*女の子≠プロデューサー 「名前ちゃん」 「あ、柏木くん」 学校の同級生だった彼はパイロットになったことを嬉しそうに報告してきたことがある。と思えば、次にもらった報告にはアイドルになるとの文が綴られていて、驚愕したわたしが携帯を床に落としたことも記憶に新しい。そのうち、テレビをつけると柏木くんが同じグループのメンバーと一緒に満面の笑みを浮かべているところを見るようになった。柏木くん以外の二人は彼よりも年上だろう。そんな年上二人に囲まれた笑顔を見たら、パイロットをどうして辞めたのかなんて気にすることではないのだと気づいた。 わたしの名前を数年前から変わらずに呼んだ柏木くんはアイドルとして活動しているが、こうやって、人目を忍んでわたしの働く花屋へ度々立ち寄る。今日は満月が顔を出していて、もうお店の閉店時間も近い。雲ひとつなく、煌めく満月だけのステージとなった空は幾多の星々で飾られている。美しき月夜の晩と称するに値するだろう。柏木くんは人の少ない時間を選んで、その上変装までしているのだけれど、わたしは彼の柔らかい雰囲気で分かってしまう。遠くから姿を見せた瞬間にすぐ気づくのだ。堂々とした歩き方をすればいいのに、抜き足差し足というような逆に目立つ歩き方をする。すれ違う人が不思議な物でも見る目をしているのに気づいていないのだろうか。そんな柏木くんだけれど、彼自身はいつも世話をしているお花の雰囲気にそっくりなのだ。笑った表情は花びらを纏ったようで、お花の妖精さんみたい。 「この前発売されたCDね、買ったの」 「いつもありがとう」 「すぐに聴いたよ!でもね、失礼かもしれないけれど、ちょっと柏木くんから想像できない歌詞を担当していたからびっくりしちゃった」 「あ、あれはオレ、頑張って歌ってるよ……輝さんたちに笑われたし」 「だって、柏木くん普段から優しくて穏やかなイメージだからね」 妖精さんだなんて言ったけれど、実際柏木くんが歌っているところを聞けば、そんなイメージはどこかへ吹っ飛んでいってしまっていた。色鮮やかな柔らかい花弁に触れようとしたら、葉と葉の間にそっと隠れていた棘にちくりと刺されてしまったような感じだろうか。つまり油断をしていたら、予想外の展開が訪れたということだ。言い方は悪いかもしれないけれど、女の子を魅了して落としてしまうような悪い顔をしているのだろうなあ。歌声だけを聴いて勝手に想像したけれど、これは新発見だ。そういう歌い方も彼はできてしまうだなんて、とんだ小悪魔男子め。 柏木くんは頭を掻きながら、いつも通り笑う。それは液晶を通して見る笑顔でも、CDのパッケージや雑誌に載っている時の笑顔でもなく、学生時代によく見ていた表情だった。一瞬、学生時代に戻ったような気がしたわたしは思わず口が緩む。わたしが笑った意味が分からないようで、柏木くんは首を傾げていた。 「いじめたくなるだなんて、柏木くんが一生言わなそうな言葉だもの」 「オレもそう思ってたけど、あの歌詞の意味、少し分かったかも」 「……うん?」 「ううん、なんでもない。内緒」 「気になるけど、まあいいや。それにしても、天道さんの奪うけどいいかな、だっけ?あれも女の子たちをときめかせるには充分だよね」 「輝さんはかっこいいよ」 奪うけどいいかな、なんて男前な人に言われて返せる言葉なんて正直ない。もう、無言のまま奪ってしまって欲しいと思う。少女漫画でよくある展開だ。現実的にはなかなか起こり得ることではないからこそ、空想の世界に憧れてしまう心理が働くのだろう。アイドルは実際に存在するものの、一般人には手の届かない存在であるから。 柏木くんは天道さんのことをとても尊敬していると言っていたけれど、今の彼の瞳を見ればすぐに分かることだった。きっと、天道さんが歌っている姿を頭の中で思い浮かべている。 「名前ちゃんも、輝さんにときめいた?」 「だって、あんなのずるいもん」 「……そっかあ」 少し残念そうな表情をした柏木くんはお店に置いてあるお花を見るためだろうか、彼には狭そうな通路をゆっくりと歩き始めた。お花を見ているこの柏木翼は、わたしの同級生だけれど、いまや大人気のアイドル。