彼は強い。
降りかかった災難に泣く日々が続いていたのだけれど、そうしてばかりでは周りに心配をかけてしまう。それは嫌だった。だからせめて人のいるところでは笑おうと決めて、なんとか明るく振る舞っている。
そんなときに見かけた幼馴染の姿。噂に聞いてはいたが、本当に彼はコートの中で主将として頑張っていた。でもわたしは知っているんだよ、あなたがコートの外で一人になったときに難しい顔をしては悩んでいること。境遇は違うにしろ、一人で何かを抱え込むことの辛さを知っていたわたしはどうしても彼に声を掛けたかった。あの事故から話すことがめっきり減ってしまっていたのは、わたしが彼になんて言って良いか分からなくなってしまっていたから。きっと向こうだって声を掛け辛いはず。だからこそわたしから声を掛けるべきだったのだけど、きっかけを作れずに時間だけが過ぎていってしまっていた。
大切にしたいと思うあまりに、どうしていいか分からない。そんなときにあの大きな逞しい肩が小刻みに震えているのを見つけてしまったのだ。これが最後のチャンスだと思ったわたしは声を掛ける。泣いているところに声を掛けられることを、彼は嫌うかもしれないけれど、そんなに一人でなんでも解決しようとしなくていいとわたしは思う。皆がいるから。彼には慕ってくれる人がたくさんいると知っている。だって、あなたの人望がここまでチームを作りあげたのだから。
それに、わたしだっている。昔からずっと一緒にいたじゃない。家まで送ってくれた彼はやっぱり昔のままで、変わってないなあと思った。時間はどんどん過ぎていって、わたしたちはあの頃よりかは大人になったつもりだったけれど、そうではないらしい。



「大地、ありがとう」
「俺の方こそ」
「約束したからね」
「ああ」







12月31日。
今年もあと少しで終わってしまう。自分の部屋に戻って来た澤村はテレビの電源を入れた。日付が変わる頃には今までに出会ってきたライバルたちから祝いのメッセージがひっきりなしに届き、昼間は部活のメンバーからの誕生日会と祝い続きである。澤村は自分が生まれた日をこんなに盛大に祝ってもらうのは今年が今までで一番かもしれないと思っていた。自分が大切にしてきた人との出会いがこんな風に返ってきたのである。テレビ画面には今年ももうすぐで終わりますね、よいお年をお迎えくださいという内容ばかりが陳列していた。本当にもうすぐ年が終わってしまうのだなあと改めて思わされた。
名前と交わした約束を果たすのも今日、この日だった。澤村の誕生日。毎年祝いに来ていた名前を思い浮かべながら、最後に誕生日プレゼントとして貰ったものはそういえばバレーボールであったことに気づく。澤村の部屋の端っこの方へ追いやられてしまってはいるが、ずっと彼は捨てられずにいた。実戦で使うことは出来ないくらい練習で使い込んだものだったが、部屋で適当にボールに触れるくらいだったらそれで十分役割を果たしている。今でも寝る前にあのボールは触るようにしていた。
久しぶりに名前からプレゼントが貰えると思うと胸が躍った。今日、彼女が家に遊びに来ると両親に言うと彼らも嬉しそうに笑って、澤村に一言呟く。もう、離さないようにね、と。その言葉が友情の意味なのか、はたまた恋愛の意味なのかは分からないが、両親というのは子どものことをよく見ているものだなあと澤村は感じた。なんだか見抜かれているようで気恥ずかしく思う。彼らは夜まで買い物で出かけるというので、大晦日の家族団欒は夜。それまでの時間を名前に使おうと澤村は考えていた。
ぴんぽーん、という音が聞こえた瞬間に玄関に走り出した澤村は自分って単純だな、と思った。



「名前」
「約束通り来ました」



厚手のコートを着てマフラーをぐるぐると巻いた名前は鼻の頭を真っ赤にしながら、手を擦り合わせていた。彼女のその様子に加え、扉の隙間からは冷たい風がひっきりなしに吹き込んでくる。澤村の身体も一瞬で寒さにやられたように震えた。なにしろ、彼は家の中にずっといるため、季節は冬だというのに似合わないほどの薄着だったのである。



「寒かっただろ、早く俺の部屋に」
「…あっ、う、うん」
「どうした?」



目が合わない澤村と名前。
首を傾げる澤村だったが、彼女がゆっくりと口を開く。視線は澤村に刺さることなく、玄関の壁やら、彼女自身の足元を彷徨っていた。澤村が不思議に思うのも納得がいく。



