またたく嘘が星座になるころ


*女の子≠プロデューサー



口を開いて、腹に力を入れて喉から言葉を飛ばそうとしても声が出ない。空回りしてしまった間抜けな顔を見て、彼は優しく笑った。その表情はどこか照れたようでもあって、上手く言葉にできないのはお互い様であることを感じる。目の前で、目線をキョロキョロと彷徨わせる彼も、口を開いては閉じることの繰り返しだった。
この部屋には正座で向かい合ったわたしたち以外誰も存在しない。正座したままで固まったわたしたちは、一つも音を立てない。隣の部屋で掃除をしているのだろうか、掃除機の無機質な音だけが耳を劈くようだった。無音の部屋に飛び込んできた機械音と埃を吸い込む音は、わたしたちの静かな空間を破る。小さい声であれば、かき消されてしまいそうだ。いつもは掃除機の音なんて気にならない。自分が使っている時も、他人が使っている時も、耳に音が入っても不快感なんて持たなかった。しかし、今だけはどんなに小さな声だとしても聞き逃せない。一言一句を聞き逃したくはないのである。それはわたしに限ったことではなく、彼もだろう。現に、わたしが口を開いた時、ハッとした表情を浮かべては耳を澄ませているのが分かる。次に、言葉を形にすれば、それはわたしたちにとって大きな意味を持つのだ。だからこそ、声が出ない。正しく言えば、声を出すことができない、かもしれない。
部屋の隅に置かれた大きな鏡に目を移せば、正座をして難しい顔で悩んでいるわたしたちがそこにいた。昔はこんなやりとりなんて、ひとつもない。向かい合って黙り込むなんて考えられない状況だった。初めて直面した状況に対応できないわたしたちは、まるで上司に無理難題を押し付けられて考え込んでしまう新米のようで。自分が考えた例がおかしくて笑い出せば、不思議と自然に声が出る。鏡の中の自分はいつも通りに笑っていた。間髪入れず、続くようにして彼も笑い出す。そう、わたしたちは、常にこんな関係でいたのだ。いきなり変化を求めたから関係が拗れて、自分の振る舞いを忘れてしまいそうになっている。ひとしきり笑ってから、わたしは膝の上に行儀よく乗せられた彼の手に触れる。びくりと身体を震わせた彼は、わたしと一瞬目が合ったけれど、すぐに斜め上の天井を見上げた。慣れていないのはお互い様なのだから、一緒に歩いて行けば良かったのに。



「……今まで通りにしよう?」



言葉を聞いた彼が、わたしの手を振り払ってそんなのは無理だと大きな声を急に出すものだから、弾かれた手を引っ込めた。変わっていくことは決して悪いことではない。でも、怖いことだ。今まで通りが通用しなくなることを充分理解していたからこそ、わたしは彼にそういう言葉を掛けたのに。相手に拒否されてしまっては、別の方法なんて思いつかない。引っ込めた手をもう一方の手で撫でていると、ぶっきらぼうに、悪いと謝罪の小さな小さな声が聞こえた。掃除機の音に掻き消されてしまったら、わたしの元に届かないことを分かっているくせに。



「今まで通りになんて、できない」
「……どうして」
「だって、俺は、君のことがすきだって気づいてしまったから」
「うん。さっき聞いたし、嬉しかったよ。それは分かったから、今まで通りにしようよ」
「違う」
「え?」
「俺のすきは、君が思っていることでは収まらないよ」
「すきだから一緒にいればいいじゃない。それなら今までも充分やってきたことだし」
「……君がすき。手を繋いだりしたい」
「手を繋いだことはあったよ」
「それ以上のことをしたいって言っているんだ」
「……それが、すき?」
「だから、き、キスとか?」
「……う、うん」
「抱きしめたいし、それから君のことを」
「もういいよ!恥ずかしいから言わないで!」
「……俺のすき、はそういうことがしたいって意味だから」



幼馴染の間柄の時には見たことのなかった、揺れる瞳はその奥から余裕の無さを訴えてきていた。瞳の色の奥から伝わる熱はわたしをクラクラとさせるには充分で、覗き込むことはおろか、目を合わせることもできない。不意に彼が紡ぐわたしの名前は、まるで違う生き物のことを呼んでいるようだった。同じ人が同じ声で、同じ相手を呼んでいるにも関わらず、全く異なって聞こえるのである。少し上擦った声色なのは、幼馴染から彼氏へと進化を遂げようとしている彼の緊張も加わっているからだろう。わたしだって、負けないくらい緊張しているものだから、はい、と出た声はきっといつもと違うように聞こえたに違いない。



「名前、あのね、幼馴染の男と、彼氏の男は全然違うんだ」
「……そんなの、」
「いいや。名前はわかってないよ。すき、の意味がわかってない」



近くにいることは変わらないけれど、距離感は確かに違う。彼が言葉に出した行為を心の中で復唱してみる。手を繋ぐことは先程も言ったけれど、幼馴染である時も構わずにやっていた。それに、抱きしめることだって、指で数えられるくらいにはあったような気がする。でも、絶対にキスはしたことがない。くちびる同士をくっつけるなんて、幼馴染はしない。もしかしたら、幼稚園生くらいに小さい頃、遊びのつもりでしたことがあるかもしれないけれど、わたしの記憶の中には少なくともないのだ。ふう、と息を吐き出した彼は、目と目の間を手で触って、そのまま鼻へと手を下ろしてくる。わたしがわかるように説明するための言葉を懸命に探しているのだと思う。困っている時、考えている時、彼は決まってあの行動をする。それを知っているのは幼馴染のわたしだけだろう。本当にわたしたちは小さい頃から、ずっと一緒だったのだ。



「俺でも、可愛い女の子は食べてしまうよ。誰でもいいってわけじゃない。俺だけが可愛いって思った子だけ。ただの幼馴染は食べたいなんて思わないよ」
「わたしたち、幼馴染だよ」
「だから言っただろう?俺にとってはただの、幼馴染じゃないんだよ」



伸びてきた手を振り払うことは容易なはずだったのに、咄嗟に対応することができなかったわたしはきっと、素直に受け入れようとしていないだけだろう。幼馴染の時間が心地良すぎて、この先へ踏み出すことを戸惑っているのだ。それを彼は分かっている上で、今を壊してしまうことを望んでいる。捕まえられた肩が震える。同調するように心臓がまた、大きく音を立て始める。身体を引き寄せられることなんて、指折り数える程あると言ったけれど、今の抱擁は全く意味が違う。わたしの身体の反応も違う。おかしい、幼馴染だったのなら、以前と同じ反応が起きていたはずなのに。
甘い香りがわたしの鼻を擽ると共に、頭で考えることを放棄してしまいそうになった。一瞬緩んだ腕に気づいたわたしは、彼の顔を見上げる。ああ、やっぱり、幼馴染の顔だと安心したのも束の間。瞬きをひとつすれば、わたしを見るその表情はガラリと色を変えていて、思わず顔を逸らそうとした。しかし、それは彼によって阻止されてしまう。顎を掴まれてしまって、顔を動かせない。くちびるを開いて、声を出すことすらできない。呼吸をすることを忘れてしまった。これからきっと、わたしは彼とただの幼馴染をやめてしまうのだろう。



Title:さよならの惑星
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