キルヘン・ベルはのどかな街並みであるけれど、たくさんの人々と技術によって非常に豊かな街だった。初めてこの街に越してきた時には様々な設備に驚かされたものだ。わたしは街の中心部の位置する教会の近くに小さなお家を借りて、そんな街で暮らしている。錬金術というわたしの知らない術を使いこなすソフィーちゃんが最初にお家に訪ねてきてくれて、お互いに挨拶を交わした。年があまり変わらないことが分かって、少し安心したのも記憶に新しい。年上の人は話しかけづらいというか、頼り難いと思っていたのでソフィーちゃんと仲良くなれたのは本当に助かった。といっても、何でも相談するのは自分のためにならないので、困り果てて行き詰まった時だけはソフィーちゃんにお願いする。 わたしはそんな小さなお家の一部分だけでアクセサリーのお店を始めた。宝石になる鉱石だったり、鳥の羽根などたくさん必要なものはあったけれど、キルヘン・ベルの近くにはそういった資源が大変豊富なのである。そういう魅力もあって、わたしはここへ引っ越してきたというのもある。モンスターが出るため、一人で外に出ていくのは怖いけれど、先程も言ったようにソフィーちゃんという力強い味方を得たために遠くまで採集に行くことも可能なのだ。もちろん、ソフィーちゃんだけでなく、彼女の仲間だという人にもお世話になっている。個性豊かな人たちで笑わせてもらってばかりだ。前の街よりもたくさん笑えているのではないかな。 その中に大剣を振り回す騎士様がいるのだ。ソフィーちゃんから騎士様がいると聞いた時は、お堅い人できっと気難しい人なのだろうと勝手な偏見を持っていたけれど、実際会ってみればイメージと全く違う人で拍子抜け。騎士様でいて、王子様のように輝いて見えた。優しい人にこれまで出会ってきたつもりだったけれど、こんなにも優しくしてもらうなんて今までにもないし、これからもないように思う。そんな騎士様はわたしのお家から一番近いところに住んでいることが判明した。そして、その騎士様がぽろっと零した一言からわたしと彼の関係が少しずつ変化している。ひとりで食事をするのは寂しくないかい、と。僕もひとりだから一緒に食べよう、と。当初は何を言い出すのかと思った。男の人と二人きりの食事だなんて、経験のないことに動揺して返事を出来ずにいたわたしの顔は自然と真っ赤になっていたようで、後からソフィーちゃんからこっそり質問される羽目になったっけ。名前ちゃんってジュリオさんのことがすきなの、錬金術のことを考える時のようにキラキラした瞳で迫られるものだから、わたしは慌てて違うよと返した。その焦燥っぷりがソフィーちゃんには怪しく映ったようで、友だちなんだから遠慮しないでよ、と意味深な笑みを浮かべられた気がする。 騎士様の名前はジュリオさんという。好きか嫌いかと問われたのなら、もちろん好きと答えるが、ソフィーちゃんがわたしに聞いたのは恋愛の意味ですきかどうかだと思う。そこまで鈍くないわたしはソフィーちゃんのニヤニヤした顔を見て、その場は濁すように話を逸らした。もし、今同じことを聞かれたのなら、きっと恋をしていて、わたしはジュリオさんのことがすごくすき、と答えるだろう。毎日わたしと顔を合わせるジュリオさんは、いつも気にかけてくれるように会話の中でわたしが不自由していないか、困っていないか、さらりと尋ねてくるのだ。大丈夫ですよ、と返せば、必ず返ってくる言葉がある。僕が力になるから、いつでも遠慮なく言うんだよ、と。どこまでも広がる透き通った空のように心が広いと比喩が似合うのかな。偶然近くに住んでいて、偶然ソフィーちゃんを通じて仲良くなっただけなのに、わたしはお姫様にでもなったかのような気分だった。王子様がいつもドレスを着たお姫様を優しく抱き上げているような、そんな感じ。女の人を軽々と持ち上げられる程に鍛えられた身体に、いつでも気を配ることの出来る紳士な心、それに王子様になくてはならない優しい笑み。足りないものなんて存在しないのではないかと思うくらいの完璧な人だと思う。そんな人に恋をしてしまったわたしも大変だ。隣に並ぶということがどれだけ難しいことなのか。あのジュリオさんに並ぶにはどうしたら良いのだろうか。いつもここまで考えて、わたしにはジュリオさんなんて手の届かない存在だという結論になり、考えることを放棄する。 