「次、譜面のBからね!」
「はい!」



学生指揮者の子の指示に返事をしたわたしはグロッケンを叩くためにマレットを構えた。Bからはフルートの繊細な旋律と一緒にわたしの担当しているグロッケンも出番があるのだった。響く音だけれど、あくまでもフルートの支え。陰からそっと支えて、主旋律がキラキラ輝くように飾ってあげるのが役目だ。
指揮棒が一拍取る動作をすると、同時にみんなの息を吸う音だけが聞こえる。わたしは吹くわけでは無いけれど、タイミングを合わせることを大切にしなくてはならないから、一緒に息を吸った。フルートは流れるようにみんなの音を先導していく。わたしが主人公よ、さあついておいで、というメッセージが奏でられる音楽に篭っていた。わたしは邪魔をしないよう、主人公の一歩後ろを追いかけていく。







「……ふう」
「名前、なんだか嬉しそうだね?」
「上手くいったと思って」
「うそ、それだけじゃないくせに」



楽器を片付け終わってミーティングを待っていると、ホルンの友だちに小突かれた。



「えっ」
「わたし知ってるんだからね、名前が澤村くんと付き合い始めたって」
「な、なんで、知って、」
「先生たちの間で噂になってる」



生徒だけなら未だしも、もう先生方まで情報が届いていただなんて。学校の情報網を甘く見ていたわたしは反省した。別にバレても良いのだけれど、なんとなく気恥ずかしかったため、隠そう隠そうとしていたのである。澤村くんの方は直ぐにバレたそうだけど。
勿論、バレた原因は菅原くんだ。あの人がバレーの練習中にぽろっと溢したようで、バレー部に広まったらしい。



「澤村くんが待ってるから、うきうきしてるんでしょ」
「そ、そ、そんな」



目を逸らした先には噂の彼が靴箱に向かっているのが見えた。部活終わりはいつも首にタオルをかけているのだけど、たったそれだけでかっこよく見えてしまう。
右手に鍵を持っているようで、澤村くんの後ろからオレンジ髪の子が大きな荷物を一生懸命運んでついて行っているようだった。



「ほらー、見つめないの。ミーティング始まるよ」
「見つめてなんか!」
「はいはい煩いよー」



澤村くんの姿も窓の外の見える範囲から消えていた。わたしたちの会話は部室にいた一部の子たちに聞こえていたようで、ミーティングが終わってからも噂の真偽を確かめようとするみんなに質問攻めである。
早く、澤村くんの隣に行きたいのにな。







「ごめんね!」
「いいよいいよ、俺も今来たんだから」



嘘だ。澤村くんは吹奏楽部のミーティングが始まる前にもう片付けに入っていたのだから、わたしのことを待っていてくれたに違いない。笑顔で言うものだから、嘘ついてるでしょ、なんて言うことはわたしには出来ないのだけれど。



「名前、腹減ってないか?」
「小腹はすいたかも」
「よかった」



澤村くんが自分の右手に目を移したので、わたしも追いかけるように視線を下ろした。半透明なビニール袋に何か入っている。なんだろう、と袋の中身を推測していると、急に手がわたしの頭に下りてきた。



「さ、澤村く、ん」
「まだ慣れない、か」
「いやあの、びっくりしたの、嬉しいんだよ!」
「そっか」



わたしの頭を経由したその手はビニール袋の中身を取り出した。



「あっ、アイス?」
「名前は甘いものが好きって言ってたしな」
「うん!ありがとう」



パッケージを開けるとき、わたしは吹奏楽の心で感じていた。パッケージを開ける瞬間というのが、なんだか音楽が始まるイメージであったのである。演奏が始まらなければ、中身なんて分からない。その状況とそっくりだなと思ったのだ。アイスとは分かっているけど、澤村くんがくれるアイスってどんな旋律を奏でるのだろう。人によって全く異なる形を纏うから、音楽って面白い。



「本当に音楽好きだな」
「えっ」
「リズム刻んでるし、歌ってるから。無意識なんだろうけど」



はい、と渡されたアイスをわたしは頬を赤く染めて受け取った。音楽に日頃から接すると自然とこうなるのかもしれない。



「……そのくらい、夢中になってくれたらなあ」
「何に?」
「こっちの話」



アイスを食べながら先に歩き出した澤村くんのあとを追って帰路に着く。心なしか耳が赤いように見えるけれど、夕日のせいだと思った。
澤村くんの背中は大きい。見ていて安心する。強いけれど柔らかい音を奏でそう、なんて思った。チームを纏める役目を担っているわけだけど、それって自分のことは勿論、周りの人のことも視野に入れた上で行動したり、考えなくてはならない。これは吹奏楽の合奏と似ている。わたしも先程の演奏のとき、フルートのことを考えて演奏に臨んだ。



「……あー」



急に立ち止まって振り返るものだから、わたしは澤村くんの胸あたりに衝突してしまった。
わ、なんだか抱きしめられるみたい。そんな風に錯覚しそうだった。



「ちょっと」



手を引かれ、大通りから外れて人通りの明らかに少ない路地に連れて来られた。澤村くんの顔を見ると、いつものどっしりと構えた様子じゃなくて、どこか余裕のなさそうなものである。食べ終わったアイスの棒をもともと入っていたビニール袋に入れた彼は、こちらを見ていた。
妙に熱っぽい視線にわたしは目を逸らせなかった。



「俺、ずっと、したくてさ」
「……さ、澤村くん」



距離をぐっと詰められたけれど、わたしは動けなかった。澤村くんがわたしと目の高さを合わせようとしているのは分かったのだが。
わたしもアイスを食べ終わっていた。棒だけが地面にゆっくりと落ちる。澤村くんはとても近かった。呼吸が出来ない。あんなに何時もしている息の吸い方さえ、その瞬間に忘却してしまったようだ。



「……なあ、キス、してもいい?」



零れたその言葉はさっきまで口の中を支配していた甘いアイスのようで、わたしを溶かす。
そして澤村くんが紡いだこのメロディ、わたしは知っているのだ。愛を囁く曲にとても良く似た雰囲気がするのである。
返事なんか出来るわけがなく、代わりに目を閉じた。
二つのものが一つに交わる際は、お互いの気持ちが大切。音楽の基本だと思っている。もしかしたら、恋愛も同じなのかな、なんて頭を掠めた考え。
啄むような澤村くんの口づけにクラクラして倒れそうだったけれど、彼がわたしの背中にいつの間にか手を回していて、わたしは全てを預けるような形だった。もう澤村くんのことだけ考えていよう。


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