リョウマ様とカムイ様に頼まれたお使いを終えたわたしは洗濯物を抱えて、彼らの待つ場所へと駆け足で向かっていた。様々な人々が一緒に生活をしているので、料理洗濯掃除が大変で分担しなければ絶対に毎日は回らない。わたしの腕の中に積み上げられた洗濯物は、モズメちゃんと分担して行っているものだ。所有者一人ひとりに持っていかなくてはならないのだけど、これもまた時間のかかる仕事だが顔を合わせることが出来るのはこの仕事の良い点ではないかと思う。 それにしても、モズメちゃんはわたしの視界を奪う程によく積み上げたものだなあと思う。まだ大丈夫やろか?と言いつつもどんどん積み上げていくので、わたしがストップを言う隙さえなかった。気がついたら、視界に白い布がいっぱいという状況に陥っていたのである。幸いにも足元は見えるし、それに少し横に顔を出せばなんとか歩くことは可能だった。ここが全く知らない土地だったら躊躇ってしまうかもしれないけれど、日々過ごすこの場所のことならよく知っている。朝から夜まで走り回っているし。 大きな通りを行くと時間が掛かるために、少し人気のない小さな通りに入る。敵軍が奇襲をかけてくることなど滅多に無いので、この中で人気のない所といっても気にならなかった。それに大通りを歩けば、優しい人たちがいっぱい居るのでわたしのことを心配して手伝ってくれるかもしれない。けれど、わたしはそれに甘えたくはなかった。出来ることは自分でやり遂げて、役に立ちたいと日頃から思っているから。何よりも戦うことに関してはからっきしなので、地道な作業の方が自分の力を活かせると分かっていた。 「ここを行けばカムイ様のお部屋に近いよねー」 「そうだな」 完全に独り言のつもりで洗濯物に向かって笑ったわたしは反応した声に驚いた。足を止めて辺りを見渡すものの、洗濯物に邪魔をされて上手く周囲を確かめることが出来なかったし、建物の影でほんのり暗いのでよく分からない。一周その場で無駄に回転すると笑い声が聞こえた。わたしは壁を背中にして身構える。相手は敵ではないと思ったけれど、万が一に備えてだ。それにわたしはこれからカムイ様の部屋に届けに行かなくてはならない使命を持っているのだから。 背中をぴったりと壁にくっつけたところで、真っ白だった視界が急に変わる。反対にある建物の壁が見えたのだった。わたしが持っていたはずの洗濯物は姿形を消してしまって、間抜けな声を上げる。すると、また笑い声。 「何してるんだ?」 「あ、シノノメ様」 洗濯物を取り上げて笑っている犯人はシノノメ様だった。身体が大きいので、洗濯物がとても小さく見える。わたしが持ったら顔が見えなくなってしまうのに。そのまま、近くの籠の中に放り投げてしまったので、わたしは慌てて駆け寄ろうとした。籠が綺麗なものか分からないし、畳んでいたものが皺になってしまう。せっかく綺麗にして畳んでいるのに乱雑な扱いをしたら台無しじゃないですか、そう口から出てくる直前で息を呑むことになった。 大きな音に肩を震わせたわたしは咄嗟に目を閉じて、唇を軽く噛んだ。突然の音にびっくりして反射的にそうなったわたしは壁にもたれ掛かる形でなんとか竦む足で立つ。薄目でそっと状況を伺うと、筋肉質の腕がぐっとわたしの頭の近くにまで伸びてきていて、目の前にはその持ち主が立っていた。顔を上げられるはずもなく、俯く。どうしてこんなことをされているのだろうか。わたしはシノノメ様の機嫌を損ねた記憶はないけれど、もしかしたら何処かで不愉快な思いをさせてしまったのかもしれない。ぐっと目を瞑って、わたしは頑なに顔を上げようとはしなかった。彼と目を合わせるのが怖い。 「名前、顔上げろ」 シノノメ様の声が耳に大きく響いて、吐息がかかる。ひっ、と漏れた声を押し込めるように自分の口に手を当てて塞ぐ。顔が近すぎることを考えられる状態でもないわたしは、必死にこの場から逃げる方法を考えた。