時計をふと見れば、そろそろジュリオさんが依頼か訓練を終えて帰って来る時間だった。全開にしたままの窓の淵に両肘をついて、先程までずっと考えていた騎士様の姿を目で探す。今日は依頼で外に出たのか、訓練のために外に出ているのかは分からないが、夕食を共にしようと彼から提案があった日以降、外に出ていたジュリオさんはそのままわたしのお家にやって来るのだ。それを今か今かと窓から待ち遠しく思う図をフリッツさんに目撃されて、恋する若き乙女は絵になるなと言われたこともある。つまり、フリッツさんもお見通しというわけだ。その時はくちびるに人差し指を当てて、懸命に内緒にしてください、ジュリオさんには絶対言わないでくださいとお願いしたはずである。フリッツさんはとても楽しいことを見つけたかのように、今日は人形作りが捗ると言っていた。こちらからすれば、ハラハラで心臓が痛い程鳴りっぱなしだというのに。夕陽が眩しくて、一度目を瞑る。真っ赤なそれは今の時間、わたしのお家に一番よく当たるのだ。 「名前、ただいま」 声に驚いて目を開けば、笑顔で至近距離にジュリオさんがいた。びっくりしたわたしは窓の淵にかけていた重心を上手く動かすことに失敗して、窓の外へとその身体ごと乗り出していく。もちろん、向かう先は地面で視界いっぱいに地面が広がった時、反射的に瞬時に目を瞑った。夕陽が眩しいときに目を瞑ったのとはワケが違う。大きなたんこぶが額に出来たら、ソフィーちゃんに塗り薬でも作ってもらおう。 「…っと!危なかったね。すまない、僕が急に声をかけたから…」 「あれ…?」 おでこの痛みは強烈なものではなく、僅かなものだった。それも、とても固い物に当たったのではなく、衝撃から身を護るような物の硬さで。それに今、わたしはどんな体勢なのか分からない。自分の身体全体のどこにも力を入れていないのだ。もう大丈夫かな、なんて優しい声は上から降ってくる。ゆっくりと顔を上げてみれば、自分のお家の前を通る道 の景色が視界の半分くらいに映っていて、あと半分は鎧と思われる物に遮られていた。更に顔を上げると、帰りを待ち侘びていた騎士様の顔がある。どうやら、わたしが落ちた時に地面とわたしの間にジュリオさんが入り込んで助けてくれたようだった。座り込んだジュリオさんはひとつ息を吐く。顔を合わせるのが恥ずかしくて、少し逸らしてしまったわたしの耳に直接かかって、身体が勝手に震えて変な声まで出てしまった。急いで口を両手で塞いだけれど、出てしまったものを隠すなんて到底出来るはずがない。穴があればすぐにでも入りたい。 「ふふ、君に怪我がなくて良かったよ」 「あ、ありがとう、ございます…」 「さあ食事にしよう」 恥ずかしい気持ちが溢れて止まらない。わたしは、あのジュリオさんに事故とはいえ抱きつくような形になってしまったのだ。まるで帰りをいつかいつかと長く待ち続けた女が、久々の再会をして男の胸に飛び込むような、そんなワンシーンを彷彿させる。恋愛を題目にした劇でよく見る光景に非常に似ていた。食事をして、お話をするだけの関係なのだから、こんな風に近づいてはいけないのに。 「名前、もしかして動けないのかい?それなら僕が君を抱いて運ぶけれど」 「えっ、あ、あの、」 「どこか痛いところがあるのかい?」 「自分で歩けます…!」 「本当かい?」 「は、はい」 「それなら良かった。女の子に怪我があってはいけないからね」 いつまでもこの体勢を崩さないでいたわたしに何かあったのではないかとばかりにジュリオさんが手や足に触れ始めたので、飛び上がるようにして彼から距離を取った。確認をするために触れたのだろうけれど、恋をしている相手に触れられるというのは特別なことで、心の準備もいる。ジュリオさんからわたしは近くに住む友人の女の子という目でしか見られていなくても、わたしからジュリオさんを見る目は違うのだ。触れられたところが熱を持って、熱い。彼の手が熱いわけではなく、わたしの身体が火照ってしまうのだ。 ジュリオさんとお家に入ったわたしは兼ねてから準備をしていた食事をテーブルの上に運ぶ。その間に彼は戦闘用に身に付けている鎧等の装備を全て外し、軽装になる。その姿もまた、絵になるというもので本当に狡いとしか言いようがないのだ。