名前は眩しい太陽に手をかざして光を遮った。両目を瞑っていた彼女は片目をそっと開いて、遠くの木に寄り掛かって座り込んでいるであろう少年を探す。彼らが生きるこの世界は全ての人が死んだ者の記憶を持たない。思い出になることすら許されない残酷な世界で、名前たちは上部の人から下される任務の遂行に励んでいた。任務終了時に生まれる心の隙間は誰もが感じていたことだが、言葉にはしない。次の任務が来るまでにしか感じないのだから。いちいち付き合い方を考えていては身がもたない。自由が切ない。自由が辛い。子どもの時には自由が嬉しくて、そんな感情を欠片も持たずに居たはずなのに、彼らは大人になって複雑で面倒な感情に気づいてしまったのだ。
自由な時間にぼんやりと一点を見つめる彼、エースはこの世界をどんな風に生きているのだろうか。抗うことさえ不可能な世界を壊してしまいたいなんて殺伐な考えを抱いたことのある名前と違って、彼はいつまでも美しかった。漂う雰囲気も、音にする言葉も、普段や任務中の行動も、全てが美しかった。醜い感情を持ち合わせた名前とは、光と闇のようで住む世界が違うように思わせる。横顔をちらりと見た名前はその隣に横に腰を下ろす。本来ならば、二人が隣り合わせて座ることなんて考えられなかった。



「エース」
「名前、また余計なことを考えていたのか」
「適わないなあ。すぐ分かっちゃうから」



美しいという言葉が似合うエースは名前の顔を見るなり、そう一言零す。すぐにまた、ある一点の方向を見据えた。手を伸ばすと触れることが出来るくらいの距離に居る名前たちは、いつから一緒に居たのだろうか。いつからこうやってエースの隣に彼女は座るようになったのだろうか。言葉を交わすことの少なかった二人が今のような関係を持ち始めた始まりをお互い明瞭に記憶しているわけではなかったが、なんとなく一緒に過ごしていた。雲が流れていく空や、頭上で揺れる葉の擦れる音や、憎むことしか出来ない世界は知っている。名前は覚えていなかった。加えて、名前はエースの生きてきた全てを知る由もない。
名前が膝の上に置いていた手にエースがそっと彼自身の手を重ねる。そこに言葉など、ひとつもなかった。吹き付ける風から守るように重ねられた手を見た名前は瞳を伏せる。エースの手に幾つもの小さな怪我があったが、名前は気づかなかった。彼が言葉にしない、心の声にも気づかなかった。背負ってきた過去の喜びと悲しみはエース自身しか知らない。二人の影は木陰に覆われているせいで、個々の影がはっきりと現れてはいなかった。大きな物に小さな物は隠されて、消されてしまうのである。
そんな二人だが、口にしない気持ちで通じ合っているところもあった。伝えたいことはある。互いに想い合っていることもうっすらと感じ始めていた。しかしそれを言葉にするのは躊躇われて仕方がない。幾つも幾つも言葉を羅列するよりも、何も言わずに傍にいることの方が彼らにとっては心地よいものらしく、一度として男女の会話をすることはなかった。ただ、隣に居て、手に触れて、何気ない会話をして、笑い合える自由な時間が心のヒビを修復するような効果をもたらしていたのである。切ない心の隙間を埋めるには充分なのだ。この世界の理として例え、相手に伝えたとしても命を失えば記憶に残らない。思い出すことさえ叶わない。ならば、形にしない方が傷つかないかもしれないのだ。若葉の中に紛れて色の変わった葉がふわりと風に乗って飛ばされていく。



「名前、僕たちはこれからも一緒に生きていく」
「そうだね」
「これからどんなことが起こるか分からないけれど、僕も君もこの世界で生き続けていくことは変わらないことだ」
「任務に行って、それからこうやって過ごせたらいいね」
「僕はここにいる」
「わたしもここにいる」



自然に指と指が絡まり合って一つになった彼らの元に任務の知らせが届くのはもう間もなくのことだった。二人が寄り掛かった木はそのぬくもりをずっと覚えているだろう。枝にとまって小さく囀る小鳥が繋がれた手を覚えているだろう。彼らがいつか忘れてしまったとしても。



Image song:モアザンワーズ/坂本真綾


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