でも、考えれば考えるほど答えの見つからない渦の中に落ちていくようで、この場を好転させることなんて出来ない。 「顔を上げないつもりなのか?」 「…う」 「いいぜ、あんたがそのつもりなら俺にも考えがある」 シノノメ様の足元と睨めっこをしていたわたしの前に大きな手がやってきて、顎を掴む。そのまま上に引き上げられ、意思とは反して彼の顔と対面することになってしまった。掴まれた手を引き剥がそうと抵抗を試みるものの、シノノメ様は顔色一つ変えることなく、余裕の笑みすら浮かべている。 「やっと俺を見た」 「シノノメ様が無理矢理したんですよ!?」 詰まる距離に心拍数が上がっていくのが分かるけれど、わたしは収める方法なんて微塵も知らない。槍で貫くように真っ直ぐな瞳はわたしを見据えて離さない。いつか戦闘で出会った獣も同じような瞳をしていたことが甦ったと同時にわたしは危機を感じ始めていた。直感で分かるのだ、危ないと。腹を空かせた獣というものは自分の生を守るために他の生き物を喰らう。生きるために必要なことだと分かっているけれど、やはりそれを実際見ると恐れを感じるのだ。 でもシノノメ様はお腹を空かせているわけではないだろうに。 「ふうん、やっぱり好みだな」 「な、なんの話でしょうか」 「あんたは気にすることないぜ」 顎から下りていくゴツゴツした指はわたしの喉をすーっと通っていく。喉を他人になぞられることなど経験の無いわたしにとっては、変な感触で手に思いっきり力が入った。手のうちに爪が軽く食い込んだところで、彼の手はわたしの身体から退いていく。でも壁についた片手は未だにその場所から動くことがなかった。 沈黙の時間を気まずく思い始めたところで、小さな通りから大通りに視線を逸らした。カムイ様が剣を持って歩いていくのが見えて、わたしはしなくてはならないことを思い出す。カムイ様、と名前を叫ぶために口を開こうとしたらまた先程の手がわたしの口に覆いかぶさった。カムイ様という言葉はモゴモゴして聞こえるはずもない。 「…呼ぶんだったら俺の名前がよかったな」 カムイ様の姿が見えなくなったところで、口が解放され、大きく息を吸い込んだ。シノノメ様は全くもって何を考えているのだろう。もう、わからない。 「名前、俺の名前呼んで」 「シノノメ様」 「違う、呼び捨てで」 「それはできません」 「…強情だな」 自分の思い通りにならなかったのが余程気に入らなかったようで、シノノメ様はわたしの肩を掴んで押し付けた。背中を軽く壁にぶつけて痛みが少しはしったものの、それよりも別のことに意識を取られる。 乾いたくちびるがわたしのそれを食んでいて。接吻だと気づいて厚い胸板を押し返そうにも微動だにしない彼は、わたしのくちびるを美味しそうに味わうような表情をしていた。閉じられた瞼の睫毛が長くて、綺麗で。がっしりした身体のクセに美しい部分も持っているなんて狡い。もう考えることをやめたわたしは目を閉じた。 わたしがくちびるに塗っていた口紅が彼のそれに付いて、ほんのりと水気を纏わせた。離れていったかと思えば、また吸い寄せられるように戻ってきて、くちびるが合わさる。何度も繰り返されるそれはシノノメ様本位の身勝手な行為だけれど、わたしを気にかけたような優しいものだった。 確かに接吻をしたのはシノノメ様で、わたしも最初は抵抗したかもしれないが、今は違う。わたしがして欲しいと望んでしまったから。彼と接する機会の中で、シノノメ様に対して好意を抱いていたことに気づいていて、もう一人の自分がその感情を殺してしまった。あの時、シノノメ様をすきだと思ったわたしは死んだはず。だけど、彼のせいでまた生まれてきた。ねえ、シノノメ様、わたしは。 何度触れ合ったか分からないその場所は熱を帯びていて、わたしの息は乱れていた。わたしの前で眉を下げて申し訳なさそうな顔をした彼は一言謝罪をする。