気が付けば、わたしは家の近くにある公園のベンチに座っていた。学校終わりにそのままやって来たようで、制服を着ている。どうして自分がこんなところにいるのか全く分からないけれど、学校での出来事に対して何も考えないためにここにいるのだろう、と考えるしかなかった。学校や家で嫌なことがあった日は決まって、この公園を訪れるのがわたしの中で自分だけの決まりになりつつある。そのことを考慮すると、今日も学校で何かあったのだろう。だから、今ここにいる。 「ナマエちゃん!お待たせ」 「……プロンプトくん?」 「急に呼び出してゴメンね」 手を振りながら、こちらへ走ってくるプロンプトくんはさながら、子犬が大好きな飼い主を見つけた時とそっくりで可愛らしかった。本人に言うと、拗ねてしまうかもしれないので心の中に留めておくけれど。 そういえば、プロンプトくんが呼び出したと言っていた。ということは、わたしはプロンプトくんを待つためにこの公園にいたということになる。いまいち、状況を呑み込めずにいたけれど、ここで約束を忘れていることを暴露してしまったら、彼を傷つけてしまうことになるかもしれない。いつも笑顔のプロンプトくんの表情を曇らせることは絶対にしたくない。今はプロンプトくんの言葉に耳を傾けることにしよう。情報収集をしつつ、上手く順応するしかない。 「どうして呼び出したのか分からないって顔してる」 「と、突然だったから……」 「そうだよね〜、でもこれはただのオレのわがまま。ナマエちゃんと一緒にいたいな〜、って思っただけ」 普段通りのプロンプトくんはわたしと一人分距離を空けて、ベンチに座る。間を空ける意味が分からなくて、じっと彼の方を見つめていると、片手で口を押さえつつ、もう一方の手でこっちを見ないでとばかりにジェスチャーしていた。恥ずかしいことではあるけれど、嬉しいことを言われている。そう思っていたわたしは、プロンプトくんって自分で言ったことに後から照れちゃう人なのだと知る。またひとつ、新しい彼を発見できた気がしてわたしは笑う。それを見たプロンプトくんはどうやら、自分が照れていることに対して笑われていると勘違いしたらしく、両手を下ろすと頬を膨らませた。拗ねさせないようにしようと思ったけれど、こればかりは許して欲しい。余裕がないのはお互い様なのだから。 すると、プロンプトくんが急に距離を詰めてきた。そこで、今日の午後の授業のことを思い出す。そのことだけは鮮明に思い出せる。椅子を引き摺った彼は今と同じことをしていた。今回は同じ椅子に座っているせいで、ほんの少し身じろぎをすれば手足が触れる距離。それにプロンプトくんが袖を捲っているので、露出された腕の部分はわたしの制服の布一枚だけが境界線に違いない。思わず、顔を自分の足に向けると、彼の太腿とわたしの太腿が一瞬触れたのが分かって、忙しなく心臓が騒ぎ始める。少しでも動けば、彼のどこかに触れてしまう。もう、顔なんて絶対に見ることはできなかった。数時間前に恋人同士になったというのに、こんなにも展開が早くていいのだろうか。恋人同士になってから、時間を重ねていって、こういう風にくっついたりするのではないのか。わたしの頭の中はぐるぐると回っていて、正しい思考をすることが難しいと気づいた。何も考えられない。 「ナマエちゃん……」 「は、はい」 「緊張しないで、ってば」 「それは無理なお願い、かな……」 「オレたちもう付き合って三ヵ月になるんだよ。今日で」 「えっ」 おかしい。わたしとプロンプトくんの間に勃発した教科書事件から、まだ一日として経っていないはずだ。お互いに一目惚れだったということを白状して、これからどうぞよろしくお願いします、の指切りをしたのはついさっき。掃除時間の時、彼と結んだ小指は甘い痺れに襲われたようで、小指がそこにあるという感覚が消えてしまっていたのだ。今は、小指の動く感覚はあるけれど。だというのに、目の前のプロンプトくんは首を傾げながら、指で数字の3を示している。わたしたちはお付き合いを始めたばかりではなかったの。 そこで、わたしは新たな可能性に気づく。これは夢だということだ。それならば、おかしいと感じていたことの全てが説明できるような気がする。プロンプトくんに呼び出されて公園に来ていたこと、それまで何をしていたのか覚えていないこと、彼が今日で三ヵ月だと言っていること、わたしの小指の痺れがどこかに消えていること。現実的な考え方ではないと分かっているけれど、そうとしか考えられない。それにこの夢は未来の夢だ。 「あのさ」 「……プロンプトくん」 「もう、オレ、我慢できないよ」 彼の名前をもう一度呼んだところで、わたしがどうすることもできなかっただろうけれど、プロンプトくんという言葉は生唾と一緒に飲み込んだ。彼はわりと細身で身長も特別大きい方ではない。それでも、女のわたしからすれば充分大きく見えたし、見た目からは分からなかったけれど、がっちりしていた。プロンプトくんに近かった方の肩が、ちょうど彼の胸板に当たり、反対側の肩は抱き寄せられるように手が回される。