人生は一度きりしかない。その言葉はメディアでも、身近にいる親や教師たちから散々と聞かされてきた言葉だった。生まれたその日から、わたしの人生はわたしのもの。それは不変だ。世界の誰にも決して本質を奪われることもなく、自分が生きたいように生きることができる。ただ、そうとは言えなくなってきているのが現実だ。そんな世界を変えるなんて、大それたことは一般人であるわたしにできるはずもない。見ているだけ、日々の時間の流れに身を委ねるだけだった。わたしなんて、何もできないのだから。今は学生として必死に勉学に励んで、たまには趣味に打ち込む。そうやって大人になれば、世界を動かす一部の労力として微力ながら加わっていく。そして、時間が経てば人生はおしまいだ。凡人には凡人の人生が似合う。そう片付けたわたしは、机の上で開きっぱなしのスケジュール帳を閉じる。
今日の午後は席替えらしい。窓側の席は、風が適度に入ってきて大変過ごしやすい環境が約束されていた。暑すぎず、寒すぎず。快適な環境で緩やかに過ごしてきたわたしにとっては、このクラスになってから1回目の早すぎる席替えは面白くなかった。確かに出席番号順という、割り振られた数字による機械的な並びは不満に思っている人も多いだろう。わたしは満足しているけれどね。前も後ろも、隣も、わりと静かな人でわたしには合っていた。騒ぐことが嫌いなわけではないけれど、邪魔をされるのだけは本当に勘弁して欲しい。
担任の手作り感満載の箱に手を突っ込んだわたしは、最初に触れた紙切れを引き上げると、そこに記された番号と黒板に書かれている席の番号と照らし合わせる。担任が紙を確認したら動ける準備をして、と言っている中、わたしはその紙切れを折り目にそって前と同じ形に戻す。ラッキーと呟きながら、わたしは今いる場所から一番後ろの列に下がる。黒板から一番遠いし、窓側は変わらないし、いい条件が揃っていた。次の教科はなんだっけと、掲示物がたくさん貼ってあるところの時間割表を眺めていると、隣でガタガタと机が揺れる音がする。それに、椅子を引き摺る音も続けて聞こえてきた。確かにわたしの席の条件は今のところ、良好であろう。でも、そういえば周りの人たちのことを忘れていた。席替えをしたら、周りの人間関係も大変重要なものだ。浮かれていて、すっかり忘れていたし、まだこのクラスになってから一ヶ月も経っていないので、全員と仲良くなれたかというと決してそうではない。いつもお弁当を一緒に食べる子たちは言葉を交わすから、ある程度は仲良くなったつもりだけれど。



「隣、よろしくね〜」



眩しいほどの金髪。席替えが終わった後の短い休み時間に、隣人は椅子をわたしの方へ寄せて挨拶をしてきた。置いてきぼりになっている机が可哀想だと指摘をして、少し距離を置いてもらおうかとも思ったけれど、この人はそれを言ったからといって引き下がってくれる人ではないことは遠目から見てよく知っている。プロンプトくんというこの金髪の男子は、クラスの中でも割と目立つ方だった。ノクティス王子と一緒にいるところをよく見かける。わたしは会話こそしたことがなかったけれど、初めてこうやって向き合ってみて、今まで関わってきた男子のタイプとはかなり違う人だと思った。プロンプトくんはわたしに向かって、手を差し出す。握手で、おともだち、という儀式なのだろうか。よく分からないままに、彼の勢いに押されて手を差し出してみれば、フラフラと彷徨っていたわたしの手は、プロンプトくんに捕まえられる。少し力が入ったことが彼にも伝わったようで、そんなに緊張しないでよと言われた。緊張なんてしていない、と言い返そうとした時、初めて、プロンプトくんときちんと目を合わせた。
人生はわたしだけのもので、一度きりのもの。わたしは自由に生きていい。誰にも縛られることなく、好きなように生きていい。学生生活は勉学ばかりだと思っていたけれど、こうやって友達を作って、楽しく生きることも大切なことだとプロンプトくんに腕を振られながら、そう思った。ニコニコしているプロンプトくんはチャイムが鳴ると同時に、椅子を急いで自分の席に引っ張っていって、次の教科なんだっけと小声で聞いてくる。わたしは自分の席から引っ張り出した教科書を、彼に見えるようにヒラヒラと振りながら次の教科を教えてあげた。目立つ人だから、わたしとはあまり合わないタイプかなとは思ったけれど、そういうわけではないらしい。だって、プロンプトくんとのあの距離を不快に思うことはなかったし、今は空いてしまった距離をちょっぴり惜しく思う自分がいるのだ。
そこで、わたしは教科書の適当なページを慌てて開いて、筆箱からボールペンを取り出した。教科書のイラストで真っ黒なものがないかな、と何ページか捲って、ようやく見つけた黒い生き物の上にわたしはボールペンで文字を書く。もちろん、読めない。でも、自分で書いたのだから分かる。ひとめぼれ、と書いて、最後にクエスチョンマークを付ける。初めてきちんと話をしただけだから、緊張しただけ。ひとめぼれ、と書いた下に、かんちがい、そう書いた。一時の勘違いの可能性だって充分あり得ること。久しぶりに異性とこんなにも近い距離で、しかも優しくしてもらっているから正常な判断を下すことができなくなっているのかもしれないのだ。時間を置いたら、気持ちが変わるなんて過去の経験上、何度もある。
自分の世界に入り込んだまま、自問自答をしているわたしの机が急にがたん、と揺れる。教科担当の教師がなかなか来ないせいだろうか、教室がざわついていることに同時に気づいた。プロンプトくんが机をくっつけてきたものだから、わたしはびっくりして折り目のついていない教科書から手を離してしまう。教科書はパタンと閉じると、床に音を立てて落ちていった。途端に、クラスメイトの目が音のした方に向く。わたしが慌てて教科書を拾うと、それぞれ自分の作業へと戻っていった。そこでようやく気づいたのだけれど、みんな自分のしたいことをしているようだった。