違う、わたしが欲しいのは謝りの一言じゃない。それなら、わたしの中で膨らんでしまった思いは何処にぶつけたらいいの。シノノメ様はどうして、そんなことをわたしにしたの。一人で幸せな気分に浸っていた自分が馬鹿みたいで、感情をコントロールすることも出来なくなってしまったわたしの目からはぽろぽろと温かいものが零れ始めた。温かさが今は痛い。 「…っ、名前」 「シノノメ様は…お遊びかもしれませんが」 「ごめ、」 「謝らないでください!早く遊びだったと言ってください。その方がわたしは救われるんです。はじめて、だったのに…」 「名前」 「もう嫌です…わたしシノノメ様のことすきなのに、」 涙は零しても本音だけは零さないようにしようと思っていたけれど、止まらない涙と共につい出てしまった言葉にわたしはもう居ても立っても居られず、呆然と立ち尽くす彼の脇を潜り抜けて逃げ出すことにした。 とぼけていたけれど、シノノメ様が好みだなと言ったとき、胸が鳴ったのをわたしは自分で分かっていた。でも、敢えて気づかないフリをして、舞い上がらないようにと一度押さえた感情。突然の接吻を一度は拒否しようと抵抗したのに。それを全部出させてしまったのは他でもない、彼だ。先程の接吻に謝罪をするということはわたしに好意があったわけではない、あの行為自体に興味があって丁度良い相手でも探していたのだろう。仲間のことを気にかけて、国の未来を案じるシノノメ様がそんなことをするなんてわたしは今でも信じられないけれど。 「待ってくれ!」 「離してください…っ、これ以上わたし惨めな思いなんてしたくない!」 「おい、名前」 「やめてって言っているでしょ!!」 開いた手を勢いよく頬に向かってぶつけた。平手打ちなんて初めて。しかも相手は男の人。わたしが仕える王家の血筋の方なのに敬語も外れてしまった。もう、此処には居られないかもしれないだろうな、なんて思いながら全力で走ろうとしたのに身体は動かない。 どうして、わたしを離してくれないのだろう。シノノメ様が背中から手を回してきて、抱きしめている。これ以上傷つきたくなくて心も身体も防衛に入っているというのに、いとも簡単にそれを突き破ってくる彼には完敗なのかもしれない。 「聞いてくれ。俺もすきなんだ、あんたのこと」 「シノノメ、さま」 「いろいろ悪かった。いきなりあんなことして。でも、それでもあんたのことがすきなんだよ。守ってやりたいと思ったんだ」 「…待ってください。そんなこと言われたらわたし、」 「あんたがすきなんだ、名前」 腕の中でもぞもぞと動くと、シノノメ様はゆっくりと腕を外した。わたしはもう逃げることなんて出来ない。だって、もうお互いの気持ちを知ってしまったからには向き合わないといけないと分かっているから。 シノノメ様の後ろでは、洗濯物が入った籠からいくつか着物や白い布が飛び出て、その辺りを埋めていた。 「シノノメ様、あの、わたし…」 「やっと俺のこと、ちゃんと見てくれたか?」 「いいえ、わたしきっといつもシノノメ様のこと追っていました」 「名前、俺がいつもちょっかい出してるのに全然振り向いてくれないから、今日は勝負に出たんだ」 「それにしてもいきなりくちづけは駄目だと思います」 「…ご、ごめんって」 「でも、許します。わたしも甘いと思うけれど、ちゃんとシノノメ様がすきって言ってくださったから」 「何度でも言ってやるけどな」 「それは恥ずかしいからやめてください」 「あんたの恥ずかしがる所も俺は見たい」 「や、やめてくださいってば」 「今日からは俺の女だから、名前をずっと守るぜ」 頭をぽんぽんと撫でたかと思えば、頬にくちびるを寄せるシノノメ様にわたしは翻弄されてばかりだ。リョウマ様にどう顔向けをしたら良いか、カムイ様に洗濯物の件をどう説明するか等々考えなくてはならないのに。 |