「来馬せんぱーい!」
「そんなに走らなくても大丈夫だから落ち着いて」
「だ、だってせっかくの遊園地ですから!」



昼食を済ませて席を立ったわたしの前を何も言わずにすっと通り過ぎて行った来馬先輩は鞄から財布を取り出すと会計をあっという間に済ませてしまった。鞄の中にあったわたしの財布は取り出されることもなく、慌てて先輩の背中を追いかけて行く。追いついたところでお金の話を持ち出すと名前ちゃんは気にしないでいいよ、と一言それだけ返された。遊園地の中には食事を出来るところはたくさんあるのに一番美味しくて値段が張るレストランに連れて行くものだから、お店に入る前にも来馬先輩に声をかけようとしたのだけれど、その時も同じ言葉を言われたのは記憶に新しい。
感謝の言葉を述べると、遠慮がちに大それたことはしていないからと言う。遊園地のマップを開いた来馬先輩は指で今の位置を確認しながら、近くのアトラクションの名前を読み上げる。その横顔は楽しそうで、わたしもなんだか嬉しくなってしまった。いくつかの名称が挙がったところで先輩が行きたいところを言うのを待っていたけれど、何も言わずにマップと睨めっこしている。



「先輩?」
「名前ちゃんが乗りそうなのはどれかなーと思って。本人に聞いた方が早かったね」



マップが見える位置までおいでとばかりに手招く先輩に近づくわたしの足は一歩進むごとにその速度が落ちていく。一歩進んだら、一回呼吸を整えて、また一歩。その様子を不思議に思ったのか先輩が途中で一気に距離を縮めてきたものだから、びっくりしてマップに目を向けないまま、適当な場所を指で突くと距離を取った。クスクスと笑いながら来馬先輩はわたしの指が触れたその場所へ行くルートを考え出したようで黙り込む。なんだか、ずるい。先輩ばっかり余裕あって。緊張を誤魔化すようにいつも以上に元気に振る舞っているわたしは余裕なんてない。そもそも、先輩と二人なんて、どうすれば。



「かわいいね」
「へっ…?」
「女の子はやっぱりかわいいものが好きなんだね」



マップを見ながら歩く先輩は一定の距離を保ちながら、何かを指差してそう言った。わたしの歩くスピードは一定ではないはずなのに来馬先輩との距離は離れることもなければ、近づきすぎることも無い。そして不意に口走った先輩が指し示した対象はメリーゴーランドだった。適当にわたしが決めた場所はどうやら、来馬先輩の向こう側でくるくると馬や馬車が回っているあのアトラクションのようだ。おもちゃの馬と馬車だとは分かっているからこそ気恥ずかしい。今更やめましょうなんて言えずに先輩と歩き続けるとその場所へはすぐに着いてしまった。
白馬、黒馬、おとぎ話に出てくるような馬車。回転をちょうど止めたようで、わたしたちの前でストップしたカップルが顔を見合わせて笑っているのが見えた。名前ちゃんはこういうのがすきなんだね、と声が聞こえたかと思えば、くいっと先輩の方に引っ張られる。いつの間にか捕まえられていた手は気づいた途端に熱を持ち出した。



「どれがいいの?」
「え、えっと…」



正直、乗る物を選ぶというよりも繋がれたままの手が気になってしょうがなかった。メリーゴーランドの馬たちは瞳をまんまるにして此方を見ている。瞬きをしない馬たちはまじまじと見つめてくるのだ。わたしと先輩の繋がれた手を。華やかな飾りで全身を包んだ彼らは一瞬だけの本物のような瞳をしていた。風で少し揺れるたてがみ、草木を掻き分けて走ってくる、それは生きた馬で。



「この馬にします!毛並が素晴らしいので!!」
「うん。わかった」



想像の世界と現実の世界の狭間で迷子になっていたわたしはトントンと控え目に肩を叩かれたことによって、現実へと引き戻された。近くに居た馬を見ながら大声を張り上げると、先輩の手は離れて行ったのでうるさい心臓が少しは収まったかなと思えば、そんなことはなくて。背中に回った手がゆっくりとわたしを馬の元へと誘った。段差があるから気をつけてね、という言葉が聞こえたような気もするけれど、それよりもこの状況を脳で処理しきれない。頭が真っ白になってしまいそうなわたしはなんとか馬に跨って、危険防止用のベルトを自分で締める頃には冷静さをほんの少しだけ取り戻していた。そういえば、来馬先輩は。



