



太陽は俺たちを焼くように照りつけていたが、木々の根元は陰になっているため、とても涼しい。だから俺も馬を休ませるために木陰を選んだ。休憩しようとした場所から左の方で、何かが蠢いたのを感じて腰の剣をゆっくりと抜き、静かに近づいていく。物音を立てずに、呼吸音が分からないくらいに。空から降り注ぐ光に反射した剣が眩しくて、一瞬目が眩んだが、次の瞬間に俺の目は素早く動く黒く、大きな生き物を捉えていて、即座にその正体を理解した。大きく開いた口に見えるは、肉を簡単に噛み千切ってしまえる程の鋭い牙。巨体であっても迅速な動きをする、それは。
熊だと小さく呟いた声は咆哮に掻き消されてしまう。それと同時に、熊の野太い足の合間にまるで白雪のような色の足が見えた。間違いなく人間で、女性に違いない。人間が近くに居たことで殺気立っている熊にも合点がいった。此方に気づいて爪を振り上げた熊の心臓目掛けて俺は剣を一閃。甲高い叫び声がした後に熊は大きな音を立てて、その場に崩れ落ちていった。俺と熊を挟んだその向こう側には、青ざめた女の人が座り込んでいて、急いで駆け寄る。



「怪我はないか?」
「え、ええ…」
「そうか。それは良かった。でも、女性が一人でこんな所に居るのは危ない」
「…どうしても薬草を取りに来たかったのです。わたしの親友のために」



親友という言葉が心に引っかかって、目の前の何も知らない女性につい詳細を尋ねてしまいたくなったが会ったばかりの人に詮索されるというのは嫌な思いしかしないはず。言葉を飲み込んだ俺はとりあえず、当たり障りの無い会話にしようと心がけて、再び口を開いた。



「薬草は無事に取れたのかい?」
「いいえ。もう少し奥の方にあるという話を聞いていたのですが、途中でさっきの熊に襲われて…って!」



小さな袋を手に握りしめた女性は口を手で覆い、俺の顔をじっと見ていた。座り込んでいる彼女に目線を合わせるように片膝をついて、姿勢をなるべく低くする。重装備のせいで鎧が擦れて煩い金属音を立てたけれど、それについては目を瞑って欲しい。



「あの、わたしお礼がまだでした…本当にありがとうございます」
「別にあれくらい俺は余裕さ」
「…お名前は」
「サイラス」
「わたしは名前といいます」
「名前さん、良かったら薬草採取を手伝うよ。またさっきみたいなことがあったら怖いだろ?」
「で、でもこれ以上ご迷惑は…」
「いいから」



今日の仕事はこの近辺の見回りだから、名前さんの薬草採取の手伝いをするくらい許されるだろ。決めたら即行動の俺はその場で勢いよく立ち上がると、彼女が立ち上がるのを待った。愛馬も向こうの木陰で暇そうにしている。休憩時間が思ったよりも長くなったために退屈し始めたのだと思う。
馬から名前さんに目を移すと、彼女は不思議な動きを繰り返していた。ローブから伸びる手は地面を一生懸命に押し上げようとしているが、彼女の体は一向に持ち上がることがない。おかしいなと首を傾げて、最初に目についたのは名前さんを発見したときの白い脚だった。尋常では無い程に震えていて、彼女の思い通りにならないといったところだろうか。



「名前さん」
「…は、はい」
「どうしても薬草が必要なんだろ?」
「もちろんです!」
「じゃあ、少し我慢して欲しい」
「へっ!?」



名前さんの隣に膝をついて、小さく失礼しますと言うと彼女が息を呑んだのが分かった。つられるように俺も息を呑み、彼女の震える膝をぽんぽんと軽く叩いて、膝裏に手を伸ばす。細くしなやかな白い脚はとても、綺麗だった。俺が見たことのない、肌の白さで。膝下に手を入れ、反対の手は彼女の腰辺りを支えるようにしてゆっくりと持ち上げる。立ち上がったことに驚いた名前さんは慌てて何か掴むところはないかと、手を宙で泳がせていて、それを見た俺は少し笑ってしまった。



