フローリストとの邂逅


*女の子≠プロデューサー



大きな籠にカラフルな花たちが心狭しばかりと並んでいる。お店のキャンペーンで道行く人々に一輪ずつプレゼントをしようという提案をしたのは店長で、実際にそれをするのは従業員の中でも一番若い女の子である君ね、と有無も言わせない指名をされた。断ることのできる雰囲気ではなく、両隣に座っていたお兄さんやおばちゃんからも肩をトンと叩かれ、その場にいた全員から期待に満ちた目で見つめられたのである。わたしは大学生で、このお花屋さんにはバイトとして入っている。そんなわたしにこのお店の一大イベントを任せるなんて、本当に大丈夫なのだろうか。焦りや不安が表情に出ていたのか、事の発端である店長がわたしの顔を覗き込んできた。若さだけではなくて貴女の働きっぷりも考えて、私は貴女を選んだのよ、と言う。お客さんと会話をすることに長けているのは右に座っているおばちゃんで、お花の説明が上手なのは左に座っているお兄さんだ。毎日彼らからテクニックを盗もうとノートを付けているのだけれど、まだ上手く実行に移せてはいない。もしかしたら、そんなわたしのことを知っていて、この大役を任せようとしているのかもしれない。きっかけにしなさい、と店長が目で伝えているような気がした。



「あの、店長」
「はあい?」
「わたし、やってみます」
「うんうん。じゃあ、早速今日からやってみようかしらね。夕方の帰宅ラッシュを狙いましょうか」



まさか提案された当日にキャンペーンを行うなんて思ってもいなかったわたしは、開いた口が塞がらなかった。明日実行と仮定すれば、作戦を立てる時間はまだ充分にある。そんな呑気に考えていたわたしが甘かった。キャンペーン実行まで時間はほとんどない。慌てて、休憩所兼控え室として使っている部屋に駆け込むと、自分のロッカーから花柄のノートを取り出す。バイトに慣れてきた頃からスキルアップのために自分で書き込み始めたノートは、もう何冊目だろうか。パラパラと捲ると、丁寧な字もあれば、走り書きのようで自分でも解読し辛い字まである。でも、今回のわたしの役目に役立つことは間違いなかった。
外でお花を配るわけだが、街行く人々はお花屋さんに用事があって来ているお客さんとは違う。お花を目的としていない人にどうすれば、手に取ってもらえるのか。お花を直接貰って嬉しい人もいれば、貰ったお花を誰かにプレゼントしようと考える人もいるはず。それに、お花なんてお世話が面倒だからいらない。または、荷物になるから受け取らない。そんな人たちだっているはずだ。差し出したお花を拒否された場面で、水を貰えずにしおれてしまったお花のようにわたしが呆然として立っているのが、いともたやすく想像できる。受け取ってもらえるにはどうしたら良いのだろうか。自分の立ち振る舞いだけを今からの時間で考えてきなさいと言ってくれた店長には本当に感謝ばかりだ。わたしは控え室の隅っこにあった色紙を引っ張り出して、自分のロッカーからハサミとペンを取り出す。一言メッセージを添えてみよう。街を歩く人たちにはいろんな人がいる。子ども、学生、仕事帰りの人、家族連れの人、おじいちゃんおばあちゃん。いろんなメッセージがあったら楽しいだろうか。メッセージを書かずに持って行って、その場で書けるような小さなスペースを作っておくのもいいかもしれない。あとで、お店の先輩たちに提案してみよう。メッセージは一輪のお花を包んだビニールに軽く貼り付けるような形でいいだろう。こんなにアイデアが浮かぶとは思っていなかったので、自分でもびっくりしている。控え室の中央に置かれたテーブルの上の、オレンジ色のガーベラがわたしの背中を押してくれるようだった。
そうして、大量のお花を抱えたわたしは人通りの多い場所でセッティングを始める。先輩たちが必要な道具を運んできてくれたので、わたしは小さな机と椅子を用意し、メッセージカードとマジックを置き、計画通りのスペースを作った。準備中にもチラチラと感じる人の視線には、最初の方こそ手が少し震えていたけれど、それだけ注目を浴びているとプラスに捉えれば胸が躍る思いだった。興味を持ってもらえれば、お花を貰ってもらえるだろうし、足を止める人だっているかもしれない。夕方から始めるこのキャンペーンは、空が暗くなるまで時間が掛かりそうだけれど、それも見越してか小さなライトがいくつか用意されていた。店長の提案は今日だったけれど、敏腕店長のことだから、もしかしたら前から計画を立てていたのかもしれない。そうでなければ、こんなに準備がスムーズにいくとは思えない。そんなことを考えると、ふっと笑みが零れた。
腕時計を見ると、予定の時刻まであと一分というところだった。帰り道を急ぐ人が大半だろうから、急ぎ足の人には迷惑にならない程度に。余裕のありそうな人には声をかけてみよう。お話が盛り上がれば、メッセージを添えて誰かにプレゼントしてはいかがですかと言おう。わたしの頭の中で、様々な台詞が飛び交う。今までに先輩から盗んできた知識も含まれていて、お店の人たちみんなの顔が浮かぶ。言葉も大切だけれど、一番に大切なことを忘れていた。わたしを支えてくれる人たちが思い出させてくれたのは。



