照りつける太陽はとても眩しく、地から見上げる空は澄んだ透明な青色をしていた。青色の中を忙しなく翔けている白と朱色を目で追うのが精一杯でしょうがない。近くにあった大きな岩に腰掛けてみれば、角張った部分がお尻に刺さるようで少し痛かった。空で楽しく遊んでいる彼と天馬はわたしの不機嫌な様子に目もくれず、二人きりの世界を楽しんでいる。戦闘中は天馬の思い通りに空を翔けさせてやることができないことを可哀想に思ったツバキさんはこうやって休戦の日は毎回同じようなことを繰り返しているのだ。わたしが放置されることも今に始まったことではない。放置という言葉をわたしは選んだけれど、実は彼とわたしはそういう関係にまで至っていなかった。一方的な片想いに過ぎないのである。だから、別に天馬とツバキさんが戯れている様子はわたしが勝手に見つめているだけだ。視線は彼だけを追っているのだけれど、わたしの心の叫びが伝わるはずもなく、休暇の時間を無駄にしてしまっていると言ってもいい。わたしはこの時間が無駄なものだとは決して思っていないけれど。
ゴツゴツした岩の上で戦闘用の槍を磨き始めたわたしは、愛馬を放り出してきたことを思い出した。ちょうど近くにいたサイラスさんに短時間預けるつもりだったのだけど、この調子だと短時間でわたしの気が済むことはないだろう。サイラスさんの馬の手入れは入念であるし、愛馬もたまには別の人に毛繕いしてもらうのも気分転換でよいのかもしれない。
もし、わたしが天馬だったら。毎日ツバキさんのあの細くて綺麗な指をした手で優しく撫でられるのかもしれない。頭をそれはもう恋人のように愛おしい程に撫でられて、まるでお姫様扱いをされているように錯覚するだろう。そして、戦闘中は彼の役に立つために戦場を奔走する。背中に乗せたツバキさんは勇ましく美しい横顔をたくさん見せてくれるのだろう。天馬の目線からは見えないけれど、背中から漂う雰囲気で大体把握できそうだ。そして、もし野営をする羽目になったのなら、ツバキさんが天馬であるわたしに寄りかかってぬくもりを分かち合いながら、夜を明かすのだろう。想像しただけで、本当の恋人のような毎日にうっとりしてしまう。でも、難点はある。彼と言葉を交わすことは難しいだろう。もちろん完璧主義者のツバキさんだから、動物と心を通わすことなんて心得ているはずだ。しかし、わたしが言いたいことが本当に伝わるのだろうか。それに、手を繋いだり、お互いに抱きしめ合うことなんて絶対にできない。傍にいるけれど、本当はとても遠い存在なのかもしれない。
天馬の嘶きが聞こえて、空想の世界から自分を引き戻したわたしは目の前に立つツバキさんが大層不思議そうな表情でこちらを見つめていることに驚いた。至近距離で見つめられて、思わず息を呑む。一輪の花を差し出すツバキさんはわたしの様子を見て、クスリと笑った。



「うわの空ってところかなー?」
「…と、突然現れないでください!」
「うーん、俺には君が来て欲しいなってオーラを出しているような気がしたけどー?」



いつも槍や天馬に触れている手が伸びてきて、手首を捕らえられる。相手がツバキさんだということも加わって、避けるという反射も鈍っていた。今は彼であったが、気を抜いていては戦場で何が起こるか分からない。いつも警戒は怠らないようにと散々ヒノカ様に言われているのに。掴まれた手首を動かすことはできず、代わりに五本の指を波打つように動かした。すると、大きな瑞々しい花弁から伸びる茎の部分をその指にツバキさんが触れさせる。植物の独特な感触がわたしの指を誘った。茎に触れて思わず止めてしまった指の動きを見計らったようにツバキさんがその一輪の花をわたしに持たせる。包み込む彼の手に抗うことができるはずもなく、わたしの手にまんまとその花は収まった。



