親愛なる片恋泥棒
*女の子≠プロデューサー
事務所は朝から大量のチョコレートが送られてきており、てんてこ舞いの状態だった。山村賢は、アイドルの名前が書かれた手紙やチョコを見て、一人ずつに用意していたダンボール箱に仕分けていく。しかし、次から次へと送られてくるファンからのチョコレートは止まることを知らないようで、仕分けをしても終わりが見えなかった。仕分けをしている間に、また新しいチョコレートが送られてくるのだ。アイドルたちにとって、事務所にとって、喜ばしいことではあったが、山村には一種の拷問だ。そこへちょうど朝からの仕事を終えた、もふもふえんが扉を元気よく開けて駆け込んでくる。その後ろには彼らのプロデューサーの姿もあった。
「うわあ、すっげー!」
「今日はバレンタインデーだもん。かのんの分もあるー?」
「しろうくん、お、落ち着いて!その箱は、しろうくんのじゃないよ……!」
一斉に自分の名前を探しはじめる彼らは甘い香りに誘われていた。子どもにとっては堪らない。段ボールに飛びついてひっくり返そうとする志狼を止めたプロデューサーは、ほっと溜め息をつきながら、かのんや直央の様子も伺う。仕分けが終わっていないため、各ダンボール箱の中にこれからもっと量が増えるのは確かだが、このペースでいくと日が暮れるまでに終わるかどうかさえ、怪しかった。山村は憂鬱な気分に襲われ、今日一日はバレンタインで潰れることを覚悟した。ふと、彼はカレンダーを見て、ある事に気がつく。毎年この日が大変だということが分かっていたため、バイトの子にバレンタインの日は出勤を頼んだことを思い出したのだ。バイトの子の名前と時間が今日の日付のところに、書かれている。事務所の時計を見たところで、こんにちは、という挨拶と共に再び扉が開かれた。救世主だと山村は素直にそう思った。
毎日出勤しているわけではないが、ここの事務所のアイドルたちとはよく顔を合わせている名前は、入り口付近に溜まっている未開封のダンボール箱に足を止める。まるで引越し作業を行っているかのようだった。噂には聞いていたものの、実際に目にすると開いた口が塞がらないといったところである。名前は目が合ったプロデューサーに対して礼をすると、急いで着替えてきますとばかりに事務所の奥へと走っていった。彼女を見送ったプロデューサーは、もふもふえん三人に今日の仕事は終わったから自由にしていいことを伝える。かのんと直央は、荷物を置いてある部屋へと二人で喋りながら歩いて行く。志狼だけはその場で無意味に円を描くようにくるくると回る。と思えば、先程名前が向かった部屋へと走り始めた。山村とプロデューサーはそんな彼の後ろ姿を見て、互いに笑う。
「名前ー!」
勢いよく開けられた扉の向こうには、着替え終わった名前が荷物の整頓をしていた。ノックもせずに入ってきたのが志狼だったことに安心した彼女は、彼に向かって、わたしだから良かったけど、ちゃんとノックしなくちゃダメよと言う。もし着替えている途中だったらどうするの、そう名前は言葉を続けた。ほんのり顔を赤くして、分かっているとばかりに志狼は、彼女から視線を逸らす。しかし、志狼のソワソワは止まらない。目を逸らした先にあった、作りかけのライブ衣装の裾を引っ張ったり、小道具一つひとつにタッチしていく。名前はスケジュール帳に目を通し、山村がロッカーに貼ってくれている今日の仕事内容をチェックしていく。彼女の仕事が始まるまで、あと十分だ。いつもだったら、早めに仕事を始めるのだが、この部屋に志狼がやってきたため、ギリギリの時間までここにいることにしたのだ。
