彼女は強い。 ずっと昔から一緒にいる、いわゆる幼馴染。すぐ近くに住んでいて、幼稚園も小学校も中学校も高校もずっと一緒だった。小さい頃はよく喧嘩をして、二人で親に怒られたり、秘密基地を作って二人だけの秘密にしたりして。でもそんな子どものような関係を続けていられたのは中学生になる前だっただろうか。中学の入学式を迎える前に、彼女の両親が不慮の事故にあった。事故の話が俺の耳に入るまでそれほど時間はかからなかった。事故現場は俺たちが住んでいるところのすぐ傍で、小学生の足でも十分行ける距離。その話を聞いてすぐに俺は現場に向かって一目散に走りはじめていた。彼女の両親にはとても世話になっていて、いつも俺を可愛がってくれている。あの、温かい雰囲気が失われてしまうと思うと足が竦んだ。いらっしゃい、と笑って迎えてくれる彼女の母親。いつも名前と遊んでくれてありがとう、今度どこかに一緒に遊びに行くかと誘ってくれる彼女の父親。俺にとっては第二の母と父のようなものだった。そしてその元に生まれた彼女は幼馴染という言葉だけでは片付けることの出来ない存在になっていた。 電柱を何本も抜けて、路地裏を駆け抜けて、次第に大きくなるパトカーや救急車のサイレンの音に耳を塞ぎたくなった。人の声も聴こえてくる。その中には泣き叫ぶ声もあって、走っている俺の視界がじんわりとぼやけてきた。でもここで足を止めてはいけないと、小学生ながらに自分を鼓舞しながら商店街の入り口に向かって走る。すれ違う人々は口々に言っていた。 「あのお家には確か一人娘が…」 「かわいそうに、ご両親が…」 耳を塞ぐよりも先に俺は大声で叫びながら走っていた。そんな悲痛な言葉を聞きたくなかったし、何よりも彼女に聞かせたくなかった。俺が聞いても心を痛めているというのに、当の本人が聞いたらどう思うだろう。事故に関係のない人間は他人事だから、心無いような言葉がぽんぽんと出てくるのだと思う。確かにそれはしょうがないことであるかもしれないが、関係のある人間からすれば刺さる言葉なのだ。感情豊かな人間の良い部分でもあるし、それは影を持った悪い部分でもある。 黄色いテープが目に飛び込んできて俺は足を止めた。警察官の人が交通整理をしていて、救急救命士の人が担架を救急車に運ぶ様子が見える。話を聞いたときは耳を疑ったし、これが彼女の両親ではないと心のどこかで自分に言い聞かせていた。何かの間違いだと。大丈夫、大丈夫と言い聞かせて。 でも実際に現場を目にしてしまうと駄目だった。我慢していたはずの涙が堰を切ったように流れ出てきて、俺の小さな手では収まりきれないものになってしまう。拭っても拭っても溢れ出る涙に怒りが込み上げてきた。 どうして、止まってくれないんだよ、と。 ガクガクと震える足で立ち入り禁止の直前まで行くと、濡れた視界に彼女の姿を探した。家には両親と彼女しか住んでいないのだから、一人に決まっている。こんな近くで起こった事故なのだから、きっとここに来ていると思った俺は一生懸命に人を掻き分けながら、彼女の名前を呼び続けた。視界は大人ばかりで遮られており、ざわついたその場のせいで俺の声も彼女にはなかなか届かないかもしれない。それでも全力で叫び続けた。 「名前…!」 現場から少し離れたベンチに座り込んでいる彼女を見つけた。けれど、近づいたところでどう声をかけていいか分からない。両親の状態も事故の詳細も俺には分からないため、この後の事態の転がりようなど予想すら出来ない。ここで俺がぽろりと軽率に零した言葉がもしかしたら後々に響くかもしれない。それくらい慎重にいかねばならない場面だった。でも、小学生には難しいことなど分かるはずもなく、彼女の元へ縺れる足で走る。 彼女の表情を見て、俺は驚いたのを今でも忘れない。 号泣しているかと思っていたのが甘かった。 無表情であったのだ。何も見えていないような。彼女はこの現実を拒否してしまっていて、考えることを放棄している。俺なんかではそんな彼女をどうか出来るなんて到底思えなかった。 「…だいち、」 「…」 「ねえ、だいち…」 痛々しく吐き出される言葉になんと返していいものか分からず、きゅっと唇を結んだまま彼女の次の言葉を待つ。考えても考えても気の利く言葉なんて、出てこないのだ。そもそもこの場面において気を利かせた台詞なんて、あるわけがない。何を言っても、俺は澤村大地で、彼女と代わってはやれないのだ。 「…なんで、わたしのママとパパなんだろうね」 「名前…」 「なんで、なんで、なのかな」 その時、ゆっくりと流れ落ちる一粒の雫がスタートの合図だったようで、彼女は漸く泣き出した。俺はそこで不謹慎にも少し安心してしまう。このまま彼女が表情を変えることもなく、ただそこで蹲ったままだったらどうしようかと思ったからである。現実から目を逸らしてしまっては、人間は次に進むことなど出来ない。涙を零したということは彼女も少し現実に向き合おうとしている兆候だと考えられる。 「なにも、わるいこと、してないのに」 「…そうだな」 「どうして、つれていっちゃうの」 その後、駆けつけた祖父母と一緒に彼女は病院へ向かった。 何も言えなかった俺は自分の家に戻ると、部屋のベッドの毛布に丸まっては声を押し殺して泣いた。自分の無力さを呪うように。彼女の祖父母は感謝の言葉を述べてくれたけれど、俺にも出来ることはまだあったはずだ。そう思うと、もう涙しか出てこなかった。 彼女はこれからどうなってしまうのだろう、そう考えると怖かった。祖父母に手を引かれていく彼女の後ろ姿を見て胸が痛んだ。 葬式に参列した俺は彼女の顔を見ることすら出来ず、言葉も交わすことも出来なかった。彼女は今の家に祖父母と一緒に住むらしい。距離が離れることはなかったが、顔を合わせたときにどんな風に接するべきなのか。両親に相談をしてみたが、とにかく時間を置きなさいと言われた。その現実からは逃げることが出来ないのだから彼女自身がゆっくりでも受け入れていくしかない。他人からあれこれ言われるのは本人にとっては苦痛でしかないのだから、言葉をかけるときは細心の注意を払うこと。 「大地は普段通りにしていなさい。それが名前ちゃんのためかもしれないわ」 喪服に身を包んだ母は震える俺の手を握りながらそう言う。 最後まで葬式に行きたくないと駄々を捏ねた俺は厳しく叱られた。今までお世話になった人に感謝の思いを伝えなくては失礼にあたるでしょうと。親族の方だって、自分たちの大切な人のためにこんなにもたくさんの人が集まってくれたという事実が心に沁みるものだと思うわよ、母は続けた。 人との出会いを大切にしなさい、と父が反対側から小さな声で言う。俺の人生の中で出会う人には限界がある。様々な背景を持った、色んな性格の人がいるのだから、全ての人を受け入れていくこと。もちろんその中には馬の合わない人だっているかもしれないが、それはそれでしょうがない。受け入れていかねばならない。 俺の幼馴染は重い物をひとりで背負っているのだ。 それを理解した上で俺が何か出来ることをするべきなのか考えよう。 |