今日はわりと早く探索を切り上げて戻ってきたようで冒険者たちは宿屋の一室に集まって、これからの方針について話をしていた。この宿屋を拠点にしているため、定期的に利用する彼らを一人の少女は興味ありげに毎回姿を見かけると、扉の前までこっそりついていく。クロエはすぐに気づいたのだが、別に邪魔になるわけでもないので、そのまま放置していた。
少女はこの宿屋に働きに来ている者で宿泊者が誰であるかなどは常に把握していた。ついこの前からよく見る顔だなと思っていたら、常連者になっていた彼らが非常に気になってしょうがない。そんなわけで今日も扉の前までついて行っては、話しかけることも出来ずにフロントへ戻っていくのであった。


「…今日も話しかけられなかったけど、名前は覚えたから、よし」





彼らの名前は会話の盗み聞きで勝手に頭に入っていた。その中でも少女のお気に入りは弓を持った男の人である。名はフラヴィオというらしい。
よくフロントで手続きをしてもらうのは彼だ。彼の後ろでは賑やかそうなメンバーが収穫物やモンスター、地図のことについて話しているのを見かける。彼は後ろを気にすることなく、ひたすらに羊皮紙にペンで綴っていく。彼の立ち位置がそうさせるのではないだろうか、なんて少女は思いながらさらさらと書かれる文字を追いながらもちらりと顔を盗み見る。

まさにその瞬間に彼は顔を此方に向けたのだった。少女は顔をちらりと見ただけのつもりであったのに、もしかしたら長い時間見つめていたのかもしれないと一人錯覚する。少し間があってペンを置いた音が響き、羊皮紙を少女に差し出した彼は彼女から目線を外しながら、小声でお願いします、と言う。


「…あっ、は、はい、いつもご利用ありがとうございます」
「ごめん、いつも煩くしちゃってさ」
「い、いえ」


少女はペンを取ろうと手を伸ばす。彼は彼女にペンを渡そうともう一度それに手を伸ばす。もちろん、二人の手は目的が同じなのだから、遠慮がちではあったが触れ合った。お互いに息を呑んで、まばたきをする。ペンは元にあった位置から全く動いていなかった。


「…っ、お客様、お部屋にご案内いたしますので」
「嬢ちゃんいつも悪いな」


固まる彼を視界に入れないようにして、少女は後ろで待ちくたびれているパーティーに声をかける。彼らの部屋はいつも決まった場所なので案内は必要ないといつもベルトランが言うが、これも大切な仕事の一環であると言って少女は譲らなかった。


「此方のお部屋をお使いください」


ベルトランは距離を空けたフラヴィオと少女を交互に見やりつつ、少女が階段を下りていく前にこっそりと言葉を零した。彼女だけに聞こえるように。


「…嬢ちゃん、今夜、一番奥の部屋に来な」
「ご、ごゆっくりどうぞ!」





あのパーティーで一番の年長者と思われる人間から声をかけられた少女は一生懸命にその言葉の意味を考えていた。もしかしたら不審だと思われて排除されてしまうのではないか、いや話し相手になってくれるのかもしれない、なんて頭を悩ませる。今夜と言ったけれど、それは何時を指すのか。良識的に考えれば、深夜はまず無い。といっても、もし彼が指示した時間以外に訪れては邪魔になるだけかもしれない。少女はフロントを女将と交代して、休憩室に入っていた。ゆっくりとエプロンを脱ぎ、その辺りの椅子に軽く引っ掛ける。普段着に着替えながら、彼の言葉の真意を探ろうとするがやはり分からない。


「ベルトランさまって、掴めない」


初めて言葉を交わしたときから、なんとなく雰囲気を掴み損ねていた。そんな彼から、誘いの言葉を貰った少女は立ち往生するしかなかった。
時計をちらりと見る。月の光が窓から差し込んできていた。夜といっても常識的な範囲で考えれば、今がその時ではないだろうか。そう思った少女はエプロンを綺麗に畳み、自分の鞄の中にしまい込んだ。行くなら今しか無い。





