玄関の扉をちゃんと閉めたか、なんて覚えていない。仕事が終わると同時に全速力でやって来た上に名前さんの家のインターホンを押すこともなく、押しかけの強盗のようにオレは家の中に入った。ドタドタと行儀の悪い足音を立てていたが、それも気にしない。彼女に落ち着きなさいと注意されることは承知の上である。短い廊下を通って、リビングへの扉を乱暴に開けば、眼鏡を掛けて読書でもしていたのであろう名前さんは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに頬を膨らませてお怒りの形相だった。きっと、確認もせずに家に上がったことや廊下での行儀の悪さを指摘したいのだと思う。けれども、オレはそんな細かいことを気にしていられる程、今は余裕がなかった。仕事の依頼内容のせいだと思う。依頼主は恋人からのプレゼントをどこかで落としてしまったらしく、その依頼を解決して欲しいとのことだった。少しばかり高価な代物だったために最終的には盗まれていたことが分かったのだが、そのプレゼントした恋人が物よりも貴方が居てくれることの方が何よりも大切なのよ、と依頼主に言っている場面にちょうど出くわしてしまったオレは真っ先に名前さんのことを思い浮かべたのである。恋人の台詞を最初から最後まで聞いてしまったオレの耳にはその後のお礼の話など、右から左へと流れていくようで全く残っていない。帰る途中にレクターが名前さんにあまり無理をさせないでくださいね、と零したのをオレは聞き逃さなかった。ああ、早く、触れたい。誰にも見せない、オレの前だけで見せてくれるその表情、声、仕草が今、欲しい。本にしおりを挟んだ名前さんがテーブルにそっと置くのを見計らって、両腕を隙間に差し込むと椅子から引き離すように持ち上げた。紅茶の香りが鼻を擽るが、やはり一番に彼女の匂いがオレを狂わせてしまうのである。ふんわりと香るその匂いはオレの足を窓の近くのベッドへと急がせた。



「スティング!わたし、怒って、」
「…名前さん、オレ、今日は」
「勝手に入って来るし、足音は煩いし、おまけになんで抱き上げてるの!」
「…ごめん、でも我慢出来ないから」



ベッドにゆっくりと寝かせるだけは優しく丁寧に出来たので合格点を自分でも付けたいと思うが、それ以外のことは点数も付けられないくらいだ。目も当てられない。名前さんがいつも言っていることを一つも守っちゃいない。彼女が怒るのも無理ない話だ。結っていた髪を解いて枕元に散らばせるように弄ぶと、白いベッドシーツの上に色が落ちたように彼女の髪が映える。何もなかったスケッチブックの1ページに絵の具を一滴、二滴落としていくようにじんわりとその場所を彼女色に染め上げていくのだ。ふわふわとした髪の毛に触れ続けていると、名前さんが起き上がって逃げようとしたのでオレは腕を掴んで彼女の身体を押し倒す。くちびるをきゅっと噛んで悔しげな表情を浮かべているのを見て、背中がゾクリとした。名前さんはオレのせいで動けない。なんだか支配感に満ち溢れていて、変に興奮する。起き上がってくるのを防ぐために、彼女の足の間に身体を滑り込ませると、両肩の横に乱暴に手をついた。ベッドのシーツがめり込んで、スプリングが音を立てる。びくり、名前さんの肩が跳ねたのを見逃さなかったオレはそっと笑った。食われる、なんて思ってんのかな。目が合ったと思えば、顔を背けて両手で髪を弄り横の角度から見えていたはずの顔も隠してしまった。見ないでと言わんばかりに抵抗する彼女の髪を一束掬い上げると、耳にかける。瞳がひっきりなしに揺れているのが見えて、やっぱり自分が今からオレに食べられてしまうことを確信しているのがよく分かった。手始めに耳から頂くとするか。白く柔らかい耳たぶを食むと、小さく悲鳴が上がって思わずオレの口元が緩む。悲鳴といっても、拒絶ではない。反射的に自分の口から飛び出した声が信じられないようで、名前さんは両手で口を押さえていた。ぎゅっと瞑られた瞼もヒクヒクと忙しなく動き続ける。欲しくて堪らない女の人を少しずつ食べていくことがこんなにも嬉しいことだなんてな。ベッドについていた両手を外して、彼女の横に寝っ転がるとその手を次は名前さんの背中に回して、ぐっと引き寄せる。男のオレが持たない、いい匂いがますます欲を昂ぶらせた。柔らかい身体も充分に堪能しなくてはならない。



「名前さん、オレに食われると思ったでしょ?」
「…う」
「本当はそのつもりだったけど、ちょっと落ち着いたからまた今度にするよ。今は名前さんとこうしているだけで満足」
「び、びっくりさせないで」
「…でもな、あんまりそんな顔すんな」
「顔?」
「襲われても文句は言えねえ顔、してる」



腕の中で暴れ出した名前さんはオレを突き飛ばそうと必死だったけれど、腕っぷしで男に敵うはずもない。ましてや滅竜魔道士に勝てる見込みなど到底ないのに離れようとする。随分昔からオレのものなんだから、今頃逃げ出そうとするなんて無駄なんだけどな。そう心の中で呟いたオレは彼女の前髪を掻き上げてくちびるをほんの一瞬だけくっつけた。途端におとなしくなるものだから、この可愛いお姉さんは絶対に逃がせない。




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