春のしとど


*女の子≠監督



晴れ渡った空から降ってくる眩しい光がカーテンを明るくさせる。談話室に、ポカポカとした温かさを運んできていた。昼食を終えた兵頭はソファーに腰掛けると、目の前で忙しなく口を動かし続ける七尾をチラチラと見ながら、自身のポケットにも意識を向けていた。七尾の喋りは兵頭がきちんと聞いていないことにも気づかずに、止まることを知らない。不意に、テレビからスイーツ大特集という言葉が聞こえてくる。兵頭の顔は条件反射のように動き、液晶を食い入るように見つめた。そこでやっと、七尾は口を止める。十座サン、と名前を呼びながら彼も同じようにテレビを見つめる。ケーキ、シュークリーム、クッキー、饅頭、羊羹、テーブルに心狭しと並ぶ甘味たちに兵頭はゴクリ、と唾を飲み込んだ。小学生が三時のおやつの時間を楽しみに待ち侘びるような、それはそれは幼く見える兵頭は甘い物に目がなく、抗えない甘味への執着からこのような表情を度々見せる。そこを通りかかった伏見は、テレビをチラリと見やるとそういうことかと一人納得していた。好きな物に一直線という兵頭の姿は、近寄りがたい彼の雰囲気を少し和らげてくれる。テレビにこれでもかいう程に集中した七尾と兵頭のためにココア、自分用にコーヒーを作った伏見が同じようにソファーに腰掛けた。
伏見がコーヒーに口を付けた頃、ケーキ屋に直撃するコーナーが始まった。三人とも口には出さなかったが、特集されているケーキ屋はここの寮からあまり遠くない場所の店であることにすぐ気づいていた。店長は男の人であり、記者からのインタビューに次々と答えていく。店内でインタビューを受けているようで、チラチラと客だったり、店の従業員が映る。そこで、あっ、と七尾が声を上げる。



「十座サン、この女の子……学校一緒じゃないッスか?」
「……ああ」
「やっぱり!」
「太一と十座の知り合いか?」
「俺っちは、見たことあるなあって思ったくらいッスけど」



鼻を触りながら首を右左と動かした七尾は、兵頭へと目をやる。伏見も彼の答えを待つべく、七尾と同じ方向へと顔を向ける。ちょうどその時、兵頭には少し似合わない、可愛らしい音が鳴り始める。まるで、画面に映るケーキ屋から招待状が来たように、一瞬彼の表情が更に綻んだ。スマホを取り出した兵頭は、LIMEのアプリを起動させて、メッセージを確認し始める。何も言わずに黙々と指を動かす兵頭の様子を先程まで見つめていた七尾と伏見は、顔を見合わせた。
兵頭はスマホを自分のポケットにもう一度しまうと、急に立ち上がって玄関の方向へと足を進める。談話室を出る時に、状況が飲み込めずにソファーに置いてきぼりを食らっている二人に振り返った。そして、舌足らずに言葉を紡ぐ。



「……俺と、同じクラスっす」







兵頭は寮の外に出ると、再度スマホの画面を操作し、メッセージの相手が待っていると言った場所へと急ぐ。間違いのないように確認をして歩き出した兵頭の頭の中では、テレビで紹介されていたケーキたちが浮かんでは消えることを繰り返した。
堂々と店に寄ってケーキを食べることに躊躇があった兵頭は、少し前に今日紹介されていた店の外から、陳列するショーケースを眺めていたことがある。そんな彼に声をかけたのが、メッセージの差出人である苗字だった。彼女は兵頭が嬉しそうに、でもどこか諦めたように立ち尽くしているのを見て、声を掛けたのである。手は届くのかもしれないけれど、見るだけで満足しよう。そう言いたげな兵頭だった。苗字は彼とは、ほとんど会話をしたことがなかったものの、そこは同じクラスだからという理由さえあれば、声を掛けるのはおかしいことではないと思い、名前を呼ぶ。優しいトーンの声に兵頭が振り返ると、彼の前には自分よりも幾分も小さい苗字がニコニコと立っていた。



「兵頭くんって、ケーキすきなの?」



首を傾げた苗字は、ケーキ屋の前から動こうとしない彼の姿を見て、そう問う。思わず、いつもの癖で否定の言葉を吐きそうになった兵頭に、彼女が先に口を開く。実はね、このお店、わたしのお父さんのお店なの。彼はぐっと堪えて、言葉を飲み込んだ。お父さんがね、名前と同じ制服の男の子を最近よく見るんだけど、お店に入ってきてくれなくてね、って言ってたよ。そう、苗字は兵頭に言う。店長にしっかりと見られていたことに気づかなかった兵頭だったが、改めて店の中をガラス越しに覗く。そうすれば、向こう側では店長らしき人物が彼に手招きをしていた。苗字は、お父さんも待ってるから入ろう、と兵頭に声を掛けた後、石のように頑なに動かない彼の背中を両手で押す。あんなに拒んでいた身体は、甘い香りが漂う扉へといとも簡単に動き出す。つまりは単純なことだったのだ。それほどまでに兵頭はこの店のケーキが気になって仕方ない。この一言に尽きる。
ほんの少し前のことを思い出しながら、目的地へと足を進めていると、小さな箱を持った苗字が兵頭に向かって手招きをしていた。さすが親子、道行く他人に聞こえないように呟いた兵頭は遠慮がちに片手を上げる。店に入りづらいことを正直に彼女に告白してから、苗字はこうやって空いた時間を見つけて、彼女の父が余ったからと家に持ち帰ったケーキを兵頭にお裾分けしていた。