階段を上った先の一番突き当たりの部屋は他の部屋に比べて、ほんの気持ち広い作りになっている。彼らに利用してもらう際は、感謝を込めてあの部屋を含んだ五室を提供するようにしていた。どういう振り分けで、あの少し広い部屋を使っているかなんて少女は知りえない。


「…ベルトランさま、」


控えめにノックした音は通路でよく響いた。この時間、彼らはよく話し合いの場を持つため、どこかの部屋から声が聞こえてくるはずなのだが今日はそれが無い。少女は変だなと首を傾げながら、もう一度ノックをする。今度は先程よりも少し、強めに。


「ベルトランさま」


少女の呼びかけに対して扉が開く。


「えっ」


予想だにしない相手だったのは扉の向こうの主も同じようだったらしく、少女もびっくりして声が出ない。確かに部屋に来るように指示をしたのはベルトランであった。けれども、彼女の前に立っているのは紛れも無くフラヴィオである。


「あ、あの…ベルトランさまは…?」
「お、おれもベルトランがここに来るようって」


フラヴィオの頭をよぎったのはパラディンのからかった顔であった。


「…とりあえず中に入って。寒いだろ」
「は、はい…すみません」
「謝るなって。騙されたおれも悪いんだからさ」


少女は彼の誘導通りにソファに腰掛けた。昼間、彼らが冒険に行っているときにこの家具の掃除、部屋の掃除を懸命にしていたのだが、それを自分が使っているとなると、どこか落ち着かなかった。自分は客では無いのだ。サービスを提供する側であるのに、今この状況は完全にサービスを受ける側である。


「あの…フラヴィオさま」


少女はソファの左端にすぐにも立ち上がることが出来るよう、浅く座っていた。彼はそんな彼女に気づかれないように少し視線を送ると、右端に座る。ぽっかりと空いた真ん中の空間を埋めるものはここには無い。言葉だって、二人が発さなくては何も始まらない。
無言の空間に居づらいと思い始めた少女は、どうにかしてこの部屋から退室しようと策を練っていた。何も言わずに立ち上がることは出来ないため、何か話題を作らなくてはならない。しかし、それがどうも思いつかなかった。
ふと、彼の座っている方へ目を向けて、視線を落とした。普段弓を引いているであろう、頑丈な、少女よりも一回りも大きい手がそこにあることに気づく。彼の左手はなぜだか人差し指だけが他の指とは違う動きをしていた。人差し指だけが少し浮いていて、指を引っ掛けることが出来そうな状態である。いつも戦闘で弓を引くときの手のポーズがそのまま出ているのは無意識なのだろう。

触りたいと少女は純粋に思った。
フロントのやり取りをしていたときにほんの少し触れた彼の手を思い出したのだ。

自分の右手の人差し指を軽く伸ばしたまま、腕を静かに動かす。もちろん、ソファの左端に座っていては届かないため、体をゆっくり彼の方へと近付けた。
彼女が彼の指に触れるか触れないかのところで、その指は逃げていってしまった。少女は悲しげに頭を垂れて、自分の手を引っ込める。踏み込みすぎてしまった自分の行動を我に返って反省した。同時に今このタイミングであれば、部屋から出て行けると彼女は考えつく。


「…名前さん」


無音の部屋に響いたのは少女の名前。
驚愕した彼女はその場から動けずじまいで、もう一度彼の方を見た。彼女の名前を呼んだクセにフラヴィオは窓の向こうを見据えている。少女はもうどうしていいか分からなくなり、一度立ち上がってスカートの皺を綺麗にすると座り直した。

彼もまた掴めないひとなのだろうか、と少女が思い始めた頃。彼の手が先程の位置に戻ってきていることに彼女は気づいた。無意識のあの手の形と全く同じものがまたそこにある。今度は意識的なのだろう、そう思うとなんだか少女は嬉しくなった。

少女の人差し指と彼のそれが絡み合う。
お互いの気持ちなど知るはずも無い。彼らの間に交わされる言葉も無い。けれども、それは二人の中で何かの始まりを形にしたものだった。





Title:誰そ彼

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