夏の風物詩と言われている花火を今夜打ち上げ、祭りを開催すると白夜王国中に知らせが駆け巡った。王族の血筋の俺の耳に入ったのは、国民へのお布令が出る前で父さんには固く口止めされていたけれど、もう喋っても怒られることは無い。一番口止めに手を焼いていたのはキサラギの父さんだ。その光景を傍から見る分はとても滑稽で笑いを堪えることに必死だったのは記憶に新しい。朝から父さんたちの臣下は忙しく城を走り回っている姿を見せていて、俺はそれを横目に城を抜け出すことにした。今日くらいは目を瞑ってくれるよな、父さん母さん。一大行事でてんやわんやな城を抜け出すことなど朝飯前なもので、いとも簡単に外の空気を吸えるところまで来てしまって、逆に拍子抜けだ。さて、町でも繰り出して彼女の顔を見に行こう。







町は思った以上に賑わっていて、人々の口からはひっきりなしに今日の祭りのことが聞こえてくる。子どもたちは走り回って騒ぎ、いつになく明るい雰囲気が立ち込めていた。キョロキョロと町の様子を見回っているように見せかけながら歩くと、辺りからシノノメ様と声が掛かる。本当の目的は見回りでは無いのだけれど、感謝されることに悪い気持ちはしなかった。ただ、自分の中にある別の目的を思うと少し罪悪感は生まれる。
町の中心地に並ぶ店を目で追うと、見覚えのある後ろ姿を見つけた。あれはキサラギの父さんの臣下だ。俺の目的であった店に入って行ったため、このまま付いて行けば間違いなく鉢合わせになる。王族がこんな所で何をしているの、と言われて引き摺り戻されそうな気もしなくはない。だが今日は祭りだ。そんな堅苦しいことを押し付けてくるだろうか、なんて考えた所で思考を止める。もう、店の前。考えるより行動する方が性にあっている俺は控えめな速度で扉を開けたのだった。



「名前」
「…シノノメ様?」



振り返って此方を見ていたのは俺が呼んだ人では無く、オボロさんだった。暗夜を相手にした時の鬼も怖がるような恐ろしい形相は陰を潜めたようで、暫く見ていない。俺の姿をはっきりと認識したオボロさんは俺の目的を見抜いたように笑った。あーあ、女の人ってどうしてこんなに勘が鋭いのだろう。



「名前、愛しの彼が来てるわよー」



暖簾の奥に名前が居るようで、俺を気にしてくれたオボロさんは彼女の名前を呼んだ。名前は呉服屋を営む娘で、オボロさんはよくこの店に足を運び、時には店を一緒に運営していると聞いている。頼れる姉さんのような存在だと自慢げに俺に話してきたこともあるのを思い出した。



「シノノメ様、もしかして今夜のお誘いですか?」



姿を現さない名前を待っている間、オボロさんは核心を突くような言葉ばかりを投げつけてくる。俺が名前を好いていることや発展して付き合い始めたことが広まったのはこの人のせいと言っても過言ではないのだけれど、同時に協力してくれたのも目の前の人。とても感謝している。だが、からかわれることには慣れていないので勘弁して欲しい。もう少しすれば、これにも慣れてくるとは思うが。
口を閉ざしたまま黙ってしまったのを肯定と受け取ったオボロさんは可愛いわねー、とまた笑う。また一つ女の人が集まる時の話の種が増えたと思っているに違いない。



「あ、シノノメ様、いらっしゃっていたのですね。はい、オボロさん頼まれていた布です」
「ありがと。これでタクミ様の着物とついでにヒナタのも作れるわ」
「タクミ様の着物とヒナタさんの物ですね!オボロさんの見立てなら完璧です」
「ふふ、ありがと、名前。そろそろシノノメ様に構ってあげないと彼拗ねちゃうわよー」
「シノノメ様?何かご用は」
「名前、今日俺と花火を見に行こうぜ」



やっぱり、とばかりにクスクス笑うオボロさんの隣にやって来た名前はまばたきを何度か繰り返して、小さく頷いた。そのまま俯いてしまったために表情は髪の毛に隠れてよく分からなかったけれど、彼女は照れを隠すためにああいう風にすることが最近分かったので、きっと今も赤い顔を隠そうと必死なのだろう。上手く隠すことの出来ていない耳は赤かったけれど。
時間と場所を早口で述べたあとにくるりと背を向けて、店を出て行こうとするとオボロさんがシノノメ様期待していてくださいね、名前は可愛く着付けて送り出してあげますからー、なんて聞こえてきた。今でも充分魅力的なのに、それ以上の姿はもしかしたら周りの野郎どもの目を惹いてしまうかもしれない。槍を常備して周りに威嚇の姿勢を取るか、なんて考えながらそびえ立つ城を目指して歩いた。







