きみの笑顔がいちばんの


*女の子≠プロデューサー


インターネットのページに並んだ日時とスケジュール帳を見比べて、大きく息を吐いた名前は、朝から非常に憂鬱な気分だった。限定発売の商品を心待ちにしていたのだが、彼女はどうしてもこの日は外せない用事がある。スケジュール帳に目立つように入れられた赤が憎くて仕方なかった。だが、会社のイベントだ。これをすっぽかすような勇気は名前にはない。普段会社で真面目を貫いている彼女には、難しいのだ。
しばらくスマホを適当に弄りながら、楽しみが逃げていってしまったと名前はベッドに寝転がる。アプリをいくつか立ち上げて、友だちが写真やブログの更新を眺めた後、うーんと背伸びをした彼女はベッドから勢いよく起き上がる。この中で、誰か頼みを聞いてくれそうな人はいないものかと名前を見ながら考えていたが、桜庭薫、柏木翼とのレッスン後の写真を上げている人物で目が止まったのだ。そうだ、輝ならお願い聞いてくれるかも、そう零す。だが、面倒くさい女だって思われたら嫌だな、輝も忙しいから無理かな、もし休みだったとしてもお使いを頼むのは悪いかな、と天道輝に依頼しようとしている自分を止めるような言葉を吐き始める。しかし、指は輝にメッセージを送る手順を一つひとつ済ませていった。
輝と連絡を取り合った時の最後のメッセージが、名前のスマホに表示される。おやすみ、その一言を見ながら彼女は天道輝のスタンプを押した。輝の所属しているアイドル事務所は最近、メッセージのやりとりで使うことの出来るスタンプを発売したのである。よろしく頼むぜ、スタンプの輝がにこやかに言っている。すぐには返ってこないだろうなと思った名前が、近くにスマホを置こうとした時、振動と可愛らしい音がメッセージを通知する。輝には似合わない通知音だが、彼女はたいそう気に入っていた。まさかと思った名前がスマホを覗けば、先程スタンプを押した相手からであった。
名前、どうしたんだ。輝の返信は最もであった。全く流れが掴めていない彼はそう書くしかないだろう。続けて送られてきたスタンプは、神楽麗が頭の上にクエスチョンマークを浮かべていた。すぐさま通話ボタンを押した名前は、スマホを耳に軽く宛てがった。



「もしもし、輝。今、時間いい?」
「おう。ちょうど休憩中だったんだよ」
「……あのね、実は」
「なんだよ、早く言えって。電話掛けてくるくらい緊急なんだろ?」



緊急事態。名前にとってはそうなのかもしれないが、輝にとっては心底どうでもいいことである。ダメ元で言ってみよう、そう思った彼女は電話の先の相手を思い浮かべながら、勢いよく頭を下げた。一生のお願いを今、使ってしまうような勢いで。



「明後日」
「明後日か?俺は休みだぞ。名前からデートのお誘いか?」



笑いながら彼女の言葉を探る輝は、名前を照れさせるためにからかいながら話を進めようとした。この二人のやりとりは日常茶飯事なものだから、普段通りであれば名前が頬を染めつつも、輝に照れを隠しているつもりで言葉を返す。全く隠せていない彼女を見るのが、輝はとても好きであった。今回は顔が見えないが、輝の頭の中には恥ずかしがっている彼女が描かれ始めようとしている。だが、輝の言葉に怯まなかった彼女が真面目な口調で時間を言い始めたので、輝は呆気に取られてしまう。互いに相手の姿は見えていないが、一方は頭を垂れたまま喋り、もう一方はポカンとした様子で聞こえてくる言葉が耳に入っているのか、そうでないのか分からなかった。



「つまり、その限定品を俺に買ってこいってことか?」
「うん……ダメ、かな」
「……ったく、しょうがねえな」
「ほんと!?輝、だいすき!ありがとう!あいしてる!」
「お前な……」



用件だけを伝えられた輝は通話の切れたスマホをテーブルに置くと、近くにいたプロデューサーに紙とペンを借りた。翼が興味津々に隣から覗いていたが、輝が商品の名前を書いた途端に、これ、女の子に人気のやつですよね、と彼に話しかけた。そうなのか、と少し嫌々な表情を見せれば、その顔を見た薫が請け負う必要はなかったんじゃないのかと冷静な一言を放つ。全くその通りである。いくら彼女だからとはいえ、輝が必ず受ける必要などどこにもありはしないのだ。頬杖をついた輝は、ペンを滑らせた紙に目を通す。走り書きのつもりだったが、いつもよりも少しだけ丁寧な字に見えた。







