カヴァレリア・ルスティカーナ
*女の子≠プロデューサー
真っ白なお皿に盛り付けられた色とりどりの食べ物は、あっという間に翼くんの口の中に吸い込まれていく。野菜に、パスタに、お肉に、たくさん乗せられているはずなのに、満面の笑みで手を止めることのない、この大食いっ子に食べられてしまうのだ。量を普通の人の何倍も食べているのにも関わらず、毎回顔つきは初めての食べ物を口にしているようなもので。ひまわりが満開に咲くように眩しい。わたしのお皿の食べ物が一回なくなった時、翼くんのお皿の食べ物は三回ほどなくなっている。
今日は久しぶりのオフだそうで、昨日の夜、翼くんから電話が来た。明日はおやすみだから、デートをしようと言う。仕事が立て込んでいるのはだんだんと有名になってきて、人気も出てきている証拠だ。気を抜いて外に出掛けてもいいものか、なんて思ったけれど、翼くんの明るくワクワクした声を聞いてしまったら、もう悩むことなんてない。もちろん、と返事をしながらわたしは携帯を耳から離して、スピーカーホンモードに切り替える。翼くんはデートに誘ってくれる時、いつもいつもご飯がたくさん食べられるところに連れて行ってくれる。翼くんが食べる量は払う料金の元を取るどころか、わたしの分の元まで取ってくれる上にきっとそれ以上に食べているはずだ。時間無制限のバイキングに行った時なんて、一人でずっと幸せそうに食べている。わたしがお腹いっぱいになっても、まだ翼くんは食べ続ける。でも、そんなしあわせそうな顔をした彼を見るのがわたしは好きだ。そして、たまにご飯から目を逸らして、わたしの方を見て、ニコっと笑ってくれるのがとてつもなく好きなのである。結局、昨日の話は予想通りバイキングを提案されて、今に至る。
平日だからか、バイキングは思ったよりも人が少なく、幸いなことにアイドルの柏木翼が騒がれることは免れている。若い人があまりいないのが救いだ。いつだったか、休日にバイキングに繰り出した時はそりゃあ、プチパニックになったものである。わたしは、目の前でファンに囲まれる翼くんを見ながら、本当にアイドルなんだなあと思うと同時にファンの人から何か言われそうで怖かった。CDの感想や、雑誌、TVの話をする翼くんは、ファンの子たちに懸命にお礼を言っては、これからも応援してねとアイドルスマイルを振り撒く。そうして、最後にはファンの皆に向かって、自分のくちびるに人差し指を当てると、秘密にしてねと言う。立ち上がって歩き出す翼くんにファンの子たちはクギづけで、そんな罪深い彼はわたしの頭に空いている方の手をそっと置く。わたしにファンの子たちの視線が集まる瞬間は本当にいつも緊張する。目が合った女の子たちは驚いた顔になるけれど、翼くんが優しいように、またそのファンの子たちも心が広く、優しいのだろうか。にっこりと笑って、秘密のポーズを取るのだ。翼くんと一緒に写真撮らせてもらってもいいですか、なんて言われたこともある。良いファンに恵まれたものだ。
「翼くん、まだ食べるの?」
「まだまだ食べられるよ!名前ちゃんはもう終わり?」
「……毎回だけど、ほんと感心するくらいよく食べるよね」
「だって美味しいから!しあわせだー」
そんな翼くんも、わたしの料理を食べたいと言ってくれる。収入もだいぶ安定してきて、良い物を食べられるようになってきた彼の舌は肥えはじめているだろうに。なんの変哲もない、わたしの手料理が食べたいと言う。美味しい物をたくさん食べる方がいいんじゃないの、と尋ねたら、名前ちゃんが作った料理を食べることに意味があるんだよと笑った。量をいっぱい食べることもしあわせのひとつだけれど、オレがすきなひとに作ってもらうのもすごくしあわせなんだ、と言う。よくそんな恥ずかしい台詞を言えるね、と返せば途端に顔を赤くして挙動不審になったのは記憶に新しい。二人して部屋の中で、顔を真っ赤にした様子が映っていた鏡を覗き込んでは笑っていた。
