「あのっ、」
「なんだ」



わたしの目の前にそびえ立つような壁。見上げた顔には笑顔なんてない。表情はひとつも変わらない。そんな人だけれど、興味があった。バレーをする姿に惹かれた。大きな逞しい背中が好きだなあと思った。絶対的王者という威厳はバレーをしていない今でも充分にある。壮大な城に一番奥にどっしりと構える王座に豪快に座っているような感じだ。
彼からすればその辺りを彷徨いているひとりに過ぎないのかもしれないけれど、それでも彼に触れてみたいとわたしは思った。友だちには無謀だと言われたし、自分でも分かっている。でも彼は真っ向から理由なく壁を作るような人じゃないはず。そう言い聞かせながら、わたしは口を開いた。



「あ、のっ、で、デートしてくれませんかっ、」
「…」



鋭い瞳がギロリと此方を射抜く。巨大な敵に立ち向かう小さな小さなわたしはその瞳から目を逸らさなかった。いや、逸らせなかった。



「牛島く、」
「いつだ」
「へっ」
「だから、いつだと言っている」



わたしは呆気にとられた。まさに豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしているに違いない。あの強面で、誰も近づけないよう彼がいとも簡単にデートを了承したのだ。もしかしたら話を聞くだけ聞いて、当日すっぽかすという荒業でも隠しているのだろうかと疑いながらわたしは彼に答える。



「牛島くんの都合のいい日で、だ、大丈夫、です」



もしかしたらわたしは前代未聞なことをやろうとしているかもしれない。
口を噤んで考える素振りという演技の可能性だってある。最初からシャットアウトしてしまうと、わたしがしつこく付きまとってくるかもしれないと考えたのかもしれない。牛島くんの表情からは何も分からないため、勝手な想像だけれど。



「明後日」
「えっ」
「明後日は部活がオフだ」
「は、はい!」



落ち着いた様子の彼に対して、わたしは内心パニック状態だった。牛島くんの言葉が上手く呑み込めないまま、勢いで返事をしてしまったが、今更退くことなどできない。
肩にかけた鞄の重さに加えて、目に見えない錘がわたしにのし掛かってくるようだ。重圧で潰されてしまうことはないけれど。







待ち合わせ場所に到着したわたしはミニポーチからコンパクトミラーを取り出し、身嗜みを整える。腕時計を見てから、噴水の近くにある時計を見た。どちらも指す時刻は同じ。けれど、わたしには進む刻がそれはゆっくりに思えた。もうすぐ10時だね、という子どもの元気な声が聞こえるまで、わたしは何をしていたのか分からない。景色をぼんやりと見つめていたのか、それとも何か考えていたのか。
集合時刻1分前。見慣れた格好のガタイの良い男がわたしの風景の中に飛び込んできた。わたしは口をぽかんと開けるしかない。彼が本当に来てくれたことにもびっくりしたのだけれど、もうひとつ驚いたというか予想外なことが目の前に繰り広げられていた。



「あの…」
「…おはよう」
「あっ、はい、おはようございます」
「どうした、そんなにジロジロ見るな」
「いやあの、牛島くん…デートくらい私服で、」
「これは俺の私服だ」



牛島くんがバレーに情熱を注いでいることもよく知っているし、結果を出していることも知っている。彼の生活の中にバレーはなくてはならないものなのだ。けれども、部活のジャージを私服と公言した彼にはさすがに呆れるしかない。部活帰りであれば理解できる。しかし、今日は一日休みの日だ。彼は自分の家から来ているはず。部活のジャージでデートに来られるなんて、隣を歩くわたしとしては些か不満だ。密かに牛島くんの私服を楽しみにしていたのもあるけれども。



「牛島くん、家で服着ないの?」
「だから俺はこれが私服だ」
「…ジャージの他に服は?」
「あるが?」



特に服を必要としない生活を送っているのだろう。不意に顔を背けた彼はわたしの質問を懸命に考えているようだった。でも、ジャージ姿でもカッコよく見えてしまうのだから恋って怖いと改めて思う。



「牛島くん」
「なんだ」
「わたしが服選んでも、いい…?」



ただのクラスメイトであるのに、デートの服装まで口を出すのは烏滸がましいことだと思った。でも、ショッピングってなんだかデートらしくていいなというのがわたしの率直な意見。知り合いから見られても、一緒に買い物に行っていただけだと簡単に言い訳もできそうで、都合が良い。そんなことを考えていたら、急に牛島くんの目を見ることができなくなった。この隣で難しい顔をしている憧れの彼とデートをするという現実を今やっと実感したからだろうか。相手はこれっぽっちもわたしのことなんて意識していないだろうから、完全な片想い。それでも楽しい。
恋ってふわふわした気持ちになってしまう。好きだなあ、って思った瞬間から世界が変わって見えてしまうのだから。



「牛島くん」
「なんだ」
「もう。牛島くんはなんだ、しか言わないんだね…今日はショッピングデートしよう」



仏頂面な彼の手を握ったわたしは前に足を踏み出した。今、牛島くんがどんな顔をしているかなんてわたしには到底想像もつかないけれど、ちょっとくらい動揺してくれたら嬉しい。ショッピングモールを目指して歩き出したわたしの背中を風が少し押してくれたような気がした。

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