舌っ足らずの恋足らず
*女の子≠プロデューサー
夜空に溶けるように姿をくらませたカラスを見送ったわたしは、男道ら〜めんと大きく書かれた看板前の道で、携帯の画面をもう一度見る。遅くなるとは聞いていたけれど、まさかこんなに遅くなるとは思っていなかった。でも、明日は仕事が休みなので気にはならないけれど。
着信履歴に残った道流さんという文字を何度も光らせては、画面ごと消す。作業となってしまったその行動を止めたのは、虫と鳥の鳴き声しかしないほどの静かな夜道にやたら騒がしい声が聞こえたからだ。スポーツ用品を扱っている店で働いているわたしは、偶然にも知り合った道流さんに誘われて、こうやって一緒にご飯を食べることが度々ある。道流さんと二人きりということではなく、THE虎牙道のみんな、とだけれど。ギャンギャン騒いでいる声の主はきっと漣くんで、タケルくんと競い合いになっているのだろう。タケルくんは熱くなると声が大きくなるのだが、基本的には冷静に漣くんに対応する。今日はまだ冷静でいるらしく、タケルくんの声はよく聞こえない。わたしは道流さんと歳が近いので、どちらかというと、二人のことは道流さんと同じような目線で見てしまう。愉快で可愛い弟たち、そんな感じだった。道流さんは騒がしい二人をいつも宥めるように、それでいて上手く纏め上げてしまうお兄さんのような存在である。わたしの悩みを聞いてくれることもあった。そうしたら、いつの間にか、道流さんからご飯に誘われるようになっていたのである。決して回数が多いとは言えないけれど、その誘いが来ることが楽しみで仕方なくなっていた。知名度も上がってきて、人気も出てきている、あのTHE虎牙道のメンバーとご飯を食べているなんて死んでも口外できない。彼らとの秘密だった。
「おお、先に来てたのか。すまん、遅くなって」
「ちょっと待ちくたびれちゃいました。道流さん」
わたしに最初に気づいたのは道流さんで、タケルくんと漣くんの肩をポンポンと叩くと、こちらへ走ってきた。道流さんに止められてしまえば、二人はあっという間に黙ってしまうので面白い。クスクスと笑っていると、あとから追いついてきた漣くんが街灯に照らされつつ睨んできた。初めて会った時は怖いと思ったけれど、漣くんが飛び掛かってきて噛み付くわけではないし、何よりも彼は不器用な子なのである。それが分かってからというもの、漣くんを可愛いと思うようになった。
「名前、オマエなに笑って、」
「……名前さん、円城寺さんに呼ばれて?」
「あら、漣くんとタケルくんには言ってないんですか?道流さん」
「名前のこと、そういえば今日は二人には言ってなかったなー」
店の前で高らかに笑う道流さんは扉を開錠すると、漣くんの背中を押して店内へ彼を進ませる。道流さんがとんっと押した後はタケルくんがぐいぐい押すので、漣くんは半ば押し込まれるような形になって、わたしの前から姿を消す。道流さんは二人が店内に入ったのを確認すると、扉を閉めた。わたしたちも入るのではなかったのか。頭の上にはクエスチョンマークが飛ぶ。そんなわたしを見て、道流さんは静かに笑った。
今日も懸命にアイドルの仕事をこなしたであろう道流さんのトレードマークともいえるであろう、バンダナは不格好だった。結び目が緩くなっているようで、今にも外れそう。わたしは手を伸ばそうとしたが、その手首は道流さんに捕まえられてしまう。その代わり、道流さんは自分でそのバンダナを取り去った。いつも人前であまり見せることのない、髪は月光に照らされてよく見える。わたしの手首から移動を始めた彼の手は、わたしの指の間をなぞっては絡め取るように落ち着いた。
「あの、道流さん?」
「……二人をあまり待たせるのは悪いな」