引き締まった筋肉に、頼れる大きな背中に。重装備の時にはわからないところも今の姿なら分かってしまう。魅力的なところを披露するようで、いちいちわたしはキューピッドの矢で射抜かれる。ジュリオさんの前では平然としているのだけど。 「あとは温めないといけないので、待ってもらえますか?」 「ちょっといいかい?温めるのは後でいいから」 「何か足りないものでもありましたか?」 取り皿やスプーン、フォークなどを運んでいると、着替えを済ませたジュリオさんがわたしに温めるのは待って欲しいとストップをかけた。調味料なども用意したはずだが、彼の中ではまだ足りないものがあったのだろうか。不思議に思いながら、テーブルの前で唸るジュリオさんの元へ歩いていく。テーブルに向き合うようにして立っていた彼は突然わたしと向き合う形になると、先程助けてもらった時に触れた腕の部分を今度は逃がさないとばかりに掴まれて、手を引かれる。言葉も出ないわたしはジュリオさんに引っ張られるようにして、その後ろを歩いた。どこに連れていかれるのだろう、と思う反面、心臓の激しい鼓動を抑えなくちゃと必死なわたしもいる。何も言わないジュリオさんはわたしたちがいつも食事を終えたあとにゆったりと過ごしているソファーへ向かっているようだった。ソファーの前で立ち止まったジュリオさんは、それに背を向けてまたわたしを見る。彼は一体わたしに何を伝えようとしているのか。全く予想も出来ないわたしは吸い込まれてしまいそうな程、見つめてくる彼の瞳に負けてしまっていた。目を合わせられない。 「名前。さっきから僕と目を合わせないね。それに、どうしてそんなに挙動不審なのかい?」 「そ、そんなこと…」 「いつもと全然違うんだ、君が。さっきのがそんなに嫌だったのなら謝りたい。それに僕と無理に食事をしようとしなくていい。名前の正直な気持ちを聞かせてくれないか」 どこか遠くを見つめているようで、心ここにあらずといった寂しそうな表情を浮かべたジュリオさんはわたしと目線を合わせるように背を屈めた。違うの、そうじゃないの、ねえジュリオさん。言葉は出来上がっているのに、声にならない。ジュリオさん、あのね、わたしは、あなたといることが本当に嬉しいの。彼に掴まれていない方の手をぎゅっと握って、顔を下げる。くちびるをぎゅっと噛む。両サイドの髪の毛で自分の顔を隠して、ジュリオさんに見られないように。わたしの気持ちも隠してしまうように。 開けっ放しの窓がカタカタと揺れている音がする。床の板目を目でなぞるように追っては、早くこの空間から解放されたいと願った。初めて、彼と一緒にいることが辛いと心が叫ぶ。すきなのに、つらい。ねえ、ジュリオさん、わたし、あなたのことがずっと。零れたのは言葉ではなくて、一粒の涙だった。我慢していたはずの涙が溢れて止まらない。これでは彼を困らせてしまうばかりだ。それにまた、誤解されてしまう。 「な、泣くほど嫌だった…のか。すまない、気づいてあげられなくて。それに僕には君の涙を止める資格すらない」 「…っ、ジュリオ、さん」 「名前、これで終わりに。今日から一緒に食事をするのはやめよう」 「ジュリオさん!」 「…名前?」 「あの、あのね…ジュリオさん、わたし、」 予想通りジュリオさんは勘違いをしている。嫌いなわけがないのに。一緒に食事をすることがわたしの一日で一番の楽しみだというのに、逆に思われてしまっている。毎日彼とのほんの少しの時間があるからこそ、頑張ることが出来ているのに。 わたしの途切れた言葉を待っているジュリオさんと顔を合わせるために、ゆっくりとわたしはその瞳を覗き込む。涙でぐちゃぐちゃで、気合いを入れた化粧も意味をなさないかもしれないけれど、ちゃんと言わなくてはいけないのだ。わたし、ジュリオさんのことが。声にならない二文字だったけれど、くちびるはそう動いた。彼に届けるように、音としてではなかったけれど、目を合わせて伝えたつもり。 エメラルドのような瞳の中のわたしの姿が一瞬消える。その後も何度か消えた。現れたり消えたりを繰り返した後、ジュリオさんはわたしの腰を強く引いて、顔をぐっと近づける。最後に見たジュリオさんはわたしのすきな表情だった。 「…名前、僕も君のことをずっと」 |