「今日はね、苺をたっぷり使った試作ケーキなの!甘党な兵頭くんにぴったり!」
「……親父さんに礼を言っておいてくれ」
「お父さんねー、兵頭くんの感想すごく嬉しいんだって。試行錯誤してるところだから、意見も欲しいなあって言ってたよ」



公園が今日の待ち合わせ場所だった。簡素なテーブルを前に椅子へ苗字が腰掛け、それに倣うように兵頭も続く。何度かケーキを受け取ったことはあったが、その時は少し立ち話をして、ケーキが数個を入った箱だけを兵頭が貰って解散という流れだった。しかし、今回ばかりは何かが違う。苗字は兵頭の前で箱を開いていく。綺麗に開かれた箱はまるで皿のようになっていた。丁寧なことに、フォークがひとつ入っている。



「ごめんね。今日はケーキ、ひとつしかないんだ」
「……いや、気にするな。いつも悪い、な」
「寮の人たちの分がないから、食べて帰ってもらった方がいいかなと思ったんだけど……」
「ああ、そうする」



いつもの流れが当たり前になっていたために違和感を覚えていた兵頭だったが、彼女の気遣いに頭を下げる。ケーキ屋の箱をぶら下げて帰れば、彼は七尾や向坂にキラキラした瞳を向けられるのだ。今日はケーキが食べられるんだ、と言わんばかりに。そうやって期待を持たせて落ち込ませないために、苗字が考えてくれていたのであろう。寮に帰った後のケーキ争奪戦のことも兵頭が彼女に話していたからこそだ。寮では、兵頭が同じクラスの女子からケーキを貰っていることは寮の誰にも秘密で、彼が気まぐれで勝手に買ってきていることになってはいるが。



「はい、フォーク使って」
「……いただきます」



兵頭の口の中で苺のちょっぴりとした酸味と、それを覆うような甘さ、追い討ちをかけてくるようにクリームが踊る。咀嚼する様子をじっと見つめていた苗字は、初めて彼の間近で食べているところを見ることができたことに、嬉しさのあまり、思わず口元を緩めた。ケーキに夢中な彼のことを、かわいい、とついつい口にしてしまったことに彼女が気づいたのは、兵頭が固まったように苗字のことを見ていたからである。慌てて口を押さえても、外へ出てしまった言葉というものはどうにも消すことはできない。フォークをゆっくりと置いた兵頭の前には、まだ半分のケーキが残っている。美しい形を残したまま半分だけ切り取られたケーキから目を逸らした彼は、フォークを持っていた方の手を自身の後頭部に回して、口を小さく開けたり閉じたりしている。苗字は、零れてしまった言葉の真意が彼に伝わらないことだけをひたすら祈った。今日、ケーキがひとつだけしかないのは偶然だが、公園に呼び出したのは彼の食べる姿を隣で見たいと思ったからだ。その時間を、自分だけが見ていたいと。こっそり箱を持って帰って、誰にも見つからずに食べることなんて兵頭には容易いことだというのは分かっていた。つまり、引き留めるための口実にしか過ぎない。



「苗字も、食べるか」
「兵頭くんが全部食べて……!」



かわいい、という言葉は確実に兵頭に届いていたというのに平然を装った彼は、フォークを再度持つと、自分がひとくち食べるよりも少なめにケーキを切り分け、苗字の前へと運ぶ。更に困惑させられるのは、もちろん彼女だった。兵頭は会話の途切れを気にしたのか、それとも苗字がケーキを食べたそうに見えたのか。何を考えたのか分からないが、いわゆる、あーんというものをしているのだ。先程まで兵頭が口を付けていた同じフォークで、そして、食べさせてもらうなんて。無意識というものは怖いものだと彼女は本気で思った。一向に引く様子が見られない兵頭を見て、苗字は覚悟を決めて口を開く。



「……かわいい、は女に使う言葉だろ」



苗字はケーキを味わうどころではなかった。ケーキのなくなったフォークを持って、微笑んでいる兵頭が目に入ったからだ。目尻が下げられて、ケーキを見つめる時とほぼ変わらない表情。甘い物が好きな彼は、それらを目の前にすると決まってそういう顔を見せる。だというのに、苗字は自分と目が合った彼がそんな表情をすることを知ってしまって、思わず自分の服の上から胸を押さえた。無心でケーキのなくなった箱を畳もうとするが、苗字は自分の作業を見つめる兵頭のことが気になって仕方なかった。視線が刺さっていることが分かってしまう。早く、彼から離れないと心臓が壊れてしまいそうなほどに痛い。原因は彼女が一番よく理解している。
一方、満足したように、残りのケーキを口の中に放り込んだ兵頭は両手を合わせると、やっぱりこの店のケーキは美味い、と遠くを見つめながら優しく、柔らかなトーンで呟いた。



Title:さよならの惑星
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