「わたしたち、もう、大人になったから…」
「…っ!ご、ごめんな、俺気が利かなくてさ…そ、そうだよな、入りづらいか」



名前の戸惑いの意味が分かって慌てる澤村は、くるりと背を向けた。言葉が文章として出ないために、単語が頭の中をぐるぐると回り始める。果たして、今、彼女にどういう言葉をかければ正解なのか。幼馴染みにそんな台詞を吐かれるとは思ってもいなかった澤村は意味もなく、頭に片手を乗せては流れるようにして手を落とした。
ヒールがかつん、と音を立てる。



「あのね、大地が良ければ、それでも…。ほら、彼女さんが居たら悪いかなあと思ってさ!」
「いや俺にはいないし、名前だから気にしない」
「…そ、そっか」



二人とも喋らず、澤村の背中を追うようにして名前が後に続く。階段の前まで来たときに不意に先導していた澤村が立ち止まったため、名前は思いっきりぶつかってしまってよろけた。大きな背中は強い。主将は背負っているものが他の人とはまた少し違うのだ。



「…った」
「すまん」
「止まるなら止まるって言ってよ!」
「あ、いや、ここから階段だから名前が先に上った方がいいかなってさ」
「え、なんで」
「階段から落ちたときに俺が受け止められるように」



名前はその事態を想像して一人顔を赤くした。目の前のこの男はなんてことをさらりと言っているのか。先程は言葉に詰まっていたくせに、意識をしていなければこんな台詞を吐けるのだ。手を広げて説明をする澤村の顔は至って真面目なもので、名前とは対照的なものである。



「早く上がってくれ」
「…ぱ、パンツ見ないでよ!?」



恥ずかしさを隠そうと投げつけた言葉に顔を赤くするのは澤村の番だった。鞄で顔を隠した名前は走ってかけ上がる。どうして今日に限ってワンピースなんて着て来てしまったのだろう、と自分に問いかけながら。クローゼットの前で洋服を何着も引っ張り出しては、鏡で合わせて悩んだ時間が長いことを澤村が知る由もない。



「…見えたらすまん」
「だから見ないで!」
「お、おい、そんな走ったら危ないから!」
「大丈夫ですー」



名前は変わらぬ位置にある澤村の部屋の扉を思いっきり開いて中へ飛び込む。家具の位置やある物は多少変わっていたけれど、そこは名前が想像していたものだった。昔、よく遊びに来ていた時の記憶が甦る。小さな頃の二人がその部屋で遊んでいる様子が目に浮かんで見えるようだった。



「…ったく、名前は」
「大地ー!」
「はいはい」
「変わんないねー」



ベッドに腰掛けた名前はぐるりと見渡してから澤村へと視線を移した。目が合ったかと思えば、ぱっと逸らされてしまったので今度は名前が首を傾げる。



「…あの、名前」
「ん?」
「ベッドに座るのはあまり、そのな、うん」
「…大地」



澤村はいつもの名前の瞳ではないと感じて、少し躊躇した。甘く濡れたその瞳はあたかも最初からこんなシチュエーションを望んでいたようなものだと錯覚させられる。薄く色づいたくちびるから目が離せない。



「名前」
「大地、お誕生日おめでとう。わたしやっぱり、」
「…俺から言わせて」



自分を律しながら澤村は名前の横に腰掛けて、その大きな手で口を塞いだ。びっくりした彼女の瞳が揺れる。
自分の誕生日を祝って貰うのは素直に嬉しい澤村だったが、もうそれでは満足出来ない限界まで来ていた。それに彼女がモーションをかけてくるものだから、勘違いしそうである。しかし、もう勘違いしてもいいと思い始めていた。



「名前に一緒にいて欲しい」
「…だ、大地はずるいね、欲しい言葉をくれるんだから」
「いや、欲しいものをくれるのは名前だよ」
「…やっと笑ったな、本物の笑顔で」
「ほんと大地はそこまで見てるんだから敵わないね」
「嬉しいよ。プレゼント貰えてさ」
「うん。おめでとう、大地」



澤村の前に差し出されたのは新品のバレーボールだった。同じようなことが昔もあったな、なんて思いながら彼は部屋の隅に転がるバレーボールを見る。何も変わらない、同じものがそこにあった。違うのは新しいか、古いか、ただそれだけである。
ぐっと体を寄せた名前はそのまま澤村に全てを預けるような体勢になると、耳を赤くして彼の言葉を待つようだった。



「名前、だからそういう思わせぶりなのは」
「…大地にしか、しないよ」
「…これも誕生日プレゼント?」
「うん、貰ってくれる?」
「名前こそ俺で?」
「当たり前でしょ。もう、一人にしないでね」
「…分かった」



二人は柔らかなベッドに吸い込まれるように倒れ込んだ。勢いよくシーツに縫い付けられた名前は澤村と顔を見合わせて笑う。そう、彼らは一人ではないのだ。

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