「名前ちゃん」



キョロキョロと大袈裟に人を探すフリをしたわたしだったけれど、先輩の姿なんて一瞬で見つけてしまっていた。カメラを構えた先輩はわたしが声を出す前にシャッターのボタンを押したようで、カシャリと撮影の音だけが響く。絶対、変な顔をしたわたしがあのカメラに収められているに違いない。



「…やっぱりかわいいものにはかわいい人、だね」



アトラクション開始のアナウンスが終了し、回転開始を知らせるベルが鳴る。わたしの斜め前の馬に跨った先輩は素早くカメラを鞄に入れると、それから此方を向いてくれることはなかった。くるくる、くるくる、景色は回る。馬たちは走る。来馬先輩の耳はいつまでも赤い。それを見たわたしの頬はじんわりと熱を持ち続ける。







会話もあまりないまま並んで歩くわたしたちはさながら出来立てのカップルのようだと思ったのは自分の首を絞める結果になった。これではわたしと来馬先輩が本当にカップルで、初めてのデートを楽しんでいるのだと思い込んでいるのと同じである。遊園地のチケットがペアで手に入ったから行こうと誘われたのはわたし。誘ったのは先輩。きっと何人か予定を聞いて回って都合が合わなかったためにわたしに順番が回ってきたのだろう。思いがけぬ誘いに舞い上がって、昨日の夜は準備で部屋の中を行ったり来たりした。どんな服がいいかな、化粧はどんな感じにしようかな、と。パソコンを開いて今流行りの格好を検索したり、友だちにアドバイスを貰ったり、普段なら絶対しないようなことばかりをした。慣れないことをして失敗しないかな、珍しいことをしたから遊園地の日に雨が降らないかな、なんて心配もたくさん。
隣を歩いている来馬先輩はそんなわたしのことをどう思っているのだろう。尋ねる勇気なんてこれっぽっちも持ち合わせていないので、分からないままだけれど。



「ここの観覧車は景色がいいって有名なんだよ」
「そうなんですか?ぜひ、乗りましょうよ!」



説明をしてくれるということは先輩が乗りたいのだろう。深く考えることもせずに観覧車のお兄さんに声をかけると、扉を開けたら足元に気を付けてお乗りくださいねと言われた。先輩ラッキーですね、すぐに乗れそうですよと言うために来馬先輩の方へ振り返ると、目が合った瞬間に顔を逸らされる。泳ぐ瞳は何処か遠くの方を見ていて、わたしの言葉なんて耳に入りそうもない様子だったので、くちびるを軽く噛んで言葉は呑み込んだ。
開かれた扉の向こうは小さな空間があって、お兄さんがそれではいってらっしゃいと扉を閉めてしまえば、もう誰も入ることを許されないわたしと先輩だけの空間だった。先に乗り込んだわたしの前に座るかと思いきや、隣に先輩が腰を下ろしたので思わず反対側に身体を寄せる。閉め切られた空間は観覧車の稼働音だけがずっと聞こえた。内側に少しでも身体をずらすと肩に触れてしまいそう。わたしたちは、付き合っている男女ではないのだから意識をすることなんて無いはずなのに。



「せ、せ、先輩、なんで前に座らなかったんですか?」
「…う」
「わ、わたしが動きますね!?そうします!」



観覧車はもうすぐ頂上だ。せっかくの景色がわたしたちを待っているのだから、その前に移動を済ませてしまわなければならない。揺れを引き起こさないように慎重に立とうとすると、わたしの左手が掴まれた。立ち上がろうと力を入れて踏ん張った足は止まる。



「あの、」
「名前ちゃん」
「もしかして先輩が向こう側に座りたいってことです?そ、それなら遠慮なく…!」
「…ううん」



首を振る先輩は何かを続けて言おうとしたようで口が動く。けれど、その口から言葉は零れてこない。来馬先輩が勧めてくれた景色を眺めることもすっかり頭から抜け落ちていた。それよりも、先輩が離してくれない手と何とも形容し難い表情から意識を逸らせずに居る。遠くの景色よりも今は先輩のその、表情が。



「聞いてくれるかい?」
「もちろん…ですけど」
「一回だけしか言わないよ。恥ずかしいから」
「は、はい」
「みんなにさ…恋人は君って言いたいんだ。意味、分かるよね?」



観覧車はあとどのくらいで出発時点に戻るのかな、なんて頭の片隅で考えながら先輩の言葉を聞いていたけれど、その思考はいとも簡単に吹っ飛ばされた。耳から入った言葉は反対側の耳から流れるように出ていったけれど、わたしの脳はしっかりと先輩の言葉を受け止めている。メリーゴーランドの時とは比にならない程に赤く染まる頬をしたわたしが来馬先輩の背後の窓に映っていた。





Title:さよならの惑星

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