君と花畑と幸せ


ガラス張りの向こう側に違った小さな世界が広がっている。それを見た彼女は、こんなところにもお花があるんだね、と呟く。カメラを首からぶら下げたオレは、うんうんと頷きながら、何度も立ち止まっては足元を見つめる名前ちゃんの後をついて行く。目で捉えられても触れることは叶わない花々のちょうど上を歩いて行く彼女は、見たこともない景色に酔いしれているのか、後ろを振り向いてくれることはなかった。連れて来たのはオレだけど、なんだか嬉しいような、寂しいような。
人の手で育てられた花はまるでカーテン、あるいはカーペットのようで、目の前を華やかに飾る。模様の鮮やかな蝶が誘う異世界に迷い込んで、見るもの全てが新鮮で心を奪われたなんて、写真を何枚も撮っていく自分のことを例えてみたりした。少しでもいい写真を撮ろうと遠近を考えたり、シャッタースピードを考えたり、生の花を写真でより伝えるにはどんな風に撮れば良いのかと方法を夢中になったつもりで試していても、本当は自分を落ち着けるためだと分かっていた。何かをしていないと平静を保てない。そのくらいには、ひどく緊張していた。オレはとっくに彼女に置いていかれていて、だいぶ離れた場所へと名前ちゃんは歩いて行ってしまっている。早く早く、と急かすように手招きする彼女の向こう側には花のアーチが幾つも重なって、まるでひとつのトンネルのようになっていた。人の足が絶えることのないのは、それだけ魅力的という証拠だ。小走りすれば、その手前には人工のちょっとした池のようなものが広がっている。透き通った水色を添えることで、花をより一層目立たせるために工夫しているのだろう。アーチをくぐっていく彼女の後ろを追いかける。赤色、青色、黄色、と目まぐるしく変化していく色は彼女をキラキラと輝かせた。先程とはちょっと違って、何歩か歩いて確認するように後ろを振り向く彼女に笑みを零せば、名前ちゃんは今まで歩いた道を戻って来る。目の前に止まると、急にオレの腕を引っ張った。



「いっしょに、歩いて」



離れたところからカメラを構えて歩いていたオレのことがどうやら不満らしい。でも、彼女の隣を歩くのはレベルが高いのだ。今でも緊張しているというのに、これ以上オレをどうしたいの。オレたちは別に恋人という関係ではない。名前ちゃんがどう思うかなんて知らないけれど、こんなに近くをずっと一緒に歩けば、間違いなくカップルだと思われる。オレはそれで勘違いされた方が嬉しい。でもやっぱり、ちょっと卑怯な手段かもしれない。そういう気分を味わって、自分が幸せでありたいのだ。
花園の中でも、てっぺんから全体を見渡せる場所に来れば、彼女がここで一息つこうと言って手摺りに手を掛ける。その横顔はまるで雑誌の表紙を飾ってもおかしくないようなもので、構図を考えてもぴったりだと思った。花を中心に持ってきて、彼女の横顔を添えるような控えめな感じがいい。主張しすぎない程度のサラッとした雰囲気が好みだし、なんといっても、名前ちゃんに合っている気がするのだ。
思いを馳せている先が一体何であるかは当然オレには分からないけれど、こちらには全く気付いていないようなのでレンズ越しの彼女は独り占めだ。誰も見ていない。レンズ越しじゃなくても、彼女に夢中だけれど。彼女に一番似合う色は何色だろうか。暖色、それとも寒色か。シャッターボタンを押してしまえば、音で一瞬にして気付かれてしまうからチャンスは一度きりだ。撮られることを意識していない自然体での彼女の姿を写すことができることは、たったこのひと押しだけなのだ。シャッターボタンに添えた指先が震えている。自然な彼女を、カメラにおさめたい。



「ねえ」



びっくりしたと同時に指に力が入ってしまう。気持ちの良いくらいにシャッター音が鳴り響く。もたもたしている間に彼女が静かなオレの方を見たようで、気付かれてしまった。急いでその写真を確認すれば、画面中央に彼女の微笑んだ顔が写っている。あれ、オレは画面の端に名前ちゃんを捉えていたつもりだったのに。無意識のうちに、レンズの真ん中にいたのは彼女だったらしい。知らず知らずのうちに引き寄せられていったのかな。
彼女がトントン、とオレの肩を叩いて、入り口の方を指差すのでそちらに目をやる。人混みに紛れて見覚えのある人間の姿がぽつり、ぽつりと見える。眼鏡をおさえつつ、どこか違う方を向いている人。こちらに完全に背中を向けたガタイのいい人。魚が泳いでいない水辺で帽子を深く被り、釣竿を持っている人。思わず、溜め息。どうして三人がここにいるのか。確かに目的地と彼女のことは伝えたけれど、こっそり覗き見をするなんて。心配をされているのか、それともからかうために来ているのか、真相は分からない。でも、人の目というものは気になるのだ。特に知っている人間だと。



「あれって……」
「なにも見なかったよ。オレは。あーあーなにも見てませーん」
「ふふ」



笑い出す彼女の腕を捕まえて、オレは走り出す。こういう時くらい、本当に二人きりにしてくれていいのに。それに隠し撮りするよりも、やっぱりちゃんと頼もう。見えませんと言ったけれど、ばっちり視界の中に捉えていたノクトたちに向かって手を振る。花の写真はもう充分撮った。満足するほどに。でも、オレが今日一番撮りたかったものは未だに撮れていない。それにどうせなら、その一枚には自分も写りたいわけだ。



「イグニス〜!写真撮ってよ」



隠れようとして隠れることが全くできていない人たちにカメラを託す。そうして、花を背景にしてイグニスの方を向いた。名前ちゃんは写真を撮ることが分かったように、手を離したオレからそっと離れて行こうとしたので、待ってよと言ってもう一度彼女を捕まえる。今度は腕ではなく、女の子の手を。その瞬間に口笛が響き渡ったことについては言及しないでおく。驚いた彼女が写真に入っちゃうよと言ったけれど、オレが欲しいのはまさにその写真なのだ。彼女が隣にいて、二人で写りたいのだ。どさくさに紛れて咄嗟に掴んだ手も、もう、このままでいいや。むしろ、勇気を出して掴んだのだからもう少しくらい夢心地を味わいたい。おい、プロンプト、顔が赤いぞ。そんな声が聞こえたけれど、こればかりはどうしようもないのだ。その後、イグニスの撮ってくれた写真を確認したら、顔を赤く染めていたのはオレだけではなかった。



Title:誰そ彼
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