「ねえ、今日は名前ちゃんの料理も食べたい」
「これだけ食べたのにまだ食べるの?」
「名前ちゃんのは夜ご飯だよ」
「この前さー、輝さんと薫さんに名前ちゃんのこと話したんだよ」
「天道さんと桜庭さんに?」
「うん。そしたら、もうそれはお嫁さんだよって言われた」
「……お、およめ、さん!?」
手元が狂ったわたしはエプロンの紐が上手く結べなかった。突然話題を振ってきた翼くんが悪い。そんなわたしに気づいた翼くんは椅子から立ち上がると、わたしの首の後ろでぐちゃぐちゃに絡まった紐を一旦綺麗に解くと、ちょうちょ結びをしてくれた。お嫁さんだなんて、これからの翼くんとの付き合いで考えたことがないと言ったら嘘になるけれど、わたしの中で遠い存在なのは確かである。天道さんと桜庭さんに何を吹き込んだのか知らないが、彼らの口からお嫁さんなんて言葉が出てくるのだから、よっぽどなことを言ったのだろう。
「オレが食べているところをニコニコしながら見てくれる名前ちゃんは、絶対にお嫁さんにするべきだって、輝さんが」
「翼くんが食べるところを?」
「そんなに付き合ってくれる人はなかなかいない、って薫さんが」
「でも、わたし、翼くんが食べているところを見るの、すきだもん」
「……それに」
「それに?」
「ううん、なんでもない」
野菜を切り出したわたしの傍でくるくると回る翼くんは、落ち着かない子どものようだった。冷蔵庫を開けて、帰りに買い物に寄った時に一緒に購入したジュースを取り出す。ストローでちゅーと吸う姿にクスクスと笑っていると、頭にハテナマークを浮かべた翼くんがわたしを見ていた。翼くんの希望で今日はカレー。お昼のバイキングでカレーが出されていたとき、彼が手を出さないことに疑問を感じていたけれど、つまりそういうことだったのだ。
玉葱は食べ物としては大変好きな野菜なのだけれど、調理するとなると少し感覚は変わる。切れば切るほど、涙が止まらない。玉葱の中の成分のせいだ。おかげで、玉葱を料理に使う時は必ず一回は涙を零してしまう。初めて翼くんにご飯を作ってあげた時も、確かカレーで、玉葱を切って号泣しているわたしを見て、酷く青ざめた顔をしているのを覚えている。一瞬で血の気が引くとはこのことかと思った。
「玉葱?」
「うん。最初の頃の翼くん思い出したよ」
「あ、あれは……すごく動揺したんだよ、だってオレなんの覚えもないのに、名前ちゃんが台所でめちゃくちゃ泣いていたから」
「カレー作るって言ったんだから、察して欲しかったなあ。わたしは動揺した翼くんを収めるの、大変だったんだから」
「ごめん……でも、今はちゃんとわかるよ」
「もう、何年になるのかな?大学生の時からだもんね」
「あれからだいぶ大人になったね。名前ちゃんの玉葱切った後の泣き顔も、可愛いって思えるようになったよ」
「……それはちょっと違うような」
「でも、長い年月、一緒にいたんだね」
「年数えるのに片手だけじゃ足りなくなっちゃうね」
具材を放り込んだ鍋をゆっくりと掻き混ぜ始めた翼くんはおたまを持っていない手で、指を折りはじめる。そうやって数えなくても、わたしたちの付き合っている年数は分かるくせに。わざわざやってみせてくれるところが、すごく好きだ。それに、おたまを取った理由も分かっている。これだけ一緒にいれば、相手のことも分かってくるというように。
グツグツと煮込んでいくうちに、良い香りが台所から部屋中に広がっていく。うっとりとした表情をした翼くんはとても可愛い。大型犬という例えもよくわかる。こうやって、翼くんの部屋で過ごすのは、数えきれない。年がら年中一緒にいるわけではないけれど、翼くんが誘ってくれた日は大体デートをしていたし、二人で何か食べている。もぐもぐと頬に詰め込む彼を見つめていることが、本当にわたしのしあわせだということに気づいたのは、つい最近のことだ。