「お花のプレゼントキャンペーンをやっています!一輪いかがですか!」



お花を見る先輩たちの表情は緩んでいて、あたたかで、見ている人たちを虜にしてしまうような笑顔だった。バイトを始めた頃は自然に浮かべることができず、店長から表情が固いから柔らかくねと指摘を受けたこともしばしば。どうもお客さんを意識してしまうと、緊張してしまうようだった。でも今のわたしなら、大丈夫。







時間が経つのはあっという間で、気がつけば籠の中のお花もメッセージカードも半分なくなっていた。最初はどこか機械的な喋り方だったけれど、今は肩の力が抜けてリラックスした状態で接することができている。お花を一輪持っている人を見かけた人がわざわざ来てくださることもあって、大繁盛とまではいかないけれど、わたしとしては満足だった。一番人の多い時間も切り抜けたし、あとはゆっくりと配っていけばいいのかなと思っていた頃、わたしは驚きの表情を隠せない状況に陥ったのである。目の前で、お花をくださいと言っているこの人は、わたしがいつも好きで見ているアイドル番組に出ている人ではないか。顔を見ただけで分かるくらいに興味を惹かれていたわたしが、見間違えるはずはない。思わず大きな声を出しそうになったが、ぐっと堪えてくちびるを結ぶ。アイドルがこの場にいると知られてしまったのなら、パニックになるのは間違いないからだ。表情をコロコロと変えるわたしが面白かったのか、その人は優しく笑ってありがとうと言う。



「……ずっと応援してます!」
「わあ、ありがとう!あのね、ちょっと聞きたいことがあるんだ」
「はい」
「これ、二つもらってもいいのかな?」
「ええ、もちろんです」
「ふふ、輝さんと薫さん喜ぶかなあー」



テレビで観ていた時も思っていたけれど、本当に柏木翼というアイドルは大柄な人だった。纏った空気は柔らかなものだし、いつも優しい口調でいるけれど、身体はとても大きい。そんなアイドルがわたしの目の前で、同じグループの天道さんと桜庭さんにメッセージを書きながらニコニコと笑っている。偶然の巡り会いだとは思うけれど、わたしは心の中で天の神様に何度も何度もお礼を述べていた。アイドルに会わせてくれてありがとうございますと。メッセージカードを貼り付けるためのテープを渡す時に、ちょっと手に触れてしまった。もう、手を洗えない。なんてことを思っていると、柏木さんが彼らに書いたメッセージが目に飛び込んできた。あれは、あの曲の歌詞だ。しかも、それぞれ担当している歌詞の部分。幸せをお届けしている側なのに、わたしの方が心温まってしまったのだから、本当にアイドルという存在はわたしにとってかけがえのないものだ。柏木さんは満面の笑みを浮かべると、スキップするような勢いでこの場を去っていく。天道さんと桜庭さんが喜んでいる姿が目に浮かぶようだった。







残り一輪となったところで、わたしはもう既に達成感を噛みしめていた。怒涛の一日が過ぎたけれど、得た物は多い。それに、あの柏木さんを生で拝むことができたのだ。もう今日という一日に思い残すことなどないし、これ以上望むこともない。人の足が減ってきた道の真ん中で、色の変わっていく空をぼんやりと見上げれば、早くも煌めき始めている星が目に留まる。わたしがあのアイドル番組を見ているのはもちろんアイドルが好きで、その番組に出ている人たち全員が大好きなわけだけれど、その中でも勿論一番のお気に入りの人が存在するのだ。どんな衣装を着ていても、まるで絵本の中に登場するような王子様のオーラを纏ったその人は、アイドルになる前はお花屋さんとして働いていたらしい。わたしがバイトにお花屋さんを選んだのには、実はその人の影響もあったりする。不純な動機だと言われるかもしれないけれど、憧れの人に少しでも共通点があったら嬉しいなと思うのは決して悪いことではないはずだ。エプロンの紐を結び直そうと手を後ろに回すと、それは紐に触れる前に、熱を持った何かに掴まれる。驚いてくるりと振り返ってみれば、その人は残っていたお花を指差していた。最後の最後で気を抜いていたわたしは、両頬を手でパチンを叩くと、すぐに用意しますね、ありがとうございますと言葉を返して、籠の置いてある場所へと急ぐ。最後のお花を手に取ってくれる人は、どんな人なのだろうかとわくわくしながら言葉を掛ける。手は休めずに動かしながら。



