アンバーの輝くころ
*女の子≠プロデューサー
*「カヴァレリア・ルスティカーナ」の続き
ウエディングドレスを纏った彼女を想像することは、オレにはできなかった。その姿を見て、初めて自分が彼女のことをお嫁さんとして貰うのだと自覚する。指輪を渡したって、親御さんにご挨拶に行ったって、オレが名前ちゃんの旦那さんになることがいつまで経っても現実味を帯びなかった。指輪選びの時は最後までデザインで悩んだし、渡すときは人生の中で一位、二位を争うくらいには緊張もした。でも、ぼんやりと、オレは彼女と結婚するんだ、ってくらい。輝さんや薫さんにも、結婚前だっていうのにいつも通りだなと二人揃って言われた。結婚式を挙げる準備を着々と二人で進めていても、何気ないイベント事を二人で準備するような感覚であって、人生の大きなイベントになるような気分ではなかった。
そんなオレが、本当にこの汚れなき純白の乙女を手にしてしまうことを、はっきりとこの胸に銃を突きつけられるかの如く思わせたのは、真っ白のレースやフリルでデザインされたウエディングドレスに身を包んだ名前ちゃんを見てからだった。思わず息を呑んだ。呼ばれた部屋が間違っていたのではないのかとか、オレに見せている背中の主は別人ではないのか、とか。でも、オレがそっと名前を呼べば、確かに彼女は返事をした。くるり、と振り返った彼女は目を合わせない。オレも、彼女のどこを見ていいのか、全く持って分からなかった。
目線が交わらないまま、その場で始まった会話は筋が通っていたかどうかも定かでない。会話のキャッチボールが成立しているかの判断もできないくらいで、自分だけしか分からないが、足は震えていた。今日から、彼女は本当に柏木名前になるのだ。これから彼女が名乗る時には、必ず柏木と。どんな顔で、柏木名前って言うのだろう。オレも、これから彼女と一緒に出掛けて、名前ちゃんのことを誰かに紹介することがあるかもしれない。その時は、妻の名前です、って言うことになるのだろう。想像しただけでなんだか恥ずかしい。嬉しい反面、慣れるまでに時間がかかりそうだ。輝さんや薫さん、そしてプロデューサーにも改めてお嫁さんって紹介しなきゃ。
「翼くん」
新婦から呟かれる新郎への言葉。彼女がオレの名前を呼んでくれたことで、ようやく二人の会話がいつもらしくなってきたような気がする。緊張しているのはお互い様で、オレなんて名前ちゃんには知られたくないけど、手汗も酷いし、さっきから小刻みな足の震えは止まることを知らないし、身体も固くなってる。最近のライブ前も、ここまで緊張することはなかったというのに。
「わたしの名前、聞いて」
「えっ?」
「名前」
「名前ちゃん」
「そ、そうじゃなくて、名前を尋ねて」
脳裏を過ぎったのは、さっきまで自分が考えていたことだった。苗字が柏木に変わることが決まった後、今日この結婚式まで一度たりとも彼女は自分のフルネームを口にすることはなかった。オレが少し意地悪をして、流れで言わせようとしたら見事に失敗してしまったのも記憶に新しい。ようやく、花嫁と目が合う。ゆっくりと歩き出したオレは、もう目を逸らすことはなかった。彼女の目をまっすぐに見つめながら、一歩ずつ着実に歩いて行く。結婚式が始まるまで、あと少し時間があることも、部屋に掛けられていた時計を確認して分かっていた。いつもよりも時刻を判別するまでに時間はかかったけれど。
名前ちゃんの化粧は、プロの施したものでまるで知らない人のようだった。綺麗に纏められた髪を飾っている小さな花々は、この日のために用意された生花らしい。オレンジ色の花弁に、そっと添えられた緑色の葉っぱは、DRAMATIC STARSの柏木翼を想像させるには充分な彩りだった。
「オレのお嫁さん、名前を教えてください」
