オレンカの街並みを自室の窓から覗くのが毎日の恒例行事だった。最近友だちになったテレシアにもこの光景を教えてあげたのは記憶に新しい。今は彼女の事情で、世界を旅しているために、一緒に朝日が昇る瞬間を見る機会は少なくなっているけれど。そのテレシアが今日はオレンカに顔を出すと聞いているので、わたしは朝から彼女たちを迎えるための準備をしていた。といっても、テレシアとラゼルくんとホミロンくんの二人と一匹だから、そんなに豪勢な料理を並べるわけでもない。わたしなりの豪華なもてなしにするつもりではあるけれど。 昨日から仕込んでおいた料理が良い感じにできあがっていたものだから、鼻歌を歌いながらテーブルや椅子を動かす。一人で食事をする時の形では狭苦しいから、少し家具の配置を変えるのだ。パンを口にくわえたままというなんとも行儀の悪いことになっているが、今は時間が少しでも惜しい。食事を済ませ、家具の配置を終えたら、家の中を掃除して最後の仕上げに必要な物を買い出しに行かなければならない。約束の時間は刻々と迫って来ているのだから。 「名前!」 時間はあっという間に過ぎてしまっていて、お日様はちょうどわたしの真上に来ていた。照りつける強い光に目を眩ませていたら、聞きなれた声がわたしを呼ぶ。どのくらい会っていないのだろうか。テレシアたちがオレンカの入り口でモンスターたちを追い払った時からだからと、指をいくつか折って数えようとしたが途中でやめてしまった。テレシアが目の前にいるのだから、そんなことを気にする時間がもったいない。ピンクモーモンに近い色の髪を揺らしながら、テレシアが走ってくる。わたしは思わず両手を広げて、飛び込んでくる彼女を受け止める。よくじゃれあって遊んだあの感触が、わたしの手の届く範囲にいるのだ。嬉しくてしょうがない。ひとしきり感動の再会を味わったところで、わたしは傍観者になっているラゼルくんとホミロンくんを手招きした。変なところを見せてごめんね、と彼に言うと、目をキョロキョロさせながら大丈夫だと言う。女子同士のコミュニケーションに慣れていないのかしら。 家に招き入れると、予め決めておいた席をテレシアたちに告げる。大きな椅子はラゼルくん用ね、そう言うと彼はどこか落ち着かない様子で椅子に座った。その様子を見て、テレシアはクスクスと笑っているので、きっと彼は緊張するとこうなるのだろう。わたしとラゼルくんはテレシアを通じて知り合ったので、まだ友だちになって日は浅いのだ。それに女の子の家に入るのも少し照れというものがあるのかもしれない。まあ、わたしは男ではないので本当にそうなのかは分からないけれど。 「名前、ちょっと外に出てきてもいい?ごめん、せっかくご飯用意してくれたのに。先にしなくちゃいけないこと思い出して!」 「大丈夫だよ。気をつけて行ってきてね」 「ありがと、すぐに戻るから!行くわよ、ホミロン」 「ぼくもー?」 「約束してたじゃない!」 「……あっ、そっかー!そうだったね。名前ちゃん、すぐにもどってくるから!」 「ホミロンくんもいってらっしゃい」 テレシアはもう一度わたしに向かって両手を合わせる。用事といっても、本当にすぐ戻ってきそうな感じだったし、世界を回る彼女は抱える事情が多いのだろう。ここにいるラゼルくんもそうだと思う。彼らを送り出したわたしは扉を閉めると、ラゼルくんの前にお皿を置いた。彼の好みは把握していないので、本人に聞かなければ何も分からない。 「ラゼルくん」 「お、おう……」 「すき、」 「え……!?」 「すきな食べ物とかある?今日、いろいろ用意したんだけど、ラゼルくんがすきな料理はさすがに分からなくて」 ほんのりと顔を赤くしたラゼルくんは納得したようにわたしに教えてくれた。食パンに苺味のジャムを伸ばしていく。今朝もパンを食べたけれど、本当は彼らにご馳走するために作っていたものであり、出来損ないの失敗作を処理するため。形が歪で、味にはきっと問題はないのだろうけれど、どうせなら良いものを提供したいというわたしのこだわりだった。