*8主=エイト



宿屋に到着して、部屋で眠りについたことは覚えている。今日の目的は比較的早く達成されたので、残り半日は自由時間にすることをククールが提案した。パーティの誰一人として言葉に出すことはしなかったが、このところ、街移動と戦闘詰めだったために、仲間たちには疲労の色が見える。ククールはよく人を見ている。軽口を叩いているだけではないのだ。彼は誰よりも仲間たちのことを見ている。感心していたのはわたしだけではないと思う。そうして、宿屋の主からエイトが鍵を二つ受け取った。今日は二部屋、男三人と女二人で分かれるらしい。エイトから鍵を受け取ったわたしが振り返ってゼシカの方を見ると、彼女は部屋に荷物を置いたらすぐに出掛けるつもりだからあんたが持ってなさいと言う。そんなゼシカに間髪入れずにククールが誘いの言葉を掛けていたので、もう呆れを通り越して尊敬するしかない。疲れを癒すには何も部屋でのんびりすることだけではないから、わたしも外に出てリフレッシュしようかなと思ったけれど、自分が思っていた以上に疲れが身体を蝕んでいるようだった。部屋でおとなしくしていよう。ククールと一瞬目が合ったが、慌てて逸らした。彼の候補に入れられては困る。
一番奥の部屋に入ったわたしは、ゼシカを見送ると真っ白のベッドに腰掛けた。もう外に出ることはないだろうし、薄着になってしまおう。重たいローブを脱ぎ捨てれば、羽でも生えたかのように身体が軽くなる。こんなに重たい装備で魔物たちと戦っているなんて、と自分で少し感動した。部屋着を鞄の中から引っ張り出すと、傍にあった大きめの鏡の前でそれを身に付ける。わたしにしては露出多めだけれども、部屋着なので別に問題ないと思っている。見られるとしてもゼシカだけだ。それに夕食の時間にはセットでついてきた上着を羽織ればいい。鏡の中の自分はやっぱり疲れた顔をしていた。しかし、腰の辺りがきゅっと引き締まっているように見えて、思わず笑顔になる。あれだけ動いているのだから、余計な肉が絞られてきているのだろう。筋肉を付けたいわけではないけれど、女子の永遠の憧れとして思い描いている体格に少しは近づけているはずだ。小さくポーズを決めたけれど、急に恥ずかしくなって隣の花瓶へと目線を動かす。赤い薔薇が何本か飾られたそれは、丁寧に世話をされているようで大変瑞々しいものだった。
再びベッドに腰掛けたわたしは毛布にくるまる。全身を休めるためには寝転がるのがわたしにとっては一番らしい。肌触りのよい毛布がわたしのことを夢の中へと誘ったのは、そのあとすぐだろう。瞳を閉じる瞬間までは鮮明に覚えている。だというのに、次に目を開けてみれば、わたしではない何かが隣に同じように寝転がっているのだ。奇声を上げそうになって、思わず両手で口を塞ぐ。身体を動かすことが怖かったわたしは、目だけを壁に掛かる時計に向ける。パニック状態のわたしにお構いなく、時計は時を紡ぐだけだった。わたしが眠りにつく前に見たときから、1時間ほど過ぎている。隣にいるのがゼシカだったら問題はないのだろうけれど、ベッドに埋まるこの感じは明らかに女のものではない。それに、ベッドの近くに見覚えのあるバンダナと服が綺麗に畳まれている。わたしの記憶が一部改変されるような魔法でもかけられたのだろうか、それとも幻覚を見せられる魔法にでもかかったのだろうか、なんて馬鹿な考えが頭をよぎった。前者の魔法はないが、後者の魔法はあり得る。ただ、かけられるタイミングというものは、なかったはずだ。
顔を確認するために、そっと毛布を捲ってみれば、わたしの想像した彼がいた。ベッドはもう一つあるでしょ、なんて心の中で呟く。付け加えるように、そもそも部屋を間違っているでしょ、と続けた。静かな寝息を立てる彼を睨みつけていたつもりだったけれど、そうではなく、目が離せなくなっていることに気づく。わたしの呼吸が止まりそう。無意識に空気を取り入れる度に、本当に少しだけ身体が動く。胸辺りまで毛布を剥ぐと、いつもはかっちりと締められている服がはだけていた。自分で捲ったクセに、それを隠すようにもう一度毛布を被せる。とにかく、このベッドから抜け出すことが優先事項である。わたしは立ち上がろうと、音を立てないように気をつけながら不安定な足場にしっかりと足をつけた。柔らかいのでバランスを崩しそうだったが、万が一、彼に飛び込むような形になったら大惨事である。ベッドは壁にくっつけられているので、倒れるとしても絶対に壁側に。そんな決意をしたというのに、わたしの身体は立ち上がることなく、ベッドに倒れた。息を飲んだその先で、瞼を上げたエイトが笑っている。ベッドに引き戻したのは彼だった。



