王子とシンデレラのパ・ド・ドゥ


数時間に及ぶ鍛錬をこっそり抜け出した俺は、王族にもその臣下にも見つからない抜け道をずっと辿って、外へと出てきていた。まあ、これは休憩だ。そう、休憩。鍛錬はこのあと戻って続けるつもりだから、父さんにも怒られることはないだろう。
外の空気を一心に吸い込む。城の中の静かで厳粛な空気はいささか俺には退屈で、こうやってどこまでも広がる空を見ながら野原に寝転がる方が好きだった。自由で開放感溢れる場所の方が俺に合っているのだ。そんな俺に手を焼いている人がいるのも知っている。だが、自由というものは気持ちの良いもので、一度知ってしまうとその虜だ。気に入った食べ物を何度も食べてしまうのと同じこと。
ふと、少し先の林の中で座り込んでいる女の姿が見えた。着物を着ている奴に近づいていけば、途中で何者か判明した。俺のよく知っている女だ。こいつも、厳かな空気には耐えられない人間で、城の中で臣下たちに追い回されているところも何度か見かけたことがある。



「名前、座り込んでどうした」
「シノノメ……あなた、鍛錬の時間でしょう?」
「休憩だ、休憩」
「ふうん」
「で、どうしたんだ」
「ちょっと、怪我しちゃってね。痛むところに絆創膏を貼ろうと思ったわけ。城に戻れば、みんなが治療してくれるかもしれないけれど、そこまでひどい怪我じゃないし、絆創膏を貼っておけばそのうち勝手に治るくらいの傷」
「……ん」
「なに?」
「俺が貼ってやるよ」
「シノノメのくせに気が利くのね」
「お前に言われたくないな」



名前は気の強い女だ。城でも俺の次の次くらいには手のかかる奴だろう。しかし、あれでも王族の血を引いている女なのだ。こいつも俺ほどの頻度ではないが、城で行われる鍛錬や学業を抜け出すらしい。俺よりも動きにくい服装をしているのに、抜け出そうなんてよく考えるものだ。もっと軽装にすれば、今までよりも格段に楽なはず。それでも、名前が着物に拘っているのはきっと何かワケがあるに違いないだろう。俺は、そのことを深く尋ねるほど野暮な男ではない。着物だと女らしいし、色気があるのは間違いないと思う。名前は普段から色気とは程遠い女だから、他の服を着るよりは今の方がマシか。言わないけどな。
ヒナタがよく絆創膏を持ち歩いているのは見るが、名前も持っているのは少し意外だった。手渡された絆創膏をヒラヒラと風に遊ばせていると、ここに貼ってと名前が口にした。どうせ抜け出す時に、どこか引っ掛けたんだろうなと思ったら案の定だ。足の甲に切り傷がある。話を聞いていたら、つい引き受けてしまったが、このくらいは自分で貼れるだろう。俺が手を貸すまでもなかったな。切り傷についているかもしれない砂を払うために触れてみると、ぴくりと足が動く。俺とこいつの間で変な空気が生まれたのは、名前が悲鳴のような、そうでないような声を上げたからだ。



「……っ!今の」
「し、シノノメ貼って!早く!」



首を左右に傾けて気を取り直すと、傷口に重なるようにぴったりと絆創膏を貼り付けた。とりあえず俺が引き受けた仕事はこれで終わりだ。そろそろ鍛錬の場に戻らないと、抜け出したことがバレてしまう。やれやれ、と思いながら地面に付けていた尻を上げようとすれば、あろうことか名前が俺の手を掴んだ。一体、他になんの用があるんだ。わがままお嬢さんに付き合ってやるほど、俺は安くないんだけどな。といって、見捨てることもできないのが俺の弱いところだ。途中まで上げていた腰をもう一度、ストン、と下ろす。差し出された絆創膏に、思わず名前の顔を見ると、さっきと違って目が合わない。目は泳いでいて、これも貼って、と明後日の方向を見ながら雑な頼み方をしてきた。振り回されているのは分かったが、一つ目の絆創膏を引き受けたのは俺だし、最後まで付き合ってやるか。



「で、これはどこに貼ればいいんだ?」
「……っ」
「は?なんて言ったんだ」
「……っだから、ここ!」



布の擦れる音がして、こいつの手の先を見れば、足元しか晒されていなかった肌色の面積がどんどん広がっているのが分かった。思わず、ゴクリと生唾を飲み込む。歯切れの悪い頼み方も、変に赤いなと思った頬も全てが繋がった。それにあんな表情をされたら、流石の俺も狼狽えてしまう。強気な女がちょっぴり弱っているところを見る機会はそうそうないものだから、俺に頼みごとをするために頭を下げることに若干優越感を感じながら、こいつも可愛いところがあるんだなと思った。だが、そこに今は色気まで加わったようで、何度かその白い太腿から目を逸らす。直視できるはずがない。いかがわしいことをするわけではないのに、脳が理性にこれは危険だと訴えかけてくる。足元に目線を落とすことに耐えられなくなった俺は、少しでも冷静さを取り戻そうと名前の顔を見る。いつものように偉そうな態度で早く絆創膏貼ってよ、と強く言ってくれ。そうすれば、俺も普段の調子を取り戻せるから。だというのに、調子が狂っているのはこいつも同じようで、くちびるを思いっきり噛んで、ひたすらに固まっていた。喉が鳴る。あれ、俺、実はこいつのこと、好きだったりするのか。
透き通るような白い肌は、日の光に当たる時間が少ないことを暗示しているようだった。そういえば、着物姿以外あまり目にしたことがない気がする。なるべく、別のことを考えながら絆創膏を貼ろうと、指先を腿に這わせる。足の甲に触れた時よりも格段に色っぽい反応を見せるこいつに、おかしくなりそうなのはこっちだった。平常心を保つことが難しい。確かに他人に容易に触れられる場所ではないが、今、俺は治療のためにしょうがなく触れているだけだ。そんな、悩ましい吐息、必要ないだろ。
ペタリ、と貼り終わった俺の額から汗が一筋零れ落ちていく。名前はさっと着物を整えると、何事もなかったかのように立ち上がる。お礼のひとつもないのか、なんて思ったが、小さな声でありがと、と確かに聞こえた。絆創膏を貼っただけなのに、耳まで赤くしたこいつのことを本当はどう思っているか、俺は分かってしまった。今度、名前の肌を見るのは、こいつを俺の女にした時だけにしてほしい。
ALICE+