「遠慮せずにどこか掴んでいいから」



とは言ったものの鎧の何処を掴めばいいのか分からないかもしれない。自分で促しておいて、今更そんなことを考えていると名前さんはぴったりと身体を俺に預けて鎧に手を添えていた。予想していなかった展開に煩く主張する心臓の音は彼女に聞こえてしまっているかもしれない。でも、こうしようと決めたのは自分だから最後までスマートに決めるのが騎士だろう。なんでも完璧にこなすツバキだったら、動揺さえも隠せてしまうかもしれない。でも俺はツバキとは違う。
お互いに無言の時間が続いたけれど、愛馬までの距離というのはそう遠くなく、寧ろ一瞬の距離だった。でも、短い時間とは思えないのはなぜだろう。歩くごとに少し揺れる彼女の肩は小さいもので、触れることを躊躇ってしまう程の儚さを感じさせた。それに軽々と持ち上げることが出来たので全く頭に無かったけれど、名前さんは軽すぎではないだろうか。食事をロクにとっていないのではないか、なんて余計な心配まで頭を占める。
馬の隣まで来ると、まず名前さんを馬の背に乗せる。動物には人間の感情が伝わってしまいやすいので、恐怖心を抱かないようにと彼女に言うと馬は好きですから大丈夫ですと言った。名前さんが背中に乗ったことを感じ取ったようで、愛馬は鼻を鳴らす。彼女は優しい声でよろしくね、と言いながらたてがみを撫でていた。細い指はたてがみの毛をするりとすり抜けていく。



「じゃあ歩くから、しっかり掴まって」
「はい、サイラス様」



様付けがむず痒く感じたけれど、特別感が溢れているようで上手く言えないが良いかなと思ってしまったので示唆しないでおこう。馬の手綱を優しく引いて、先導していきながら乗馬している彼女の様子を伺った。先程の怖い経験はこれから消えることはないと思うが、このちょっとした散歩のようなものが気分転換になればいいと願う。



「サイラス様、あのお花畑のところで薬草が取れると伺っています」
「分かった」



貴重な薬草だと断崖絶壁にあったりするのだが、名前さんが求めている薬草はそんな危険な場所だけに生えているものではなかったようだ。手伝うと言った手前、無責任なことは出来ない。ひと安心した俺は花畑の近くに馬を止めると、跨ったままの彼女の隣に行き、降りるときの支えをしようと考えた。けれど、これはもう先程と同じように俺が抱いてやれば簡単に済む話だと一人結論を出し、彼女に向かって手を伸ばす。伸びてきた手に一瞬戸惑った彼女も大人しく俺に身体を預けたので、抱き上げては地面にそっと降ろした。女性というものは丸みがあって柔らかくて、全体的にゴツゴツした男とは大違い。それを身に沁みて感じたのは今日が初めてだ。



「もう歩けるから大丈夫ですよ!」
「そっか。それは良かった」



俺が抱き上げたまま移動しても良かったな、なんて思ったけれど彼女の震えが止まって普段通り動けるようになったことで安心した。
名前さんは花畑の中心に座り込むと、周りの花を摘み取っては何やら指先だけで作業を始めた。薬草探しではないことを理解した俺は馬の横で座り込んで、彼女の様子を遠くから見守ることにする。今だったら俺が名前さんを守ることが出来るので、先程よりは心強いと彼女に少しでも思ってもらえていたのなら嬉しい。夢中になって花畑を走り回る様子を暫く眺めていると、彼女は突然俺の方に向かって一目散に走ってきて朗らかに笑った。



「サイラス様、お礼です」



色とりどりの花が散りばめられた冠を持った名前さんは俺の頭にそれを載せた。戴冠式の真似事のような気分でそれを受け取って少しの間香りを楽しんでいたが、目の前に座り込んで微笑んでいる彼女こそ、この花冠は似合うと思う。崩れてしまわないようにそっと花冠を手に取ると、そのまま彼女の頭に載せた。ほらやっぱり、名前さんの髪によく映える彩色の花冠だから似合う。ただの花の冠のはずなのに、異国のお姫様が身に付けているティアラに引けを取らないと俺は思った。



「名前さんの方が似合うよ」
「…なんだかお姫様になった気分です」
「俺は王子様になった気分だよ」
「ほんの少しの時間なのにサイラス様からいろいろ頂いちゃいましたね」
「そうか?俺も名前さんからたくさん貰ってるけどな」
「さて。あとは薬草ですね」
「ああ。最後まで付き合うさ」



この後、目的の薬草を手に取るときにまさか手が触れ合うなんて思っていなかった。


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