*「だめにしてほしい」の続き 小町艦長が何人か声をかけた中に含まれていたわたしは小さな居酒屋に来ていた。今日集まった人の中でわたしと燈さんがいちばん年下だと思われるので、小町艦長の誘いとはいえ、実際のところ幹事である。幹事のことについて相談しようと、目の前にいた燈さんの背中をちょんちょんとつつくと、むすっとした燈さんが振り返った。 「名前ちゃん」 「……あ、燈さん?」 「まだ俺のこと、燈さんって呼ぶの?」 「あっ、燈くんね」 不機嫌そうに見えたのは同い年であるというのに、どこか他人行儀のような呼び方をわたしが続けていたからだった。燈くん、と訂正すると笑顔になった彼は俺たちでまとめるべきだよな、と言いながら小町艦長のところへ歩いていく。艦長は一体、今日誰に声をかけたのだろうか。指定された居酒屋の前で仁王立ちしているミッシェルさんはきっと艦長が最初に声をかけたはずだ。それに燈くんに、わたし。今のところはまだ四人だけだった。わたしが居酒屋の看板の字を目でなぞるように追っていると、燈くんが戻って来たようでぽんぽんと肩を叩かれる。振り返った彼は先程と打って変わったようにご機嫌な様子だった。すると、ぐっと顔を寄せてくるものだからびっくりして思わず後ずさりしたけれど、燈くんが耳を貸せとジェスチャーするので、彼の方へ耳だけ向ける。囁かれる内容は今日来るであろうメンバーのことであった。艦長から聞いたのだろう。 「……えっ」 「良かったな、名前ちゃん」 「ま、待って燈くん、それ本当?八恵子ちゃんは分かったけど、あの、その……」 「いいじゃねえかよ」 この居酒屋は中心街よりも外れた、静けさに満ちた場所にぽつりと立っている。夕陽が沈みかけているこの時間になると、心許ないくらいの街灯しかないために薄暗い。わたしの顔が熱っぽくなっていることを言葉を交わす燈くんならば予想出来るかもしれないけれど、小町艦長やミッシェルさんにはきっと分からない。暗くて見えないはずだから。 艦長がわたしと燈くんの名前を大声で呼ぶものだから、はっとして彼の声の方を見れば、他に声をかけたと言っていた八恵子ちゃんと慶次さんがいた。燈くんがわたしの腕を引っ張って店の中へ一番に突っ込ませる。わわっ、と情けない声を上げながら入店すれば、店員が満面の笑みでいらっしゃいませ、と迎えてくれた。そのまま流れるように案内され、席に着いてみれば、いつの間にかテーブルの端に座っているし、隣には慶次さんが座っていたのである。隣、ごめんね、という優しい言葉に懸命に首を横に振った。その速度に八恵子ちゃんが笑っている。 「好きなもの頼んでいいぞ」 「艦長の奢りだ」 「そうなんスか!?」 「えっ、待って。俺まだそんなこと言ってないよ、ミッシェルちゃん」 「あ?」 わたしの前に差し出されたメニュー表にはお酒の名前がずらっと並んでいたが、飲み会の時に注文するものは決まっているのだ。無意味に名前を追っていると、隣に座っていた慶次さんがオレにも見せてもらっていいかな、と聞いてきたので全力でそのメニュー表を差し出す。その勢いに驚いた慶次さんは目を丸くしていたけれど、一緒に見ようと提案してきたのだ。開かれたメニュー表の片端をわたしが掴み、その逆を慶次さんが掴むという、なんとも不恰好でいて、お付き合いをしている男女のよう。髪の毛を結っていなくて良かったと内心思いながら、横髪で慶次さんを視界から消す。ふとメニュー表から顔を上げてみれば、テーブルの向かい側では燈くんと八恵子ちゃんが二人して、口元を手で隠して目を細めていた。いつかのマルコスと一緒である。慶次さんがこんなに近いのもこの前と一緒だ。おまけにわたしが今から注文しようとしている飲み物だって、その時のことを思い出させるには充分。 「名前ちゃん、ミルクが好きって言ってたよね。じゃあ、カルーアミルク?」 ミルクが好きだと豪語した相手はマルコスだったのにも関わらず、慶次さんは覚えていたらしい。わたしとマルコスとの言い合いなんて興味なさそうに聞いていたように思っていたけれど、ばっちりと聞かれていたことが分かった。