街灯も月光も心許ない明るさで、夜は人気のない場所だった。道流さんの表情は微かにしか見えず、ほとんど分からない。でも、触れられて繋がっている手は確かに熱かった。意識をしないように努めても、自然とわたしの意識はそこへ集中してしまう。彼の指がわたしの指の間で優しく動く。指先が肌を掠めるごとに、わたしの熱はどんどんと高まっていくのが自分でも分かった。熱狂的なファンも知らない、この道流さんの手に、指。この時間だけはわたしのものだった。
「名前、飯にしよう」
急に離された手は、まるで自分の身体の一部でないようにしばらく思えた。今の出来事に一切触れない道流さんの背中についていくように、わたしは店の中に入る。漣くんとタケルくんはいつもの席に座って、彼らの間には一人分のスペースが空けられていた。漣くんが遅せェ、と道流さんに吹っ掛けていたが、彼はいつも通りに笑っている。心なしか、漣くんの声色が優しいような気もした。タケルくんがわたしに座るように促したので、カウンター越しに道流さんを見る。彼は手際良く、ラーメンを作り始めるだけだった。
外で何も言わなかったのは、一体。わたしがいつまで経っても話し出さないので、タケルくんに不思議そうな顔で見られる。いつも、彼らのアイドル活動のことについて心を躍らせてしつこいほどに聞き出しているからだろう。しかし、今日ばかりはそんな気分になれなかったのだ。麺と睨めっこしている道流さんのせいに間違いなかったけれど、この話を漣くんやタケルくんの前でするわけにもいかない。
「名前さん?」
「え、あっ、何かな、タケルくん」
「ハッ、大天才なオレ様の活躍を思い出して、言葉も出ねェんだろ?」
「漣くんのあれはすごかったね!確かに」
「名前さん、何かあったのか?変だ」
「コイツは元から変だろ、チビ」
「漣くんひどい……」
タケルくんに気を遣われているのがすぐに分かったし、漣くんはきっと静かなわたしを気にして、場を盛り上げようとしているのではないだろうか。年下の男の子たちにここまでされてしまうなんて、大人の女として恥ずかしい。
ちらり、とカウンターの向こう側を見れば、ちょうどこちらの様子を伺っていたであろう道流さんと目が合ってしまった。わたしは慌てて逸らしたから、彼の表情は分からずじまい。
「漣、タケル、ラーメンの量はどうするのか?」
量を尋ねられた二人は矢継疾に答える。店の中いっぱいに響き渡る声は、今が夜ということを忘れさせてしまうようだった。その勢いで、わたしと道流さんの間に起こった出来事も記憶から消してしまえたら、こんなに気にすることはなかったのに。でも、一方で忘れたくないという気持ちになっているのも確かだった。
タケルくんが名前さんはラーメンの量どうする、と聞いてきたので普通で大丈夫だよと返しておく。先程の二人への質問の後に、道流さんに尋ねられたとは思うが、もうそれすらも耳に入ってきていなかった。ラーメンの良い香りが鼻を擽ったようで、漣くんが落ち着かないように鼻をクンクンと動かしている。タケルくんは相変わらずわたしの様子を伺っているようだったが、しばらく道流さんの方を見つめたかと思えば、わたしに耳打ちをする。その声は心配そうで、どこか嬉しそうにも聞こえた。相反するような気持ちが篭ったような、言葉だったと思う。
「俺の推測でしかないけど、きっと円城寺さんは名前さんのことが……」
「……えっ」
「だから、待ってて欲しい。円城寺さんが名前さんに何か言うまでは」
「おいそこ!二人でこそこそしてんじゃねェ!」
漣くんの乱入にタケルくんは邪魔するなとばかりの顔つきをした。タケルくんの言葉が本当に正しければ、つまり、そういうことなのだろう。この後、わたしはどんな顔をしてラーメンを食べたらよいのか、ますます分からなくなってしまったのだった。
Title:さよならの惑星