ネクタイに指先を触れさせながら、彼女に質問を投げ掛ける。誰かに名乗っている時に聞くのかなと思っていたのに、最初に聞くことができるなんて。幸せを噛みしめてもいいのだろうか。彼女はドレスの裾を握ったり離したりしながら、口を開いては閉じる。オレも尋ねるの、すごく緊張したよ、名前ちゃん。いつ、柏木って言ってくれるの。彼女の緊張を解けば、すぐにでも言ってくれるのではないかと考えたオレは、小指の腹を自身のくちびるにくっつける。何をするのだろうと関心を向けたらしい彼女が見つめているのを確認したあとに、その小指を勢いよく離して、リップ音を響かせる。笑ってもらえれば、きっと彼女を支配しつつある緊張だってどこかに逃げて行ってしまうだろう。こんな目の前で投げキッスされたら笑うしかないよね。いつもの調子なら声を上げて笑うはず。
でも、オレの期待は大きく外れたようで、名前ちゃんは両手で顔を覆ってしまう。髪の毛がアップにされているせいで、赤くなった耳は全くといっていいほど隠せていない。投げキッスでまさか照れちゃったの。彼女を見ていると、自分も顔に熱が集まってきたことに気づく。じんわりとした熱が、まるで彼女からオレへと伝染したみたいだった。投げキッスをした本人が照れてどうするの。緊張を紛らわすためにしたのにこれじゃあ逆効果だ。ごめん、とオレが口を開きかけた時、急に両手を下ろし、顔を出した彼女がそれは熟した林檎のような頬をして、睫毛を震わせながら言ったのだ。
「……柏木名前」
もう、彼女はオレのかわいいかわいいお嫁さん。日々トップアイドルを目指して頑張る柏木翼のことをそばで支えてくれるお嫁さん。不思議と胸の辺りが熱くなってくる。熱は頬だけでは収まらずに、まるで全身の血が沸騰しているのではないかと思わせる。湧き上がる熱を収める術なんて知らないオレは、名前ちゃんを全身で抱きしめた。胸辺りとトントンと叩かれたところで止めない。いや、止められない。彼女のあたたかさを感じながら、柔らかい肌に、自身の手に覚えさせるかのように触れた。露出している部分は直に触れられるからね。特に、背中は無防備なもので、普段見せない部分だからこそ余計に内に秘めている獣が暴れ出してしまいそうだった。
「名前ちゃん」
「もう、翼くん!ダメだよ」
「……ダメじゃないよ。オレは旦那さんでしょ?」
ドレスを着ていようが、オレにかかれば、すんなりと彼女の身体は持ち上がってしまう。そのまま、鏡の前で一回転すれば、まるでステージの上で踊っていると錯覚するようだった。華やかな衣装に飾られて注目を浴びるのは、結婚式を挙げるオレたちなんだから。ねえ、名前ちゃん。耳にくちびるを寄せて、少し息を吹きかければ、彼女の赤みがさらに増す。恥ずかしいことをしている自覚はオレもあるけど、今日くらいはいいよね。
「こっち向いて」
「……もう耐えられないから無理」
「大丈夫だよ。お嫁さんはこっち向くだけでいいからね」
言葉で少し反抗されたけれど、結局折れてしまった名前ちゃんはお姫様抱っこをされたまま、オレの方へと顔を向ける。ずるいのは、どっちだと思ってるのかな。そんな表情を見せられたら、堪らなくなっちゃうよ。だって、名前ちゃん、キスして欲しいって顔をしてるから。重ねたくちびるの隙間から、お互いの熱い息が零れる。零れてしまうそれさえも、勿体ないと思ってしまう。呼吸を共有するこの瞬間を愛おしく思うのは、一緒に生きている気になれるから。離れていく彼女のくちびるを惜しんでいたけれど、オレたちの式はまだ始まってすらいないのだ。みんなが扉の向こうで、待ち望んでいるかもしれない。彼女をゆっくりと椅子の上に下ろすと、近くに準備されていた靴を持ってきて、絵本に描かれた王子様になったつもりで、彼女の足へ手を伸ばした。
「この続きは、今夜、ね。オレの、お嫁さん」