当日。変装を決め込んだ輝は電車に揺られながら、雑誌の記事に目を通していた。この間受けたばかりのインタビューが、事細かく書かれている。一字一句とまではいかないが、自分たちが話したそのままのことが文字として並べられていた。主な活動予定も同時に掲載されており、輝はふと電車の広告に目をやった。そこには自分たちの姿がある。地道な活動を続けてきた彼らの努力が目に見えるようになってきた結果だった。
目的地に近い駅で降りた輝は、だんだんと寒さを増してきていることを実感する。吐いた息が白く、空気に溶けてゆく。自分と同じように電車から降りた多くの女性に少し戸惑いながらも、きっと同じ目的であろうと見当をつけて、流れに身を委ねるのだった。名前の言っていた店など全く知らないが、昨夜地図で大体検索済みだ。その方向に流れて行っているのが分かったので、輝はコートのポケットに両手を突っ込んで歩き始める。聞こえてくる高い声の中に、彼女の求めている商品の名前も交じっていた。
駅から五分少し歩いた店の前に、既に女性客がズラリと列を作っている。スマホを弄ったり、音楽を聴いたり、本を読んだりと様々な過ごし方をしていた。輝はその最後尾につこうと、店員の誘導に従って歩いて行く。途中、女性の店員に一瞬だけ怪訝な顔をされたが、輝が欲しがっているのではない。あくまで、彼女のためだ。実物もネットで検索して、内容を確認していたため、女性店員があんな顔をするのも頷ける。輝が歩いて行った先で、最後尾を示す看板を持っていたのは男性の店員だった。



「彼女さんへのプレゼントですか?」
「えっ?あ、ああ、まあそんなところだな。寒いのにお疲れ、兄ちゃん」



正確に言うとプレゼントではないのだが、防寒着を着こんで鼻を赤くしている彼を見た輝はそそくさと列の形成に加わった。輝にとって、こんなに寒い思いをしてまで手に入れたい物ではないのだが、それがもし自分の欲しい物だと考えたら面倒だと思っていた気持ちも少しは削れていく。他人に頼んでまで、欲しい物なのだ。この機会を逃したら、二度と手に入らない物なのかもしれない。必死になっている名前の声を思い出しながら、輝は店のショーウインドウを眺めた。帽子を被り、眼鏡を掛け、コートを着込んだ彼からほんの少しだけ覗く少し暗めの赤色がうっすらと映っている。ここに並ぶ女性たちも、まさかあの天道輝がいるだなんて思わないだろう。
輝は並べたぞ、と名前にメッセージを飛ばす。だが、彼女は会社のイベント中だ。すぐに返ってくるはずもなく、すっかり冷たくなったスマホをズボンのポケットに突っ込む。開店時間まで、あと五分といったところだろうか。家を早めに出たつもりだったものの、到着時刻は予定よりも大幅に遅れていた。頼みを引き受けておいて、満足のいかない結果に終わるのは輝のプライドが許さない。
開店と同時に人が店内へと進んでいく。数量限定のお目当てが、カウンターの近くにたくさん並べられていることを見つけた輝は、順番を今か今かと待ちわびる。次々と女性たちの嬉しそうな声が店内に響き渡った。名前の喜ぶ顔が浮かんで、面倒という言葉はすっかり輝の中からいよいよ消えてしまう。だいすき、ありがとう、あいしてる、彼女が容易く口走った言葉は普段だと絶対に聞けないものだった。例え、自分を躍らせようとしているのが分かっていても、輝は彼女に甘いのだ。許してしまう。
レジ前でも少し並ぶことになった輝は、指先で摘まんだ商品をじっくり眺めることにした。パッケージにはパステルカラーの星が散りばめられていて、開くとどうやら月のデザインが施されているらしい。サンプルを見ながら、名前はこういうのが好きなのかと輝は思った。見るからに可愛らしい物を持っていることを目撃した覚えがないので、彼は意外だと感じたのである。
店員のありがとうございました、の言葉に背を向け、輝は今朝来た道をなぞるように歩いて行く。今度、自分が何かプレゼントを用意する時はこういうモチーフの物もアリだと分かった彼はたまにはお使いも悪くないと、空を見上げた。今頃、彼女はどうしているだろうか。この商品のことが頭から離れないだろうか。すると、スマホが震えた。間違いなく名前だと思った輝の顔つきは言うまでもなく、ふわふわしていて柔らかい。口に入れた綿菓子が溶けてしまうように。
どうだった。買えたぞ。こっちもイベント終わったよ、今から会えるかな。迎えに行く。短い言葉のやり取りが画面を滑っていく。それがどんなにこの商品を早く手にしたいという気持ちから出てきた言葉であっても、輝は幸せだと思ったのだった。名前に渡した時の反応が見たくて仕方がない気持ちは、輝の背中を押すように急がせる。彼がちょうど駅のホームに入った時、スピードを弱めながら冷たい風を切る電車が見え始めていた。



Title:シングルリアリスト
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