チタンが持ち帰ってきた菓子に瞳を丸くして飛びつくニケルの隣で、マカロンを一つ摘まみ上げたバルトが兄に対して口を開く。ただの友人にあんな反応を見せるはずがない。子どもながらに推察しているバルトは、ついに直接尋ねることにしたのだった。もし、バルトが思っている感情を兄が持っているのなら、それは自分たちにとって喜ばしいことでもある。兄にとって、本当に名前はただの友人なのか。もう、それだけでは説明しきれない存在であることをバルトはひしひしと感じていた。



「お兄様」
「どうかしたか?」
「お兄様は、名前お姉様のこと、すき?」



黄色、桃色、黄緑色。マカロンが包み紙から逃げていくように零れていく。ニケルの悲鳴で我に帰ったチタンは、また包み紙の中で無事なままのマカロンをテーブルに置いた。突然の弟の質問に、すぐに答えることができない。友人として好きだと言おうとしたはずなのに、喉に突っかかったように声が出ない。いつになく真剣な弟の眼差しが刺さるように痛かったチタンは、誤魔化すためにも散らばったマカロンを拾う。自分でも酷く動揺しているのが分かる。バルトはどんな答えを期待して、自分に質問を投げかけてきたのだろうか。



「お兄様」
「……バルトは名前のこと、好きなのか?」
「もちろんだよ!お姉様のことだいすき!」



質問を質問で返したチタンは自分がずるいと思いながらも、満面の笑みで答えることのできる弟を羨ましく思った。言いたいことをはっきりと言えることは大切なことである。子どもはいつでも直球的に物事を考え、言葉を発する生き物だ。そこから段々と知恵を身に付けていく。そうして大人になった頃、自分が傷つかないための逃げ道を作ることもできるようになる。まさに、今のチタンがそうであった。友人として好きなのは本当のことであるし、そう公言しておけば、逃げ道はいくらでもあるし、方向転換することも楽だと考えている。ただ、ここ最近の出来事で、名前のことが確実に友人の枠では収まらなくなっているのを感じたのだ。深く考えようとすれば、きっとこの前のようにピアノが弾けなくなって、歌が歌えなくなる。それは今のチタンにとっては致命傷なのだ。迷惑をかけるわけにはいかないため、名前のことは極力考えずにいる。そう、自分の中で友人としての彼女の存在を確立させて。



「バルトと一緒だよ」
「……うーん、じゃあお兄様、お姉様はともだち?」
「ああ、もちろんだ」
「そっか」



家の中では外れているはずの仮面を、チタンは自然と自分で被っていたことに気づかなかった。バルトとニケルの前では決して被ることのない、もう一人のチタンという人物を演じるための仮面を。納得のいかないバルトではあったが、これ以上兄に尋ねたところで心を覗くことはできないと悟った。兄が頑なに友人と言うのなら、自分の勘違いだったのだと言い聞かせるしかない。日頃、女性に接する機会も少ない兄だからこそ、突然の名前の行動に単に驚いただけなのだと。



「名前はオレにとって、ともだち以上でもそれ以下でもない」



マカロンを頬張っていたニケルの口と手が止まる。ソファーに座ろうと思って歩き出したバルトの足が止まる。二人の行動を止めてしまうくらいには、凍えてしまいそうなほどに冷たい言葉だった。表情こそ穏やかではあったが、乱暴に吐き捨てられた言葉は部屋中に静けさを呼ぶ。
刹那、陶器の割れた音が響き渡る。その場を切り裂くように鋭い音は、チタンたちの身体を震わせる。入り口の方を見てゾッとした表情を浮かべたバルトとニケル。その様子を見て振り返ったチタンの目に飛び込んできたのは、皿の破片が飛び散ったその場で固まっている名前だった。手で口を覆っているために、どんな顔をしているのかはチタンに見えなかったが、彼女の瞳に浮かぶものの正体は彼でも分かる。ニケルが彼女の名前を叫んだものの、名前は何も言わずに三人に背を向けて、彼らの家を出て行く。
皿の上に乗せられていたであろうケーキが見るも無残な姿で、床にぐしゃりと潰れている。果物がたくさん盛り付けられていたようで、四方八方に転がっていた。どうして彼女が無言で走り去ったのかくらいは、さすがのチタンも分かっている。自分の言葉で名前を傷つけたのは間違いないが、そこで同じくらい自分も傷ついていることに気づいた。吐き捨てた言葉が刺さっているのは彼女だけ、ではない。いわゆる諸刃の剣というものだ。自分自身を守るための言葉だったはずなのに、本当は自分の心を一番に突き刺していたのである。名前の存在に名前を付けたとき、友人で終わるはずがないのだ。そんなチタンに気づいたバルトが、道を違えないようにと兄に対してあんな質問をしたというのにそれさえも無下にしてしまっていたのである。立ち尽くしたままのチタンの両腕を、バルトとニケルがぎゅっと掴む。



「お兄様」
「お兄たま」
「バルト、ニケル……」
「ねえ、お兄様、もう一回聞いてもいい?」
「お姉たま、大丈夫かな……」
「お姉様のこと、すき?」
「……名前のこと」
「うん」
「お姉たまのこと、ボクたちはだいすきだよ!だから、お兄たまと喧嘩してほしくないよ……」
「ニケル、心配かけてすまない」
「お兄様」
「もう、兄ちゃんは逃げないよ……オレは名前のことが」



チタンが口にした言葉に喜ぶバルトとニケル。抱きついていた腕から離れると、兄の背中を入り口に向かってグイグイと押した。チタンは涙を零す名前の姿を見たかったわけではない。いつも笑顔で、あたたかい場所を作ってくれて自分たちを支えてくれる、そんな特別な存在であって欲しかったのだ。それに加えて、チタンは自分自身が新しい感情を抱き始めていたことをようやく認めることができたのである。この感情に名を付けるとすれば、それは至極簡単なことだ。いつまでも悩んでいるわけにはいかない。名前の笑顔を取り戻せば、アルカレアファクトのことも家族のことも、そして自分自身のことも、全ての歯車が噛み合って動き出すように思えた。



「兄ちゃん、行ってくるな」
「うん!」
「お兄たま、がんばって」



走り出したチタンは止まらない。彼が被ったはずの仮面も既にどこかへ消えてしまっていた。名前がどこに走っていたかは皆目見当もつかないが、彼女を見つけて、早くこの心の内に秘めていたことを打ち明けたい。泣かせたくない。いつでも笑っていて欲しい。そして、オレとまた一緒に歌って欲しい。チタンは小さく呟いて、眩しい明かりでいっぱいの煌びやかな街中へと飛び出していくのであった。



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