そんな有名人が小さな小さな花屋を訪れているだなんて、それこそ夢のようだ。同級生だからこそ接点があっただけで、わたしと柏木くんの生まれた年が一年ずれただけでも、今こうした交流はなかっただろう。通路を歩きながら、柏木くんはわたしに声をかけてくる。 「……ね、オレが歌っているところ、他にも思い出せる?」 「もちろんだよ。だって柏木くんの声がわたしは一番頭に残ってるから」 「覚えているところ、言ってみて」 「んーと、静かにアプローチ!」 「うん」 「余裕あるように見えるけど、実はギリギリ限界、って感じのもあったね」 「うん」 「強く抱きしめていいかな、だっけ?」 「……うん」 「なんか、こうやって並べると結構恥ずかしい歌詞ばっかりだね」 まるで、男の人が女の子を口説いているような台詞を言わされている気分。立場的には反対のはずなのに、柏木くんから言ってみてとお願いされて断れるはずがなかった。こんなにサラサラと彼のパートが出てくるということは、無意識に聴いているようで、わたしはきっと柏木くんの歌声に酔いしれているのだろう。そうでなければ、覚えているはずがない。彼のパートを口に出す度に、じんわりとよく分からない汗が滲んでくるのを感じた。 急にエプロンの紐が解けて、お店の床に音を立てて落ちる。蝶々結びが解けたことなんて、今まで一度もなかったのに変だなと思いながら、拾おうと手を伸ばした。目線の先のエプロンはわたしの指が触れる直前で姿を消す。不思議な光景に首を傾げながら、ゆっくりと姿勢を戻すと、お店の中を一周して元の位置に戻ってきていた柏木くんが変装を解いて、わたしのエプロンを持って立っていた。街中から離れた場所に位置している花屋とはいえ、ファンはいろんなところに潜んでいる。目撃情報はあっという間に広がってしまうかもしれないし、雑誌のスクープにされてしまう可能性だって否めない。変装を解いたらダメでしょ、と言おうとしたわたしのくちびるに人差し指が当てられる。言葉を飲み込んで、指の主を探った。それは、エプロンを持っていない方の柏木くんの手で。 「ここまでしても、気づいてくれないのかな……?」 全身を巡る血が沸騰するように熱く感じるのは、柏木くんの言葉の真意を察してしまったからではないだろうか。柏木くんの言動が走馬灯のように甦ってくる。同級生という間柄にしては確かに親しすぎるかもしれないし、ましてやアイドルが通うなんて。普通に考えれば、好意があるのかもと勘違いでも思ってしまうくらいだろう。いつの間にか、同級生という言葉だけで片付けることのできない繋がりになっていることに今気づいてしまった。柏木くんの所属するアイドルグループのCDを誰よりも楽しみにしていて、発売された瞬間にお店に駆け込んで手に入れて、誰よりも彼の歌声を聴いていたいと。アイドルに対する憧れがわたしを突き動かしているのだと思っていたけれど、本物の柏木翼を目の前にして、そうじゃないと気づいてしまったのだ。そういえば、柏木くんはホントの姿を見せて、なんて歌っていたような気もする。 離れていった指先を彼は自分自身のくちびるにくっつける。アイドルの嗜みだろうか、艷やかなくちびるにするためにリップを塗ったそれが、いつもあんな歌声を運んでいるのかと思うと頭がクラクラしそうだ。アイドルの衣装を身に付けていなくたって、柏木くんは輝いて見える。ステージで楽しそうに歌う姿がちらついてしょうがない。 「名前ちゃん、オレ、ずっと控え目にアプローチしてきたよ。今なんてもう、全然余裕ないよ。限界」 「……知らない。そんなの聞いてないもん」 「輝さんはかっこいいよ。でも、名前ちゃんの口から聞くのがこんなにも苦しいなんて思わなかった。ねえ、オレが最後に言いたいこと、もう分かるかな」 ごくり、と息を呑んだ瞬間に柏木くんの大きな身体がわたしを覆う。お店の外からはきっと、柏木くんの背中しか見えない。腰に回ってきた力強い腕はもう、わたしを離してはくれないだろう。それに、わたしには聞こえてしまったのだ。柏木くんが本当に囁くくらいの声量で、壊れ物を扱うくらい優しく、おいで、と零したのを。 |