手で掬ったはずの水は指の隙間から逃げるようにして零れていく。落ちる水を捕まえることもできずに、ただ呆然と流れゆく様を見ているだけだった。音を立てて離れていくのは、わたしへの最後のメッセージかもしれない。噴水の縁に腰掛けていたわたしは、子どもの笑い声に振り向く。目の前に転がっていたサッカーボールを見て、幼馴染の姿を思い浮かべた。そうだ、水樹はこの水にそっくりかもしれない。 幼い頃から一緒にいた水樹、いや、中学生になる頃までは寿人くんと呼んでいた。彼は、名前の呼び方をいつまでも変えずにいる。名前、とわたしを呼ぶ。中学生になると、周りの友達は男女間だと苗字で呼び合うようになっていた。数日前まで、小学生だった彼らは名前で呼び合っていたのにね。真新しい制服に着られたわたしたちは、まるで人が変わったかのように異性と接し始める。あんなに仲良く、昼休みは男女混じってドッジボールをしていたのに。急によそよそしくなり、遊ぶことはなくなっていった。男女の仲が良すぎると、冷やかされるものだから気恥ずかしい。付き合っているのか、と。そんな周りに流されたわたしもついに、寿人くんのことを水樹と呼ぶようになっていた。水樹は、え、とか、なんで、とかしつこかったけれど。そんな水樹は、日を追うごとに呼び方を変えたことに対して追及することをやめてしまっていた。でも、水樹は相変わらず、わたしのことを名前で呼ぶ。周りの男子にからかわれても、当の本人は不思議な眼差しで彼らのことを見つめるだけだった。やがて、水樹がわたしのことを名前で呼ぶことに関しては誰も触れなくなっていた。中学生の時もだったが、高校生になってもそれは変わることがなかった。 偶然だけれど、わたしの通う高校は水樹の通う高校とわりと近い場所にあった。学校は違えど、水樹の姿は何度か見かけたことがある。いつも走っている姿で、その理由を知るのはもう少しあとのことだった。すれ違ったのに気づかない水樹は、本当に集中していて、きっと周りが見えていなかったのだと思う。そのくらい、懸命に打ち込んでいるのだろう。そんな彼が駆けていく姿を見送っては、小さくなっていく姿にわたしは寿人くんと呟くだけ。引き留めるなんて、できなかった。幼馴染といっても、もう、水樹はわたしのことなんて気にも留めていないだろう。ただの幼馴染という感覚に違いない。それ以下の関係でもなければ、それ以上でもない。離れていく水樹に対して、初めて寂しいという感情を抱いたのはその時だったと思う。夕焼けがやけに眩しくて、目を一瞬閉じただけなのに、もう水樹の姿はない。追いかけられない足が妙に憎かった。 水樹はどんどん有名になっていった。高校卒業後の進路も決まっていることを母から聞いた。メディアに取り上げられることもうなぎ登りに増えた。対するわたしは将来の夢で悩み、進路を未だに決められずにいる。担任も進路希望調査用紙の提出やら、三者面談やらで、大変口数が増えた。でも、進む道が見えないわたしは途方に暮れるばかりで、どうしたらよいのか全く分からないのが本心である。白紙の状態の調査用紙と睨み合っては、乱暴にファイルに突っ込んだ。そのまま、机に突っ伏す。水樹に言ったら、なんて言ってくれるだろうか。あまりアテにはならないとは思いつつも、久しぶりに水樹の声が聞きたいと思った。素直に、水樹に会いたいと。幼馴染という関係に甘えて、水樹の時間を少しでも頂けないだろうか。机に顔をくっつけている間に、窓際から見える道を水樹が走っていったことをわたしは知らない。 |