チャイムが鳴り、解答用紙が回収され終わると教室が歓喜の声で溢れる。今、この瞬間、長かったテスト期間から解放されたのだから、どんな人であっても思わず声が漏れてしまう。ホームルームを始めるぞと入ってきた担任の表情も一大イベントが終わってひと安心と言いたげで、ほっとしているのは生徒だけではないことを感じた。ふふ、と小さく笑っていると、ちょんちょんと腰の辺りを啄かれる。腕を伸ばしているプロンプトくんもクラスメイトと同じように笑っていた。今回のテスト勉強はいつも通り、ひとりで机に向かう時間もあったのだけれど、勉強を教えて欲しいと言ってきた彼のためにも時間を割いて、プロンプトくんのお家に通ったこともある。初めての訪問のときは、ふたりともテスト勉強どころではなくなってしまったのも記憶に新しい。キスをしたことを思い出して、プロンプトくんの顔を真正面から見られなくなってしまったこともあったけれど、テスト期間の恋人イベントは比べ物にならないくらいだった。隣の席に座っている彼に、わたしはもう全部をあげてしまったのかもしれない。身体を隅々まで這う指先の感覚に、目の前でさらけ出された引き締まった彼の身体に、今まで見たことのないくらいの鋭く光る瞳に。完全に欲情した表情を思い出すだけで、また自分の身体が痺れてしまいそうだ。でも、笑顔いっぱいで、元気で明るい彼もあんな表情ができることを知っているのはわたしだけ。余裕がないのもお互い様だったから、あの行為が上手くいったかどうかなんて分からない。けれども、満たされた気持ちになったのは間違いないことだった。



「ナマエちゃん、先生が見てるけど〜」



前を向いたまま、こっそり教えてくれたプロンプトくんは担任に口を動かしているのが見えないように手で口元を覆っていた。隣の席から視線を教卓に移せば、じっとこちらを見ていたであろう先生と目がばっちり合う。恥ずかしいことに、見つめるのは後で幾らでも、とクラスメイト全員の前でからかわれるものだから、いよいよわたしは顔を赤くするのを抑えることなんてできなかった。プロンプトくんは涼しい顔をして、笑っているのでわたしの味方ではないらしい。ノクティス様も笑いを堪えているようで、窓の外を見るフリをして背中を震わせているのが見える。お願いだから、先生、早くホームルームを始めて欲しい。
鞄に荷物を詰め込んでいると、プロンプトくんが今日の夕方ちょっと話せないかなと聞いてきた。テスト最終日の今日は、授業が早く終わったために自由な時間がたくさんある。前々からテスト終わりにはノクティス様と遊びに行くのが決まりだと聞いていたので、少し驚いた。ノクティス様と遊びに行くのではないの、と聞き返すと、ノクトと遊ぶのは夕方までだからその後ちょっとだけ時間ちょうだい、と言う。プロンプトくんは机で突っ伏しているノクティス様の方へ歩きながら、わたしに手を振る。王子様はすっかり待ちぼうけを食らったようで、眠ってしまっているように見えた。トントンと肩をプロンプトくんに叩かれたノクティス様はゆっくりと顔を覗かせ、ねみいと呟く。その表情は王子様であることを一瞬忘れさせた。本当にわたしたちと歳の変わらない、男子高校生。わたしは、ふたりが会話を始めたのを見届けて、教室を後にするのだった。王子様もご友人と楽しく遊んで欲しいな、そう思いながら。







公園のベンチに腰掛けたわたしは、真っ赤に燃える空を見上げる。そういえば、いつかこんな風景を見た気がする。この公園に来るのは自分のごちゃごちゃした気持ちを整理整頓するためであったけれど、今日はそうではない。プロンプトくんにちゃんと呼び出されたと分かっている。あの夢でも、彼に呼ばれていたけれど、その時は約束を覚えていなかったはずだ。こうやって、ベンチに座っていつまでも待つのは同じ。
夕焼けが夜をもうすぐ呼びに行く。わたしは、あたたかな格好で待ち続ける。学校から一旦帰宅したわたしは私服に着替えていた。プロンプトくんがメールで、何時頃に着く予定と送ってきていたけれど、わたしはその時間よりも何十分前からこうして空を見上げて待つつもりだったので、防寒対策はばっちりだ。4月、隣の席同士になったことから始まったわたしとプロンプトくんの関係は、今後どうなるかなんて全く予想がつかない。時間は流れるように過ぎていき、もうすぐ1年経とうとしているのだ。ギリギリまで考えたくはなかったけれど、学校を卒業したらプロンプトくんはどうするのだろう。わたしは仕事を始めると決めている。でも、彼にこれからのことは怖くて聞けなかった。担任がホームルーム後に幾らでも見つめればいいと言ったけれど、果たして本当にわたしの行く先にプロンプトくんがいるのだろうか。そんな時間がわたしにあるのだろうか。目を背けていたことがこんなにも恐ろしく、不安にさせるものだとは思わなかった。