ナイフで食パン一面に広がった苺ジャムは、甘酸っぱい香りをわたしたちの鼻に運んでくる。はい、どうぞとラゼルくんのお皿に置いてあげると、その時また目が合う。心なしか頬が先程みたいに、ジャムと同じような色に染まっている気がする。今日、そんなに暑かったかしら。もしかして、ラゼルくんは暑がりなのだろうか。 ヨーグルトに砂糖をパラパラと入れて、スプーンで掻き混ぜている時、あっとわたしが声を上げたものだから、ラゼルくんにギョッとした表情をさせてしまった。わたしの家はもちろん、普段の一人暮らしが充実するくらいで、たまに訪問してくるお客さんをもてなすくらいの食器の数しかない。今日のように四人分のお皿が必要で、加えて料理を盛りだくさん作ったので食器が足りなくなってしまったのだ。ヨーグルトの入った底の深い陶器を手に持って、反対の手でスプーンを握る。 「ごめん……お皿足りないね、ちょっと口開けてもらってもいい?」 「それって、名前ちゃん……」 「あーん、してあげる。ね、お口開けてくれる?」 「まっ、待ってくれ!」 「やっぱりあんまり仲良くない女の子にしてもらうのは、いや?」 「そ、そうじゃないけど、あのさ……」 「そっか!このお皿をラゼルくん用にすればいっかー。普通に考えたら分かることだったね、ごめんね。困らせちゃって。はい、ヨーグルト、召し上がれ」 冷静になって考えてみればすぐに分かることだった。ヨーグルトを取り分けるつもりでいたけれど、別にラゼルくん一人にあげてしまえば問題はひとつもない。テレシアやホミロンくんはヨーグルトがないくらいで文句を言ったりしないだろうし。 差し出した陶器とスプーンはなかなか手から離れていかない。ラゼルくんが受け取りを渋っているからだ。テレシアとホミロンくんのことを気にしているのだろうか。テレシアは毎回会う度にラゼルくんの話をしてくれるのだけど、熱血漢な人というイメージばかりを膨らませるようなことばかりで、それ以外よく彼のことは分からない。でも、今ひとつ彼の新たな面を見つけた。きっと、ラゼルくんはとても心の優しい人なのだろう。だから、ヨーグルトひとつだけなのに、こんなに遠慮しているのだ。 「……名前ちゃん」 「なにー?」 「俺、名前ちゃんが良いなら、さっきの、してほしいなー、なんてさ!」 「え!ラゼルくんが良いなら問題ないよ。わたしは別にどちらでもいいから」 ヨーグルトをスプーン一杯に掬うと、もう一方の手で持っていた陶器を静かにテーブルの上に置いたあと、零れても大丈夫なようにスプーンの下に手をもっていく。控えめに開けられた口に向かって、ゆっくりと運ぶ。もっと大きく開けた方が本当は零さずに済むのに、なんて思ったけれど、今のサイズでも充分だと判断したわたしはそのまま彼の口の中にスプーンを入れ込んだ。ヨーグルトが辿り着く前に、ラゼルくんの喉仏がごくりと動く。その瞬間に、なぜか手が震えた。 零れることなく無事に口の中に吸い込まれていったヨーグルトだったが、彼の口の端にちょこっと残っているのに気づいた。わたしはエプロンのポケットに入れておいたハンカチを取り出すと、ラゼルくんとの距離を少し詰める。 「ラゼルくん」 「え。なっ……」 「ちょっと動かないでね」 レースのハンカチがラゼルくんの口元で揺れる。こうやってじっとラゼルくんの顔を見ることはなかったけれど、整った顔立ちできっと人気がありそうだとそんなことが頭を掠める。瞳の色は吸い込まれてしまいそうなくらい、綺麗だった。発掘されたばかりの宝石は原石の状態だから削り磨き上げる工程を経て、宝石という本来の姿へと導かなくてはならない。でも、ラゼルくんの瞳は発掘された当初から輝きを持っている、そんな印象。わたしが夢中になって観察している間、同じようにラゼルくんもわたしのことをじっくり見ていることに気づくことはなかった。 「ヨーグルトついてたの」 「……ありがとな」 「もう、テレシアたち帰ってくるかな」 「うーん、残念だけどそうかもな」 「え?残念?」 「い、いや。なんでもない……早く帰って来い、学級委員長!」 |