自室のベッドにひっくり返って、テレビのリモコンを探す。昨晩、リモコンは枕元に置いたつもりだったが、いつの間にかベッドの下に落ちていたようで、手を伸ばす。寝ている間にリモコンが勝手に落ちたのが悪い。くそ、面倒なことをさせやがって。独り言は、電源の入ったテレビから漏れ出すアイドルの曲でかき消されていく。アイドルには特に興味のない俺は、さっさとリモコンのボタンで画面を変えようと、適当にボタンを押す。でも、変える瞬間に喋り始めたアイドルの声を聞いて、ニュースを伝える男を一瞬で消した。キラキラとした衣装を身に纏った女だったが、俺から言わせれば安っぽい物だ。きっと、この大柴喜一がプロデュースした方がもっといい衣装を着せてやれる、そんなことを考えながら女の全身を眺める。画面の向こうで笑っているあの女は、何を隠そう、俺の幼馴染だった。デビューしたばかりは、仕事もそんなに多くないようで、よく家に遊びに来ては絨毯の上でゴロゴロと転がっていたものだ。あの画面の女を見て、誰も想像することのできない姿は俺だけが知っている。受け答えもしっかりやっているが、普段のあの女はそんなものではない。学校にいる女どもと何も変わらない、ただの女だ。 新曲を出したようで、そのインタビューの様子がずっとテレビで流れる。さっき、俺の独り言を邪魔したのはアイツの歌だったらしい。ちらりと、棚を見れば、ジャケットでニコニコと笑っているアイツがいる。別に、俺が好きで買っているわけではない。幼馴染が少しくらい、売り上げに貢献してやろうと思ったからだ。いつもは、新曲を出すとき、決まってメールをよこすのだが、今回はそれがなかったから新曲を出すなんて知らない。俺への連絡をサボるとは、どういうつもりなのか。インタビューの内容は聞き流しながら、サッカーの雑誌に目を通す。これもいつ買った物か分からないが、手の届くところにあったから、適当にページを捲っているだけだ。中身なんて雑にしか読んでいない。ページの捲り癖は付いているものの、頭に入っているのはサッカー雑誌を彩る選手への言葉だけだ。俺の方が格好良いとか、俺だったらこうするだとか。 ペラペラと喋り続けるアイツが、ついに新曲を披露するので聞いてくださいと言ったのが耳に入る。雑誌を放り投げれば、表紙が天井を向いて床に落ちた。やはり俺は天才だ、と拳を握って、テレビに目を向ける。あの女の言葉全てに耳を傾けるつもりはさらさらないのだが、アイツの曲だけはいつも聞いていた。曲が始まると、カメラに向かってサービスをするアイツが画面いっぱいに映る。大衆を惹き付けるには有効な手段かもしれないが、俺にとっては大変つまらないものでしょうがなかった。まあ、俺よりも下々の者たちは喜ぶのだろうがな。面倒だが、CDを買いに行くか、と立ち上がってテレビの電源を消したのは曲を披露し終わったアイツがファンに向かって、バイバイと手を振っているところだった。 冬も近いようで、外の風が妙に冷たくなってきていた。ジャケットを羽織った俺は、玄関の扉を開けると、予想以上に暗くなっていた外に驚いた。部活帰りも、早い時間から暗くなってきたと感じていたが、改めてじっくり見てみれば、烏が空に溶け込んでいるくらいには暗い。今日はいつもよりも早めに練習が終わったからこそ、アイツが出ているテレビに間に合った。運の良い俺が、部活終わりの貴重な時間を使って、こうやってわざわざ店に出向いてやるのだから、アイツは心から感謝すべきだ。ポケットに手を突っ込んだところで、誰かが俺の名前を呼ぶ。まだ、家から出て一分も経っていないというのに、声をかけられるとは有名人も困ったものだな。いくら、俺が格好良いからといって、声をかけるべきではない。プライベートはそっとしておくのがファンとしての心構えだろう。熱心なファンなのか、俺の服の袖をグイグイと引っ張る。そんなに、俺のことが好きなのか。