「ナマエちゃん!」



近くに駆け寄ってくる足音さえ耳に入っていなかったわたしは、相当放心していたのだろうと思う。じんわり滲んだ涙に気づかれないように、さっと手で拭ったけれど、涙で濡れた手はひどく冷え切っていた。隣に座り込んだプロンプトくんは、テストの手応えをわたしに報告してくる。あの教科はできたとか、この問題は事前に勉強したところだったから余裕だったね、とか。テストの結果が楽しみだねと返すべきところで、言葉が詰まったように出てこない。今日のテストは高校生活最後のものだったのだ。もう、わたしたちに残されたのは卒業だけ。約束された未来があるわけではないのだ。無邪気に笑う彼を見ることができる時間が終わりに近づいているかもしれないし、そうでないかもしれない。後者であることを願うけれど、物事は成るようにしかならない。自分の描いたシナリオで進むわけではない。この公園に来たのはプロンプトくんとの約束だったはずなのに、今までのように、本当は自分の気持ちを整頓するためにこの場にいるみたいだった。



「……なんで、そんな泣きそうな顔するの」
「泣いてないよ」
「ウソつかないで」
「……泣いてないよ」
「やっぱり、なんにもないオレじゃ、ダメってこと?」



唐突に彼の口から零れたのは虚無を表す言葉だった。プロンプトくんのことを否定したかったわけではないのに、わたしの曖昧な態度が彼を確実に傷つけている。でも、ポジティブに物事を考えられる状態ではないわたしは、更に良からぬ方向へと思考を進めた。今、彼との繋がりを断ち切ってしまえば、これから先、傷つくことはないのではないか。自分が可愛いからこそ、一番自分が傷つかない方法を考えているわたしは最低だ。



「なんにもないのは、わたしの方だよ」
「……ナマエちゃんがそう言うのはダメ」
「プロンプトくんこそ言ってるじゃない!」
「オレがすきになった人にそんなこと言って欲しくない!」
「そ、そんなの……わたしだってそうだよ!」



プロンプトくんはいつも自分のことを棚に上げて、周りの人間のことばかりを考える。これは彼と付き合ってから何度も感じたことだった。相手のことを考えてあげられる優しい心の持ち主であるのだけど、自分のことも大切にして欲しかった。今だって、わたしのことを大切にするように言うクセに、自分のことはどうでもいいような言い方をする。もっと、わたしみたいに自分を優先して考えることも必要なのではないか。といって、世界が自分中心で回っているような考えしかできずにいるわたしのようになって欲しくないけれど。



「わたしだって、すきな人にそんなこと言って欲しくない……」
「ナマエちゃん……ゴメン」
「プロンプトくんはプロンプトくんなの。誰も代わることができなくて、世界にひとりしかいないんだよ。もっと自分のこと大切にしてあげて。わたしの前にいるのは、プロンプト・アージェンタムなの」
「うん……」
「でも、ふたりともなんにもないっていうなら……」



そこまで言いかけてわたしは咄嗟に口を両手で塞いだ。この先、紡ごうとしていた言葉はさっきまで自分が考えていたことと真逆のことである。結局、わたしはこの人から離れられなくなっているのだ。例え、これから傷つくようなことになったとしても、その時まで許されるならば傍にいたいと思っている。あれこれ悩む必要など、最初からなかったのだ。堪えていた涙が堰を切ったように零れ出す。ギョッとした表情のプロンプトくんは、両手で空気を掻き回すように無駄な動きをする。優しい彼のことだから、やっぱり自分が泣かせてしまったなんて考えているのだろう。



「ふたりとも、なんにもなくても、ふたり一緒ならきっと」



ふたり一緒なら、何も持っていなくても、なんでもできちゃう気がする。それにこんなにわたしを想ってくれる人から離れられないや。両手を彷徨わせている彼の胸板に飛び込むように抱きつけば、落ち着く場所を見つけたようにゆっくりと腕が回ってくる。あたたかい。すきな人と、一緒に何かをする幸せをくれたのは彼だ。こうやって、身体を触れ合わせることの幸せをくれたのも彼だ。プロンプトくんの傍がいちばん、いい。だって、もう、本当に全部あげちゃったのだから。



「ナマエちゃん、すきだよ」
「わたしも、プロンプトくんのこと、すき」







初めて目を合わせた瞬間に、心臓がうるさく動き始めた。言葉を声には出せず、紙に文字を綴っては自分と向き合う。相手が自分と同じ気持ちだと嬉しいと期待をする。もう一度目を合わせた際、互いに同じ気持ちを抱いていると知った。不思議と惹かれ合った二人は緊張しながらも、恋をはじめる。手を繋いだ。くちびるを触れさせた。身体を重ねた。近づく距離を愛しく思っても、反対に離れた時の恐怖に駆られる。溜め込んでいた気持ちを吐露すれば、いつしか一方が必要としているのではなく、双方が相手の存在を必要としていることに気づく。支え合って生じる恋は、やがて愛へと成就する。生を受けた人間が逃げることは叶わない、死という運命に直面する最期の時まで、いつまでも傍にいたいと願うのだ。
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