名前は志狼の家のすぐ近くで一人暮らしをしている大学生だった。引越しをした時に、偶然にも彼と知り合ったわけだが、テレビに出演している小学生アイドルがこんなに近くに住んでいるとは夢にも思っていなかったために、最初は本物か疑ったものだ。間近で見る橘志狼は、元気な弟を思わせるようでとても可愛らしかった。志狼も名前のことが気に入ったらしく、空いた時間にお菓子を貰うという口実で遊びに行ったことが何度もある。同じ事務所の先輩アイドルである天道輝は、そのことを志狼本人から耳にしており、習慣になりつつあることも加えて聞いていた。それって、つまり、輝の口から零れた言葉に最初は照れ隠しに思ってもいないような言葉を吐いたり、真っ向否定していたが、顔を真っ赤に染めてゆっくりと志狼が頷いたのは最近の話である。偶然にもそこに居合わせた柏木翼は、目をキラキラさせていた。桜庭薫が、だが相手は歳の離れた、と言いかけると輝がそんなこと関係ないぜ、と言う。輝の言葉に背中を押されていた志狼は、そこでボロボロと大きな涙の粒を零し始める。小学生であっても、自分の憧れが手の届かないところにいるような感覚は持ち合わせていた。だからこそ、一番気になっている部分を突かれて弱い自分を曝け出してしまったのである。大人の優しい言葉に自分の諦めの心を溶かされた彼が言った、名前のことがすき、という言葉は三人の耳に確かに届いていた。理由は、オレにすごくやさしいし、応援してくれるし、ホントにいつでもオレと遊んでくれるからです。涙ながらに語られるそれに、大人たちは志狼のことを優しい瞳で見つめていた。純粋に好きだという気持ちを溢れさせることができる彼が羨ましいとも、同時に思う。
会話がないまま、時間だけが過ぎていく。志狼が駆け込んできたことから、何か話をしたかったのかなと思い、名前は彼の言葉を待っていたが、特に何も語られることはなかった。この部屋自体に用事でもあったのかな、心の中で呟いた彼女は鞄の底にあった箱をひとつ取り出す。綺麗にラッピングされたそれが出てきたのを横目で見た志狼は、大きな瞳をその箱へと向け、オオカミを思わせる手の形を作ると、机にそのまま叩きつける。尻尾がブンブンと揺れているように、名前には思えた。しかし、志狼は同時にこの箱を貰う資格がある人物が多すぎることに気づく。勢いよく叩きつけた両手がジンジンと痛んだ。今、目の前に出されたために自分が貰えると確信したのだが、冷静になって考えてみれば自分よりもずっと大人の男はたくさんいる。名前と歳が近いアイドルだったり、もしかしたら年上の方がタイプなのかもしれない。背中を押されたからこそ、ここまで自信を持っていたが、いざ直面するとやはり気後れしてしまうのだった。彼女の特別を貰うことは簡単なことのようで、本当は物凄く難しいことだったのだ。
「志狼くん」
「オレは頼まれてもぜってー渡さねーから!」
「え?」
「じ、自分で渡すことに意味があるんだろ、こ、こういうのって」
箱を掴んだ名前は志狼が目の前で主張してくることに対して、クエスチョンマークを浮かべていた。沈黙が流れる間、彼は名前から目を決して逸らさなかった。逃げたりしないという姿勢のまま、彼女の行く手を阻む。そんな志狼の様子を見た名前は、そういうことか、と納得して彼の前で背を屈めると頭をゆっくり撫でた。ついに耐え切れなくなった志狼は、子ども扱いするなよ、と消えそうな声で言う。どうにも伝わらない気持ちに焦りを感じていたが、そこで同時に彼女の時間を独り占めしていることにも気づく。
「このチョコレートは志狼くんのものだから安心してね」
「へ?」
「わたしが志狼くんにあげようと思ってたものなの」
「そ、そーだったのかよ……」
差し出された箱を受け取った志狼は、ニコニコと笑っている歳の幾つも離れた名前の顔を見て、ほう、と息を吐く。可愛い弟にあげるような気持ちで自分にくれたとはいえ、彼女のチョコレートを直接貰えたこと、独り占めできたことは彼にとって特別なことだった。今は、歳の離れた可愛い弟という認識でも構わない。だが、いつかは彼女よりも、うんと背が高くなって、もっと格好よくなって、ビッグになろうと志狼はひとり決心する。口をそっと開いた彼の八重歯が光った。その暁には、彼女のことを。
「あ、ありがとな……」
「どういたしまして!」
「あのさ、名前」
「うん?」
「コイビト、とかいねーの?」
「うふふ、秘密」
「……チョコレート、他のヤツにもあげたりするの、かよ?」
「もう、志狼くんてば、知りたがり屋さんなんだから。お姉さんは、恋人なんていないし、今年は志狼くんにしか手作りしてないよ」
「そ、そうなのか……!名前、オレ、ビッグになるから見ててくれよなー!」
Title:誰そ彼