彼の力に勝てるはずもないけれど、抵抗するような隙さえ与えてもらえなかったわたしは、無意識にプロンプトくんに身体を預けるような形になっていた。プロンプトくんの身体の隙間から見えた子どもたちがわたしたちを指差して、騒いでいる。いくら夕暮れだとはいえ、ここは公共の場。身体の位置を戻そうとするけれど、それを彼は許さない。言葉がないまま、わたしは身体を強張らせるだけしかできなかった。しばらく、沈黙が流れてから、プロンプトくんがわたしの両肩を掴んで、そっと身体を離す。触れた部分がどこもかしこも、熱い。息を吸えない。吐けない。ただ、止めることしかできない。 「……いい?」 プロンプトくんが許可を請うのは何に対してなのか。それが分からないほどの鈍感でもないわたしは、これは夢だからと思って目を閉じる。現実に戻ったとしても、いつかは訪れることだろうし、何より自分が心のどこかでずっと期待していることがよく分かっていた。今日の夢の中の出来事は、嫌だと思ったことなんてひとつもないし、むしろプロンプトくんとそういうことに及んだ記憶が綺麗さっぱり消えてしまうことは惜しくてしょうがない。現実のわたしたちはまだ数時間だけしか恋人として生きていないのだ。夢の中はよく、自分の願望が形になって現れるというけれど、まさにその通りだと思う。心臓が口から飛び出しそうなくらい恥ずかしいことなのだけれど、プロンプトくんに触れて欲しいのは本心であるし、彼がわたしにキスしたい、なんて思ってくれたのなら、なんと幸せなことなのだろう。 目を閉じても、ゆっくりとプロンプトくんが近づいてくるのは気配で分かる。薄目で盗み見れば、我慢できないと言ったプロンプトくんの表情は、いつもの子犬のような可愛らしさは影を潜めていて、目の前の獲物を捕食してしまいそうな勢いで迫るものだった。戯れるのではなくて、自分のものにしようとする征服感。怖いというよりも、このまま奪われてしまいたいと思った。プロンプトくんがわたしを自分のものにするということは、逆に言えば彼もわたしのものになると言える。 乾いたくちびるがわたしのそれにくっついた一回目は、あんな表情をしていたクセにはひどく遠慮がちで、やっぱり言葉と表情だけでは分からないものだと思った。緊張しないで、って言われたけれど、その言葉は彼にそのまま返したい。たった数秒で離れたくちびるに離れていって欲しくなくて、わたしは欲しがるように瞼を上げる。はしたない女だと思われるかもしれないと頭の中に一瞬過ぎったけれど、それよりも、もっと欲しい。上唇と下唇の間をほんの少し開けて、空気を身体の中に取り込む。プロンプトくんは、ぼーっとした様子でわたしのことを見ている。目が合って、もう一度目を閉じれば、わたしの後頭部にプロンプトくんの手が触れる。 「おはよ〜」 優しく、柔らかなそれがくっつく。二回目も数秒だったと思うけれど、離れていった後でわたしはニヤける顔を誤魔化そうと必死だった。でもなんで、おはよう、なのだろうか。プロンプトくんの言葉に目を開けてみれば、夕日に照らされた彼が椅子の背もたれ部分に肘を当てて、頬杖をついた状態で目の前にいる。彼の背中にはたくさんの机と椅子があって、黒板も見える。それは、この場が学校であることを指し示していた。幸せな夢でも見てたのかな〜、と言いながらわたしの顔を覗き込むプロンプトくんはどこか楽しそうに首を傾けている。やっぱりさっきのは、都合の良い夢だった。そう思うと、少し寂しいけれど、これからの未来で待っていることかもしれないので、勝手に落ち込むのはやめよう。 「起きたところで帰る〜?」 「うん。帰ろうかな」 「ナマエちゃんの家、教えてもらわないと!」 「ノクティス様は?」 「先に帰ったよ」 机の中に入れっぱなしの教科書やノートを取り出しつつ、プロンプトくんと言葉を交わす。いつもノクティス様と一緒にいるのに、わたしなんかが邪魔してはいけなかったのかもしれない。でも、今日くらいはプロンプトくんをわたしが貰ってもいいよね、と自分で納得できる理由を並べる。王子様と張り合うことになるなんて思わなかった。 忘れ物がないか確認して、教室を出て行こうとするプロンプトくんの背中を追って行くと、急にドアの手前で止まるものだから、勢いよく彼の背中に衝突してしまった。ごめんね、と顔を上げれば、プロンプトくんがいつの間にか振り向いていて、なんだかバツの悪そうな顔をしていることに気づく。 「あの、ナマエちゃん……!」 「どうしたの?忘れ物?」 「ゴメン。オレ、負けちゃった」 「どういうこと?」 「……えっと、我慢できなかった。それと、もう一回謝らせて。ホント、ゴメン」 プロンプトくんは廊下に鞄を放り投げた。その直後、わたしの手から鞄が滑り落ちて、静かな教室中に音が響き渡る。彼が一体何に対して懸命に謝罪をしていたのか、話の途中では分からなかったけれど、くちびるを塞がれた熱でなんとなく理解できてしまった。腰に回ってくる手に、更に跳ねる心臓。それは夢で見たはずの何秒間よりも、ずっと、ずっと長く感じた。こうしたくてたまらなかった、擦れた声で囁く彼はずるい。プロンプトくんに全てを委ねたこの日から、わたしたちは本当に恋を始めたのだろう。 |