「ナマエちゃんってマジメな人かと思ってたけど、案外抜けてたりする?」
「そ、そうかな」
「この時間、自習になったんだけど、聞いてなかったでしょ?」



聞いていなかった。わたしの全神経は教科書に書く文字に注がれていたのだから、当たり前だ。こくり、と頷くとやっぱり〜、とプロンプトくんが笑う。でも、自習になったからといって、彼が机をくっつけてくる意味は理解しかねる。自習なら、各々で取り組めばいいのに。それにこんなにも近い距離で話されては、冷静になることもできない。



「ねーねー、せっかくだから話そうよ」
「机くっつけたのは?」
「小さな声で喋るために決まってるじゃん」



彼の言い分も一理ある。自習はもちろん課題に取り組んだり、予習をしている人もいるのだけれど、わたしたちのようにお喋りをしようとしている人も見受けられた。わたしも、今は課題をやろうという気にはなれなかったので、プロンプトくんの提案を受け入れる。でも、小さな声でひそひそと話すせいで、なんだか二人だけの世界に放り込まれたような感覚だった。さっき、触れられて握られた手にまた熱が戻ってきている。それに教科書に書き込んだ、わたしだけしか知らないあの文字がページを飛び出してきたよう。本当に、ひとめぼれ、なのかもしれない。つまらない人生がそれだけで、花の咲き誇る道を歩いていくように変わってしまったのかもしれない。一目惚れ、片想い、自覚すると緊張まで、わたしの中に帰ってきていた。すきになるって、いざ目の前に本人を見据えればこういう風になるらしい。その後に綴った、かんちがい、の方が当たっているのかもしれないけれど、今はもう特に考えようとは思わなかった。わたしの中でどちらかという明確な答えは出てこないだろう。
プロンプトくんが目の前にいて、楽しそうに自分のことを教えてくれる。すきなもの、きらいなもの、昨日ノクティス様と遊んだこと。そうして、時にはわたしへと質問を挟む。プロンプトくんは友人のことを知りたいという思いが強いのだろう。でも、わたしはくっつけた机のほんの少しの溝よりも、プロンプトくんとは既に大きな溝ができているように感じていた。いつか、埋めることができればいいなあ、なんて思っていたら、プロンプトくんがわたしの机から次の予習どこだっけと教科書を手に取ると、ペラペラと捲り出す。



「待ってね。スケジュール帳に予習の場所メモしたと思う」
「りょーかい」
「うーんと、どこに書いたかな」
「……ページは分かんないけど、あの、イラスト、イラストっと」