加えて、わたしの注文しようとしているお酒まで言い当てられてしまって、わたしはコクコクと頷くことしか出来ない。 失礼しますという言葉と共に扉がゆっくりと開く。タイミング良く、店員さんがそれぞれのお酒の注文を取りに来たようだった。ミッシェルさんがそれぞれ注文しろ、と言っていたが、わたしのカルーアミルクは慶次さんが一緒に頼んでくれたので口を開く必要はない。その代わり、慶次さんの口からカルーアミルクというかわいい響きが聞けたと馬鹿なことを考えていたけれど。 そういえば、この前わたしがミルクを好きなことを馬鹿にしていたマルコスとは真反対で、かわいいねと慶次さんが言っていた。彼が女の子としてかわいいと言ったのか、それともわたしをフォローするための言葉だったのか、未だに分からないままである。その後ミルクを飲もうとするとそれが脳裏に浮かんでしまうので、しばらくミルクには触れていない。ちらりと慶次さんの方を見ると、ちょうど彼もこちらを向いていたようで視線が合った。すっと伸びてくる彼の手が見えて、思わず目を瞑ってしまったけれど、頬がひんやりと気持ち良かった。緊張で目を瞑っていたわけだけれど、火照っていた頬の熱を冷ますにはピッタリで、冷えていく頬と共に緊張も一瞬にして解れる。優しく頬を包む、その指と手の感触は小動物を愛でるような手つき。それが慶次さんの冷たい手だということを思い出したのは目を開けてからだった。うっとりとした気持ちで、だらしのない顔をしていただろう。慌てて慶次さんに謝ろうとすると、頬から離した手とは逆側の手の甲で鼻や口を隠すようにしては、目をキョロキョロさせる彼がわたしの前に現れた。 「ご、ごめんなさい……あの、気持ち良くて」 「や、いいんだ……オレこそ、ごめん」 運ばれてきたカルーアミルクを急いで口にすると、蕩けるように甘い味が口の中いっぱいに広がる。いつもよりも多めのひとくちを終えたわたしは、グラスを持った手を無意味に揺らす。カランカランと氷がグラスにぶつかって音を立てた。ミルクという名前がついているけれど、これは立派なお酒。わたしをふわふわとした気分にさせるのに時間はかからなかった。艦長たちに迷惑をかけないように許容範囲内の飲酒を考慮するつもりだったけれど、気がつけばグラスの中が空っぽになる度に店員さんを呼ぶ。途中で燈くんがお酒の勢いが止まらないわたしを気遣ってくれたけれど、大丈夫だよと呂律のあまり回っていない舌で答えた。まだ、大丈夫。自分のことも分かるし、今日は居酒屋に艦長とミッシェルさんと燈くんと八恵子ちゃんと慶次さんと来ている、という現実も分かっている。大丈夫。 「……わあ、ふわふわするー、でもあまくておいしい」 「名前ちゃん、本当に大丈夫?」 「うん。だいじょうぶ」 運ばれてくるご飯も食べたけれど、今日のわたしの中心はカルーアミルクだろう。喉に流し込む度に、自分が飛んでいるような気分で完全に浮ついていた。艦長もミッシェルさんも注意をしなかったのは、今この時くらいは羽目を外してもいいと思っているからであろう。優しい上司たちに、仲間たちに、わたしは幸せいっぱいだ。それに今、隣に慶次さんがいる。想いを伝えなくたって、一緒にいられるだけで嬉しい。 「カルーアミルクって、アルコール度数は低くないですよね?慶次さん」 「燈くんの言う通りだよ」 「名前ちゃん、慶次さんに迷惑かけるなよ」 「……えー?」 「あー、これはもう無理かな……」 慶次さんの発した言葉に含まれている、無理ってどういう意味ですか、と反論しようとした時にわたしの視界がぐるぐると回りだして、真っ暗になる。温かい何かに包まれたようで、わたしは瞼を閉じる。安心感。それに満腹感と程良い酔いのせいでわたしの意識は夢へと誘われていく。次の日に八恵子ちゃんから叱られつつも、ニヤニヤされたのはまだ別の話だ。慶次さんが倒れ込んできた名前ちゃんを受け止めるように抱きしめちゃったんだからね、と。 Title:イーハトーヴ |