「……ごめん、途中から起きてた」
「え、ええっ!?っていうか、なんで、わたしのっ、」
「名前、落ち着いて」
「こっ、こんなの破廉恥よ!落ち着いていられるわけがないでしょう!?」
「……僕は何もしてないよ」
「してる!ベッドに忍び込んでる!」
「困ったなあ」
「それはわたしの台詞だってば!は、早く、離して!」



破廉恥だ。今まで、純粋そうな少年の顔に騙されていたらしい。薄着の姿をバッチリ見られていることに気づいたけれど、隠すために動かそうとした手はエイトに捕まっているために自由に動かせない。包まれた身体は布越しだけれど、早すぎる心臓の鼓動は聞こえてしまうかもしれない。わたしとは対照的に落ち着いている彼は一体、何者なのだろう。



「ねえ、部屋にいるときはそんな格好をしているの?」
「……そ、そうだけど、わたしの話聞いてる!?」
「そうなんだ」
「ねえ、エイトってば」
「かわいいね」



頭の上で彼の声が響く。顔が見えなくて良かったと心底思った。鏡を見ないと、どんな顔をしているのかは分からないけれど、自分の今の顔が人に見せられないということだけは分かる。
エイトの細くて綺麗な指がわたしの背筋をひとなぞりする。上から下へ。一回だけ。肩が勝手に震える。薄い布だから、少し立てられた爪の感触まで伝わってくる。布と爪で擦れる音がわたしにまで聞こえてきた。耐えられずに見上げるように、顔を上げると身体も一瞬のうちに持ち上げられる。どこにこんな力を隠し持っているの、と言いたい。
ベッドの壁側に背中をつけた彼はわたしの表情を伺うなり、満足そうな顔をする。膝上に乗せられたわたしには、逃げるなんて選択肢は残されていない。完全に逃げ道を塞がれた状態だった。エイトは少し距離を置いたかと思えば、まだ抱き寄せるようにわたしの腰を掴む。そのまま、わたしの胸元に顔を埋めようとしたので、慌ててそれを止める。どうして、咄嗟に止めたのかは分からないけれど、胸の内が苦しいことだけは分かった。



「鈍感なんだよ、名前は」



先頭をきって魔物に飛び掛かるような役目ではないわたしは、いつも後方からエイトやヤンガスの補助をしていた。時折近づいてくる敵は鞭で蹴散らしていたけれど、それでも間に合わないという時はあるもので、最近も彼に助けてもらったばかりである。温厚な彼だけれど、背中は逞しい。戦闘の時は表情も変わる。頼りになる人だ。そんな人がまるで、ネコのように甘えてくるので戸惑いを隠せない。自分の身体を擦りつけて、マーキングのように。



「……ありがとう」
「え?」
「もう、充分」



膝上から降ろされ、わたしの隣に座ったエイトは満足気な表情だった。短時間で起こる出来事にすっかり置いてきぼりにされたわたしの頭は、彼の手でゆっくりと撫でられる。今度はわたしがネコになったような気分。この人はわたしを混乱させるのが上手らしい。部屋に忍び込み、心を掻き回した挙句に奪っていく彼は、さながら大怪盗のようだった。


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