スケジュール帳の今日の日付が示す場所を開いたわたしは、横目でちらりと彼の様子を伺う。すると、プロンプトくんは今授業でやっているページよりも遥か先のページを捲っていることに気づいた。わたしが見ていることも気づいていないらしく、目で必死に何かを追っている。そこで、教科書に目を落として気が付いたのだけれど、あの教科書はついさっきまで、わたしが自問自答していたものだ。あの問題のページも、もうそこまで迫っている。咄嗟に手を動かしかけて、止めた。今、プロンプトくんが持っているものを引っ手繰ったとしよう。変に思われるのは間違いない。だとしたら、何も知らないプロンプトくんが満足するのを待った方が得策に決まっている。バレないための最善の方法だ。変な汗をハンカチで押さえながら、プロンプトくんの指が止まるのを待つ。何もなかったように、澄ました顔で待っておこう。
予習のページを言おうとしたところで、ついにプロンプトくんがあのページに辿り着いてしまった。その瞬間に、ページを捲っていた指も止まる。声も掛けられない、どうしていいか分からないわたしは、彼の次の行動を待つばかりだった。プロンプトくんの指が、黒い生き物のイラストをなぞる。それも、何度も、何度も。動く指がイラストを掠める度に、わたしの心臓が大きく跳ねる。確かに、文字は見えないけれど、教科書に書いたボールペンは跡が分かるかもしれない。彼に何を言われるのかが怖くて、もう見ていられなくて、わたしは目をぎゅっと閉じた。クラスメイトの喋り声やペンが走る音よりも、プロンプトくんがページをなぞる音が大きく聞こえる。繰り返されて終わらないそれに、わたしは必死に祈る。どうか、バレませんようにと。相手がプロンプトくんであることに気づかれませんように、と。同時に必死な自分に気づいて、そこで確信した。やっぱり、わたしはプロンプトくんに、ひとめぼれ、したことを。祈る気持ちとドキドキと鳴り続ける心臓のせいで胸がいっぱいのわたしを他所に、プロンプトくんはそのページを通り過ぎていく。呼吸も忘れていたわたしが息を吐き出したとき、彼はわたしに気づいたようで、目を丸くしてこちらを見ていた。そして、すぐに1ページ捲ったところで、ちょうどイラストの裏側にあたる場所へ再度指をあてがう。わたしは筆圧が結構強い方だ。息を吐きだして、呼吸を整えたはずだったのに、また息が上手くできなくなる。裏から覗けば、字が浮かんだように見えてしまうかもしれない。今度こそ、プロンプトくんにバレてしまう。もう、目を逸らしても無駄だと思ったわたしはプロンプトくんの横顔を見つめる。手と同じくらいに自分の頬が熱を持っているのがわかる。でも、ここで逃げてどうせ捕まってしまうのならば、真正面から受け止める準備をしていた方が絶対にいい。プロンプトくんが友だちでよろしくね、と言った時はやっぱりショックかもしれないけれど、仕方のないことだと受け入れるしかないのだ。席が変わることはしばらくの間ないのだから、お互いにギスギスした関係になるのは避けたい。となれば、わたしはここで逃げるわけにはいかない。プロンプトくんの瞳が動くのが分かって、わたしは瞬きをする。すると、彼の耳が少しずつ赤くなっているのが目に入る。ひとめぼれ、あの文字はきっと伝わってしまったのだろう。机をくっつけているせいで、近い距離を保ったままの彼の呼吸が乱れたのが分かった。プロンプトくんでも調子が狂うことってあるんだなあ、なんて呑気なことを考える。



「……あの、さ」
「うん」
「ひとめぼれ、ってホント?」
「……たぶん」



たぶん、なんて言わなければ良かった。書いた時は勘違いではないか、と思っていたけれど、今は自信を持って一目惚れだと言えてしまう。この短時間で、自覚するなんて思っていなかったけれど、もう肯定しかわたしには残されていない。



「じゃ、この、かんちがい、は?」
「かんちがい、じゃなかった」



プロンプトくんは両手で自分の顔を覆うと、あー、とか、うー、とか言葉にならない声を小さく上げだした。やっぱり困らせてしまったかな。握手をした時点で、やっとお友だちとして認定されたのにも関わらず、一目惚れなんて言ったらそれから更にレベルアップする可能性が出てくる。それが実を結ぶことになれば、お友達を飛び越えて、恋人という立場になってしまうのだから。プロンプトくん、本当にごめんね、困らせて。そう言いたかったのに、喉に詰まった言葉は彼に伝わることもなく、消え去った。



「ねえ、ナマエちゃん」
「……おともだちだよ。プロンプトくん」
「えっ、待ってよ!オレ、まだ、なんにも言ってない」
「だって、さっきの握手はおともだちの印でしょう?」
「あ、え、えーっと、あれは、あの……ちょっと下心があったというか」
「えっ?」
「オレが触りたかった、かな……」



顔を赤らめたプロンプトくんは頭を掻きつつ、わたしと教科書の合間で視線を彷徨わせ、そう言った。下心、触りたかった、予想もできなかった言葉が返ってきたものだから、わたしも言葉を失ってしまう。たまに目が合ったかと思えば、どちらからともなく逸らす。ただただ、目を合わせることが恥ずかしくてしょうがない。しばらくの間、ぎこちない動きを続けていたけれど、わたしよりも先にプロンプトくんが急に言葉を発した。



「ナマエちゃん、オレも、実は一目惚れ、なんだ」
「うそ」
「ウソじゃないよ、ホント」



恋はひとりでは始められない。必ず、ふたりの存在が必要になる。それがわたしと、プロンプトくんだったという話だ。伸びてくる彼の手から逃げる理由がすっかりなくなったわたしは、近い距離にも、自分でない熱にも、意識を持っていかれてしまって、余裕なんて全くない。遠慮がちにわたしの手を取ったプロンプトくんは、こっちを見てとばかりにぐいぐいと引っ張ってくる。どういうつもりなの、とそちらを見れば、逸らし続けた目と目が最初のときのように合う。この時間が自習時間だなんてこと、二人とも覚えてなんかいなかった。
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