ナマエが一人暮らしを始め、ようやく仕事にも慣れてきた頃だった。学生の頃からの付き合いを続けるプロンプトが、突然彼女の家にやって来て別れの言葉を告げたのは。仕事が丸一日休みだったナマエは、インターホンの音に首を傾げながら玄関に向かっていた。今日は特別何もないはずである。宅配便の予定もない。ゆっくりと扉を押してみれば、明るく眩しい髪色がちらりと見えたので、一気に扉を開く。普段と違って、正装した彼がそこに立っていたのだった。順調に交際を重ねていたふたりに訪れた破局は、本当に誰もが予期できなかったことだ。近くでこっそりと見守っているノクトさえ、プロンプトの行動を予想することができずにいた。そして、何よりもひどく驚いたのはナマエ本人である。これまでのプロンプトとの付き合いの中で、破局に至る原因が思いつかない。嘘をついて面白がっているのではないかとも彼女は考えたが、真剣な表情の彼を見れば嘘をついているんでしょ、と笑って言うことなど一切できなかった。言葉が発され、ナマエの表情は歪む。同時にどうしてという思いが湧き上がってくる。 「ゴメン……理由は言えないんだ」 「どうして」 「オレ、しばらく君に会えない。それに、また会えるって保証ができない……」 「どういうこと、なの」 「ナマエちゃんを悲しませたくない。だから、オレのことは忘れて欲しい」 「っ、ふたり一緒ならなんでもできるねって」 「うん。オレは今でもそう思う。それに、好きなんだ。好きだからこそ……君とはさよならをしなくちゃいけないって」 「お願い、理由を教えて!お願いだから」 「……ゴメン、言えない。ナマエちゃん、さよなら」 玄関から彼女の部屋へ入ろうともしないプロンプトは、頑なに理由を述べようとしなかった。ただ、淡々と述べたいことだけを吐き出している様は彼らしくなく、自分勝手だった。好きだと言われているのにも関わらず、別れたいという彼の言葉を理解できないナマエは必死にプロンプトを引き留める。卒業式間近に聞いたあの言葉が嘘だったとは到底思えなかった。彼女はプロンプトの腕を掴み、どうしてと譫言のように繰り返す。プロンプトは強引にでも振り切れるはずだったが、そうはしなかった。いっそ、自分をここで突き放してくれた方が離別の踏ん切りが少しでもつくのではないか。男の力なら、女を突き放すなど容易いはずだ。だからこそ、彼の優しさがナマエにとっては刃を突き立てられたように痛かった。彼の選んだ言葉も、今の状況もまるで自分を引き留めて欲しいと言っているようだった。この場を去ろうとして扉を開け、振り返ったプロンプトの瞳から、何かが零れる。女を捨てるのなら、振り向くべきではないと彼も充分に分かっていたが、どうしても振り返らずにはいられなかった。最後にナマエの顔が見たいと思ってしまったのだ。自分のためにも、彼女のためにも吹っ切ることが一番だと結論を出した割には、ふたりの間を繋ぐ糸をハサミであっさりと断ち切るようなことはできずにいるのだ。もう、二度と見ることはないであろう彼女の顔はいつも隣で笑っていたものとは程遠かった。ナマエは、再度プロンプトに向かって手を伸ばす。冗談だったと言って欲しかった。随分長い時間を彼と過ごしてしまったからこそ、離れたくない気持ちが溢れ出す。彼が持っているカメラの中には、ふたりの想い出が残っているのだ。これからも、いっしょにいようと記念日にプロンプトは笑って言っていた。あれは、口から咄嗟に出た思いつきだったのだろうか。ナマエは希望を込めて、手を伸ばしていた。きっと、プロンプトはこの手を取ってくれるだろうと。 「……ナマエちゃん、すきだよ」 涙でぐちゃぐちゃなナマエとは対照的に、いつものように笑ったプロンプトは彼女の家を後にする。これは正しかった、と自分に言い聞かせながら。扉が開いていた時に差し込んできた微かな光は、彼女に救いの手を差し伸べているようだったが、プロンプトが扉をきっちり閉めたことでそれは途切れる。明るい場所から急に真っ暗な世界に放り投げられたような気分になったナマエは、その場に座り込む。追いかけても、無駄なことだと彼の顔を見て分かってしまったのだった。確かに笑っていたが、光に反射して美しく輝きながら頬を伝うそれが、彼の決意をよく表していたからである。プロンプトが最後まで理由を語ろうとしなかったことは、彼女の心を打ち壊す。付き合っていく中で互いに全てを曝け出したつもりでいたのは、ナマエだけだったのかもしれない。彼はまだ、彼女に告げていないことがたくさんあるのだろうか。そして、まだ全てを相談できる彼女ではなかったのだろうか。プロンプトが泣いていたのは、ナマエ自身にも原因があったのかもしれない。だが、もう終わってしまったのだ。目の前で、全部が。自分が何を言っても、プロンプトは考えを変えることはなく、突きつけられた現実を受け入れるしか道は彼女に残されていないのだ。電気ひとつ点いていない部屋の中は、依然として真っ暗であった。 |