「完璧だねー」



ツバキさんの手が触れているというだけで無駄に力が入ってしまいそうで、わたしは必死に力を加減しようと奮闘していた。せっかく貰った花をダメにしたくはない。持って帰って、自室の空いたままになっている花瓶に一輪差すのだ。ツバキさんから貰った一輪の花を。彼から直接貰ったことに全ての意味がある。例え同じ花を自分で摘んできたとしても、意味がないのだ。わたしのために、ツバキさんが摘んでくれたことが大切なのである。もしかしたら、気まぐれでその辺りに咲いていた花を見繕うこともなく、無作為に取ったのかもしれない。でも、それでもよかった。
わたしの手首から離れていく彼の手を引き止めたいと思ったけれど、わたしの身体のどこにもそんな勇気はなくて、ただただ遠ざかっていく憧れの手を見ていた。そして今まで触れていた場所に意識を持っていかれて、お礼の言葉すら満足に出てこない。



「ねえ名前、前から不思議に思っていたことがあるんだけどー」
「…な、なんでしょう」
「名前にも馬はいるのに、いつも天馬を羨ましそうに見ていると思っていたんだー。だけど、君の今の顔を見て、そうじゃないと分かったよ」
「わたし今、どんな顔を」
「ねえ、ずるいよ。そんな顔しちゃうなんてね。俺の調子狂わせないでよ」



普段の喋り方から少し軽い性格に見られがちなツバキさん。片想い中のわたしも軽い人なのだと思っていたし、喋り方も語尾を伸ばすのが彼なりのスタイルだと思い込んでいた。でも、今明らかに話し方が別人のようで、ツバキさんではないよう。
岩の上から身体が持ち上がるのは一瞬のことで、花弁と共にわたしの髪の毛も揺れる。空に浮いたかと思えば、先程見つめていたはずの顔がすぐ傍にある。背中と足に触れているであろう腕の部分はとても硬い。岩のように痛覚を刺激するような硬さではないのだけれど。一輪の花が潰れないようにわたしは腕を彼の身体から少し遠ざける。少し不満そうな顔をしたツバキさんがいたけれど、この花をくれたのは他でもない彼本人である。



「完璧な俺から完璧を取らないでよねー。いつでも完璧じゃないとさー」



わたしを抱えたまま、身軽にひょいっとわたしが今まで座っていた岩の上に飛び乗る。また、目が合った。大きな瞳が片方だけぱちりと閉じられる。長い睫毛から流れ星でも降ってきそうな勢いだった。くちびるの形を少し尖がらせて、隙間を空けたかと思えば、天馬を呼ぶ時の合図の音が流れだす。大きな羽音が聞こえてそちらに目をやれば、木陰に座り込んでいた天馬がこちらに向かって翼をはためかせて飛ぼうとしている姿が見えた。周りに落ちていた木々の葉が突風によって舞い上がり、天馬の周りを飾るように風に乗って踊る。ふと思ったけれど、天馬はツバキさん以外を乗せたがらないはずだ。それにこのままツバキさんが天馬に乗ってしまうと、わたしも自動的に乗ることになるのでせっかくもらったこの花が勢いに負けて吹き飛んでしまう可能性だって否めない。もう、わたしの口からは否定の言葉しか溢れてこない。



「ツバキさん!天馬はわたしを嫌がります。それにこのお花が!」
「もう、名前静かに」



続きを言おうとした口は口笛を奏でた形のよいくちびるに塞がれてしまって、言葉を呑み込むことしかできなかった。天馬がわたしたちの前に到着したと同時にツバキさんは少し怒ったような表情を見せながら、くちびるを離す。



「今度うるさくしたらまた塞いじゃうよー。俺は大歓迎だけどねー」



天馬の飛ぶスピードはいつもに比べて本当にゆっくりだった。それに加えて、天馬が嫌がる素振りなんて一つも見られない。わたしの心配は杞憂だったというわけだ。
わたしは自分の手元で真っ赤に咲く花を見つめ続ける。緩やかな風に揺られる花はわたしの心のときめきを映した鏡のようにしか思えなかった。



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