全く、しょうがない奴だな。今回ばかりは特別だ、と振り返ってみれば、さっきまでテレビで笑っていたアイツがいた。 「間に合った!セーフ!」 「名前か」 「喜一くんにCD持って来たよ」 「わざわざ俺が買いに行こうとしているところを邪魔するとは……」 「え!喜一くん、わたしのCDわざわざ買いに行こうとしてくれていたの?嬉しい」 「ハッ、お前こそ、この大柴喜一様が直々に出向いてやろうとしてたんだから、感謝するんだな」 「確かに。喜一くんどうもありがとう」 俺に差し出されたCDはまさに今から手に入れようとしていたものだった。ビニールに包まれたそのジャケットには、ご丁寧に名前のサインまで入っている。ファンからすれば、プレミア品だといって値段が跳ねあがるのだろうが、俺にとってはどうでもいい。俺からして大事なのは、他のどんな奴らよりも名前のCDを一番先に手に入れることだ。皆が欲しがってたまらない、あのCDを一番に手に入れて下民の悔しがる顔を見る。俺だからこそできることなのだ。 「ねえねえ、喜一くん、久しぶりにお家寄ってもいい?」 「ああ、いいぞ。俺は今、すごく機嫌がいい」 「やった!ありがと」 俺の前を走っていく名前は仕事帰りなのか、やたら荷物が多かった。家主よりも先に家に入っていくことが許されるのは、幼馴染である名前だからであり、その他の人間は決して許さない。俺が。 履物を玄関で揃えた名前は、俺が靴を脱いでいる様子をじっと見て、それから財布に目を落としていた。何を見ているんだとばかりに睨むと、名前は喜一くんは本当にお馬鹿さんなのね、とこちらを見て笑う。アイツは何を言っているのだ。この大柴喜一に向かって、馬鹿などと。 「喜一くん。お店に買いに行ってくれるのは本当に嬉しいことなんだけど、CDの発売日は今日じゃないから、お店に行っても買えないよ」 「あ?」 「喜一くんのその気持ちはとっても嬉しいけど!」 財布に入っているカードを差し出して、名前のCDを買う気でいたのだが、ちょうどアイツと出会ったことで真実を知ることになった。タイミングが良かったのは、やはり俺が運の良い男だからだろう。天はいつでも俺の味方なのだ。世界は俺のために動いていると言ってもいい。名前は靴を脱ぎ捨てた俺の手を掴んで、部屋へ引っ張っていく。幼馴染だからこそ分かることだが、小さい頃は同じくらいの手の大きさで、背丈もこんなに差がなかったはずなのに、いつの間にか二人の間に大きな違いが表れていた。一方はアイドルとして活躍し、もう一方はサッカーに夢中で。互いに知らないことが増えてきてしまったらしい。 部屋に入るなり、名前は大きなコンポの前に走っていくと、先程のCDをセットし始める。アイツの言う通り、今日手に入らないCDなのであれば、俺はこの世界の誰よりも早く新曲をフルコーラスで聞けるということだ。学校にいるファンどもに一斉に自慢のメールを送ってやりたい。名前というアイドルは、現在大柴喜一の家で、新曲を披露するぞと。コンポから流れ出す音楽に合わせて、名前も小声で歌いながら、俺の前で踊り出す。今回、新曲の知らせをサボったことはこれで水に流すことにしよう。 「喜一くん、お誕生日おめでとう!」 「もっと祝っていいぞ」 「だから、新曲を一番に喜一くんにプレゼントしたくて」 離れていた距離を埋めるように近づいてきた名前は、目の前に座り込むと、身体をソワソワさせたまま、誕生日を祝う歌を口ずさみ始める。俺しか聞いていない上に、俺だけのために歌っている名前を少しだけ、可愛いと思った。この俺が可愛いと思うのだから、名前も自信を持っていい。テレビに映って歌っているときよりも、今、歌っている方が何千倍も良い。こうして、誰も知ることのないアイドル、名前の全てはいつまでも俺だけのものなのだ。誰にも渡すつもりはない。俺に認められる女など、そうそういないのだから。 Title:ジャベリン |