テーブルを台拭きで磨いていると、味見するねー、と台所から嬉しそうな声がする。そう、翼くんの真の目的というのは味見だ。一番に口に入れたいという彼の願望を叶える方法としては最良のものである。そうして、いつも叫ぶのだ。
「名前ちゃん、美味しい!」
頬が蕩けてしまうと大袈裟なアピールをする翼くんは、鍋の蓋をすると、食器棚からカレー用のお皿や野菜用のお皿を取り出し始める。付き合った当初は、あの食器棚から出されるお皿の模様はバラバラだったのに、いつの間にか、お揃いの物が増えていった。今では色違い、模様違いのお皿やコップで食器棚はいっぱいである。翼くんひとりだけの食器の数ではなくなっていった。友人を招いた時のためのものもあったけれど、それより圧倒的にわたし専用の物が多い。一緒に買いに行って、一緒に食器棚に入れた。
カレーやサラダをお皿によそっている時、いつもならお皿を運んでくれる翼くんはトイレと言って、リビングを出ていってしまった。珍しいこともあるもんだ、と思いながら、わたしは久しぶりにテーブルへお皿を運ぶ。早く食べようと急かしてくるはずの翼くんがいないのは、ちょっぴり寂しい。なんて。
「翼くんー!まだー?」
「ちょっと待ってー」
明らかにトイレではない。全然違う場所から彼の少し高めの声が聞こえてきた。しかし、いちいちわたしはそんなことを気にしない。むしろ、いつも手伝ってもらってばかりなので、今日くらいは全てわたしがしても構わないのに。テーブルの端に置かれて、今にも落ちそうなテレビのリモコンに手を伸ばして、電源を入れる。すると、画面には翼くんたちのグループと同じ事務所に所属している、別のグループのブライダルのCMが映し出された。わんぱくで元気な男の子が出てきて、それがいつの間にか落ち着いた感じの大人の男の人へ。いつか、翼くんもあんな風に、言ってくれるのかな。
カレーの良い香りは鼻を擽り、わたしのお腹を刺激する。お腹が空いたと虫が鳴いた。翼くんがこの場にいなくて、心底良かったと思う。まだ、お腹の虫の音を聞かれるのは恥ずかしいのだ。
「お待たせ」
「冷めちゃうよ。早く、食べよう?」
「……うん」
「どうしたの?実は体調でも悪いの?」
ブライダルのCMはこの時間に毎週やっているバラエティの番組へと切り替わっていた。翼くんたち三人がコーナーを進めているのを横目で見ながら、急に大人しくなってしまった彼の様子を伺う。カレーを食べるためのスプーンに全く飛びつかない。もぐもぐ美味しいそうに食べる翼くんが早く見たいのに。ねえ、本当にどうしたの、と言おうとしたわたしの隣へ、椅子を持った翼くんがやって来る。カレーよりも大切な何かがあるというのだろうか。彼の不可解な行動が理解できないわたしは、隣にやって来た翼くんの顔を覗き込む。なんだか、泣き出しそうで、不安そうな顔をして黙り込んでいる。くちびるを噛んでいるようだ。アイドルなんだから、くちびるを噛んだりしちゃダメなのに。傷がついたら、どうするの。
「名前ちゃん……」
震える声を絞り出したような翼くんは、弱々しくわたしの腕を掴んだ。わたしたちの前に並べられたカレーの湯気はだんだん弱まっている。余裕のないように、縋ってくる翼くんに目が離せなくなったわたしはそれを最後に、カレーを見ることは止めた。
「実は、今日、これを渡そうと思って」
「え。今日、記念日とか誕生日じゃないよ?」
「うん」
「なに?」
「これからずっと、オレと一緒に」
「……えっ」
「ずっと、オレと一緒にいて欲しいんだ。たくさん食べるキミがすきだなんて、言ってくれるのはきっと名前ちゃんだけだから」
「ね、ねえ、翼くん……」
「オレと、結婚してくれませんか?」
わたしが泣き出すと翼くんがギョッとしたような表情をしたけれど、誤解させないように嬉しくて泣いているんだよと言った。もうその後、彼とどんな会話を交わしたかなんて覚えていない。けれども、次の日の朝、左手の薬指に光る指輪は昨日の出来事を夢ではなく、確かに現実であることを教えてくれるのだった。