俺と名前が二人で居るときは余裕を持って、照れさせ可愛がることが得意なのにどうも他の人の目があるときはそうもいかないようで、今朝誘いに行ったときは俺らしくない一面を見せてしまった。彼女がどう思ったかは分からないが。
城の近くにある小さな池に小石を投げ込むと、水面に映っていた月がゆらゆらと揺れ、満月は形を変える。水に小石が落ちる音は静かなその場に響き渡り、一定のリズムで鳴いているコオロギの声と上手く混じった。祭りの場所から少し離れたこの場所は本当に静かで、誰にも邪魔されることは無いだろう。大体この辺りは城の者たちしか居ないはず。花火も此処から見えるといいな、なんて。



「シノノメ様」
「来たか、名前」



声のした方を見やると、丁度月の光が当たらない木陰に隠れた名前が佇んでいた。そんな所に居ては、膝辺りの浴衣の柄と下駄しか見えない。もっと、こっちに来いよ、そう言っても彼女の下駄は動かなかった。再度呼びかけても身動き一つしない。
池の傍に座り込んでいた俺はゆっくり立ち上がると、顔も見えない彼女の元へ歩いて行く。顔も見せてくれない、浴衣姿を見せてくれない、そんな彼女を月の下に連れて行くのは最初から俺の役目だったのかもしれない。
暗闇の中の小さな手を捕まえ、力任せに引っ張ると傾いた身体が俺の方へ飛び込んできて、これはラッキーとばかりに抱き込んだ。そしてそのままひょいっと持ち上げると、草むらの上に下駄が転がる。顔や姿をなるべく視界に入れないようにして、先程自分が腰を下ろしていたところにもう一度座った。



「名前、こっち向けって」
「…ゆ、浴衣が皺になっちゃう」



膝に乗った彼女は未だに顔を見せようとせず、俺から顔を背けてしまう。浴衣は汚れを知らない真っ白な色を基調として、小さな花が散りばめられたもの。月光で赤、桃、黄の色が浮かび上がるように主張していた。顔を背けた彼女の髪の毛は綺麗に編み込まれていて、普段は髪に隠されていて見えない白いうなじが顔の代わりに見えている。結んでおらず、編み込まれてもいない少しの後れ毛は艶やかさを醸し出していた。
胸を締め付けるこの想いを言葉ではなく、溜め息で吐き出すと、それが丁度彼女の首筋辺りを掠めたようで背筋がピンと伸びた。帯の結び方もあまり目にしないもので、器用なオボロさんの手にかかるとこんな芸術作品のような結び方が生まれてしまうよう。
完全に背を向けた名前だが俺の膝の上からは決して動こうとはしない。面白いものだ。浴衣に守られた両肩を掴み、襟の右側の隙間に指を入れて裄側へ少し引っ張ると、吸い込まれるように肩に軽く噛み付く。力を抜いて、軽く、優しく。食べてしまいたいけれど、今しか味わえない浴衣姿を崩してしまうのが惜しい。皮膚を食んだあとは、そのままくちびるをくっつけて軽く吸った。何度も繰り返していると名前が急に口を押さえだすものだから、左手を肩から離し、口を塞いでしまっている彼女の手を力ずくで退ける。くぐもった声じゃなくて、ちゃんと声が聞きたい。



「…っあ、しののめ、」
「ん?」



紡がれる言葉の続きはきっと、止めてくださいシノノメ様、だろう。俺にとっては非常に面白くない。これでは俺ばかりが欲しがって、名前の気持ちが分からない。俺のせいで余裕が無い彼女を見ていることで満足感を得られることもあるのだが、名前が俺を欲しがる姿だって見たいのだ。
肩からくちびるを離して、くるりと身体の向きを変えたところで今日初めて目と目が合った。普段とは違う化粧でほんのり大人っぽさを漂わせてはいるが、あどけない娘に違いは無い。



「あの、シノノメ様」
「止めてなんかやらねえからな」
「いえ、くちづけをして、欲しくて…」
「名前」
「…はい?」
「俺の女は綺麗だな、名前」



夜空に花が咲き始めたのも同時だった。
彼女の瞳の中は俺でいっぱいで、花火なんて映っていないと思うけれど。



ALICE+