「タクミさま」
「ああ、名前か」
「まだお休みになられないのですか?」



布団に潜り込んだものの眠ることが出来ずに外へ出てくると、偶然にも名前と出くわした。何度か身体の向きを変えては何も考えずに目を瞑るけれど、真っ暗な視界の中にカムイ姉さんが現れて、僕のきょうだいが勢揃いしては最後に名前が姿を現す。それの繰り返しで寝付けなかったのだ。



「今夜は冷えますよ。お体に障ります」
「あんたもだろ」
「わたしはいいのです」



昼間は暑いとはいえ、夜は温度が急激に下がる。それに今夜は冷たい風が吹いていて、着物の隙間から入るひんやりとした風が身体を冷やした。僕の心配をした彼女だって、一瞬身体を震わせて寒そうにする。僕に言う前に自分の身体の心配もするべきだと思うが、彼女の口からは自分のことを棚に上げたような言葉しか流れ出てこなかった。
肩を少し動かすといつもより少し重たい。外に出る際に片腕に掛けていた毛布のことを思い出した僕は名前に向かってそれを突き出した。僕が自分のために持ち運んでいたことは間違いなかったけれど、今必要としているのは目の前で身震いを必死に隠そうとしている馬鹿な彼女だって分かっていたから溜め息をつきながら。



「…早く戻りなよ」
「あ、あの、タクミさま?わたしのことなんて、」
「あんたが風邪を引いて前線に出られなかったら、兄さんたちが困るだろ。そんなことも分からないの?」



突き出した毛布を受け取ろうとしない彼女に痺れを切らせた僕は、片手で差し出していた毛布を両手で掴み直すと、端を探して手を動かした。名前は僕の行為を見ながら、狼狽えつつ毛布は要りませんとばかりに両手を振る。そんなに拒否したいのなら、この場からさっさと去ってしまえばいいのに。それをしない彼女は甘い。
名前の背後を取った僕はその両手をゆっくりと肩を覆うようにして動かし、毛布を掛けてやった。大きな毛布は彼女をすっぽりと覆う形になったけれど、首だけは守れない。白いうなじが顔を覗かせたままだ。毛布を摘まんでいた指をそっと離すと、その白に吸い寄せられていくように指を動かす。するり、と撫でたうなじから指先へひんやりと伝わる冷たさが名前は寒かったのだということを知らせた。人差し指で再度、うなじをなぞってやると彼女は先程のように身体を震わせる。そんな仕草にドキリとさせられたのは僕だけの秘密。



「ほらやっぱり寒いんだろ」
「…タクミさまは意地悪です」
「口で言わないから、ちょっと確かめただけだよ」
「だからって二度も触れる必要なんてないでしょう!」



雲の切れ間から差す月光が一層うなじを白く見せる。目に毒だ、そう思った僕は彼女が緩く束ねていた髪の毛の紐を引っ張って、髪を散らした。ぱらっと風に少し靡いた髪は、月が雲に姿を隠すようにうなじを綺麗に隠してしまう。もう見えない。誰も見ることは叶わない。くるりと振り返った名前は口を尖らせていて、いつも僕の世話を焼こうとする顔とは全く違って子どもっぽかった。思わず口元が緩んでしまう。



「わ、笑わなくてもいいのに…」
「名前の余裕ぶった姿しか見ていないから、ちょっとおかしかったんだよ」



髪を解いた姿は一度も見たことがなかった。今の姿を作ったのが僕だと思うと、どこからか支配したような気持ちが湧いてきて、このまま彼女を僕が連れ去ってしまえたらと考え始める。同時にハッとして頭を振ったのも僕だった。就寝前だったために解いていた髪の毛が揺れる。そんな髪の毛に伸びてくる手を僕は見逃さなかったけれど、それを拒否しようという気にもなれなかった。
名前が僕の髪の毛を一束摘まんでは、毛先に向かって指を滑らせた。タクミ様の髪の毛はとても綺麗ですね、と言いながら。川の水がサラサラと流れていくように滑っていく指の動きに目を惹かれて、その動きを追っていく。毛先まで辿り着いたその指はくるり、くるりと髪の毛を絡めさせては弄んだ。何度か繰り返した彼女の指が満足したように離れていこうとしたので、僕は思わずそれに手を伸ばして捕まえる。捕まえた指は必死に逃げだそうともがく。僕はもう両手で、彼女の手を包み込むようにして逃がさなかった。
名前は身体全部を使って僕から逃げようとしたようで、肩に掛かっていた毛布はその場にぱさりと音を立てて落ちた。



「逃げないで名前。行かないで名前」
「変です…タクミ、さま」
「いいよ。今日は変な僕でも。だから、名前」



名前をたくさん呼んで繋ぎ留めておきたかった。明日はまたやって来るのだけれど、今この時間は名前を離したくなくて。黒が果てしなく広がるその向こうから、太陽が顔を出すその時まで僕と一緒に居て欲しい。何処にも行かないで。
心の叫びをそのまま言葉にすることは苦手で、上手く言えないままに零れた言葉だけれど、名前は僕の言葉に耳を傾けて頷くと笑った。足元に落ちた毛布を拾おうと屈み、手を伸ばすと僕が掴んだ毛布の端とは逆側の端を彼女が摘まんでいて、二人で顔を見合わせてまた笑う。



「ねえ」
「はい、タクミさま」
「夜明け、僕と一緒に見よう」
「わたしでよろしければ」
「名前がいいんだよ」





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