「最後の一輪なんですよ」
「そう!じゃあ、俺はラッキーだったんだ」
「喜んでいただけて嬉しいです」
「……これ、メッセージ書いてもいいのかな?」
「もちろんです!用意しますから、ここでメッセージを書いていただければ」



帽子を被っていて顔があまりよく見えなかったけれど、声色でお客さんが喜んでくれていることがよく分かった。最後の一輪を手に取ったわたしの手は微かに震えていて、変だなと思いながらもビニールを綺麗に包装し直す作業に入る。指先が触れたのは今までのツルツルとした感触ではなく、少し滑りの悪いもので違和感を覚えた。このビニールだけ種類が違うのだろうか、なんて思っていると、先程のお客さんが口を開く。



「お嬢さんのお名前を聞いてもいいかな」
「えっ」
「下のお名前だけで構わないよ。教えたくなかったら断っていいからね」
「名前、です」
「ふふ、可愛らしいお名前だね」
「……あっ、ありがとうございます」
「俺も前、花屋で働いてたから親近感湧いちゃって」
「そうなんですか!あっ、でもそうしたらきっとお兄さんの方がわたしより歴が長いだろうから先輩ですね」
「そうかもしれないね。そうだ、名前ちゃんは渡辺みのりって知ってる?」
「大好きなんです!!一番好きで!彼に憧れてお花屋さんでバイト始めたんですよ……お恥ずかしながら」
「……それは大喜びだね、彼も。お花屋さんで働いているから、もしかしたら渡辺みのりのことを知っているかなと思って、聞いてみたんだ」
「大ファンなんです。お兄さん大当たりですよ!」
「それは良かった。メッセージカード書けたよ」
「では、このお花のビニールの部分にテープで貼り付けてくださいね。渡した相手の方が喜んでくださるといいですね!」
「そうだね。ありがとう」



席を立つお兄さんの後ろ姿を見送ったら、無事に今日のキャンペーンは終了だ。なかなか評判が良かったと自分では思っているので、もしかしたら第二弾を決行する日も近いかもしれない。それに、お客さんの笑顔もたくさん見られたし、柏木さんにも会えたし、なんて素晴らしい一日だったのだろうか。順風満帆すぎて、怖いくらいだ。
お兄さんは椅子を元の位置に丁寧に戻すと、改めてわたしの目の前に立ったので、感謝の意を込めて頭を下げて、数秒待ってからゆっくりと上げた。お兄さんは一輪のお花を持った手とは逆の手で帽子を取り去る。花弁が舞って、わたしたちの間を風が吹き抜けていくように一瞬の出来事が巻き起こった。それくらい信じられない。お客さんと目を合わせて会話をすることは常識的なことなのに、それすらできない。お兄さんと呼んでいた相手は、わたしがずっと好きでたまらない、手の届かないアイドルだったのだ。先程からわたしの身体に異変が起こっているのは、目の前にいるのは渡辺みのりであることを知らせようとしていたからなのかもしれない。頭で理解してしまえば、もう言葉が出てこない。憧れのあの人が、触れられる距離にいるのだ。言葉をあんなにたくさん交わしたのだ。同じときを同じ空間で何分も共有したのだ。一気に甦るやり取りは一生の宝物と言っても過言ではないくらい。



「名前ちゃん、いつも応援ありがとう」
「……み、みのりさん?」
「ふふ、驚かせてごめんね」
「……本物、ですよね」
「うん。俺は渡辺みのり。そして、この花は名前ちゃんに贈ろうと思ってね。本当は最初、恭二やピエールに持って帰ろうと思っていたんだけど」
「え、え……いいんですか」
「メッセージは名前ちゃんに向けて書いちゃったから、貰ってくれると嬉しいんだけどね」
「ありがとうございます……!本当にありがとうございます!」
「じゃあ、頑張ってね。俺も笑顔を届けるように頑張るから」
「はい……!」



みのりさんが手を振る姿を最後まで見送ったわたしは、彼の姿が見えなくなったところで足に力が入らなくなってしまった。今までメッセージを書くために設置していた椅子を、同じく力の入らない手で引き寄せると、崩れ落ちるように腰掛ける。みのりさんに会えるなんて。それに加えて最後の一輪を貰ってしまうなんて。ふとメッセージカードに目を落とせば、わたしの名前が入っているし、それにみのりさんのサイン入りだ。神様は今日、仕事をしすぎだと思う。早く休んでほしい。
今はバイトの身だけれど、本当にお花屋さんに就職しようかなと頭を過ったのはわたしだけの秘密にしておこう。と思ったけれど、みのりさんには知っていて欲しいかもしれない。数多くいるファンのうちの一人だから、きっと今日のことなんて忘れてしまうかもしれないけれど、それでもみのりさんに知っていて欲しい、なんていうわがまま。今日、バイトの片付けが終わったら、便箋を買いに行こう。そう決心したわたしは、未だに信じられない出来事を思い返しては、ひとりでにやけながら、荷物を纏めてお店への帰路につくのだった。
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