お互いに息がかかるほどに近い距離を保ったまま、チタンはナマエのことを見つめる。彼の弟たちはサンタを待つと言っていたが、眠気に負けて布団に潜り込んでいた。騒がしかった部屋に訪れた静寂は、彼らを緊張の渦中へと引き込む。チタンが彼女のことをすきだということに気づいていたオリオンが最近ナマエにちょっかいをかけていたのだが、それを知ったチタンはオリオンが彼女のことをすきなのではないかと盛大な勘違いをしていた。オリオンはそれが楽しくてしょうがなかったが、ついに昨日はチタンの前で決定的な事を起こしてしまったのである。オリオンは彼女を壁と自分で挟み込んで、ゆっくりと腰を抱いた。さすがのナマエもやめてと声を荒げたが、その場面を目撃したチタンからはオリオンと彼女がキスをしているように見えたのである。距離を詰めたその姿は、まさにくちびるが触れるくらいに勘違いするのには充分で。彼女よりも背の高いオリオンが屈んでいた。彼女のことはオリオンの背中越しからしかチタンが見ることはできない。まさか、自分が知らないところでオリオンがナマエのことを手に入れてしまったのではないか。焦ったチタンだったが、遠くから見ただけだったために、確証は持てないでいたのである。自分は彼女に想いを告げずにそばにいるという狡いことをしている自覚があったために、オリオンに直接聞くことは憚られた。もし、オリオンと彼女がくっついてしまっているのなら、自分が身を引こうと決心したチタンは、クリスマスの日にナマエを家へ招待したのである。こうして、冒頭に戻る。 「あの、ナマエ」 「チタン?ソワソワしてどうしたの。今日、顔が怖いよ」 「……オリオンのことだ」 「オリオン?」 「オリオンと付き合っているのか」 「え!まさか」 「嘘だろう?だってオレはこの前見たんだ。その、き、キスをしているところ、を」 テーブルの上に置かれたままの皿の二切れのケーキは、彼らの物だったが互いに手を付けずにいた。チタンも、ナマエも、食べ物が喉を通る状態ではなかったのである。キスという言葉だけが妙に小さな声だったが、静まりかえったその場にはよく響いた。オリオンとの仲を勝手に勘違いされていることに気づいた彼女は、勢いよくチタンの腕を掴んで離さない。急に腕を掴まれたチタンは身体を揺らす。距離が一段と近付いた上に、自分で発した言葉に振り回されているのだった。くちびるから、どうしても目が離せなくなっている。鮮やかな果物の赤色のようなそれは、オリオンに食べられてしまったのだろうか。どうして、オリオンなんだ。嫉妬している自分がそこにいることを自覚したチタンは、本気で彼女のことを想っていることに改めて気づく。オリオンは良き仲間であり、ライバルであった。でも、ナマエだけは取られたくない。そう強く思うと、もう止まることはできなかった。ソファーに腰掛けていた彼女の腕を外して、チタンが掴み返す。そして、そのままグッと身体を押した。強引に事を進めることが彼からは想像できなかったために、突然のことに驚かされたのは彼女の番である。視線の先には、優しい瞳ではなく、怒りの感情を浮かべたようなチタンがいた。 「……っ、ちた、ん」 「ナマエはオリオンがすきなんだろう?正直に言ってくれ」 「だから、わたしはオリオンと何もないって言っているでしょ!」 ナマエの強い口調にも動じないチタンは、ゆっくりと顔を彼女に近づける。ここで、このまま彼女のくちびるに噛み付いてしまえばいい。全てを奪ってしまえばいい。そう、彼の中の悪魔が囁くが、どうしてもチタンはその一歩を踏み出せなかった。キスをしたところで、互いに傷つくだけであって、いいことなんてひとつもないことは充分に分かっていたからである。もう少しの距離が詰められない。といって、彼女を自分に振り向かせるにはどうしていいか分からずにいた。 「ねえ、チタン勘違いしてるの気づいてない?」 「オレは……」 「でもね、わたしチタンがそんな風になるの初めて見たから、実はちょっと安心してるの。チタンも怒ったりするんだなって。自分でも呑気だと思うけど」 「……オリオンに取られたくない、だけの醜い感情だ」 「チタン」 チタンの乾いたくちびるに、恋焦がれていた相手のそれが触れる。くちびるが触れ合う前に彼の耳には確かに、すきという言葉が届いていた。その言葉が誰の口から発せられていたかなんて、考えずとも分かる。チタンは彼女の身体を抱き起こすと自分の頬に両手を当て、額にも手で触れる。ひどく熱を持っている身体の一部は、彼に現実であることを知らせていた。目の前で、綻んだ表情を浮かべる彼女は夢ではないのである。少しずつ状況を飲み込めてきたチタンはゆっくりと口を開く。 「オレの、勘違い?」 「そうだってば。わたし、オリオンと付き合ってない」 「でも、オリオンは最近ナマエに構っていることが多くて」 「あれは恋愛感情じゃなくて、単にからかっているだけだと思うの。この前は度が過ぎていたから、さすがに怒ったけど」 「やっぱり、したのか?」 「ううん。してない。そこまでオリオンはしないよ」 「そ、そうだな。オリオンはそんな奴じゃない」 「わたしはチタンのこと、ずっとすきなのに。あなたがいつまで経っても気づいてくれなかったのよ」 言葉を失ったチタンとは正反対に、楽しそうなナマエはテーブルに置きっぱなしになっているフォークを手に取ると、ケーキをひとくちサイズに切り分ける。ふわふわのクリームに包まれた苺にフォークを刺し込めば、甘い果汁が溢れる。真っ赤な苺はチタンの前に運ばれた。遠慮がちに口を開いたチタンの頬は、苺に近い色に染まっている。クスクスと笑いながら、彼の口に苺を押し込んだナマエはフォークをチタンに手渡す。音楽の面ではちっとも敵わない彼女も、恋愛となればチタンよりも何枚も上手だった。早く、と急かす彼女は口を開いて待っている。最初の緊張が戻ってきていた彼のフォークは、少し揺れつつもケーキに差し込まれた。メリークリスマスと書かれたホワイトチョコレートのプレートが、ケーキの上から滑り落ちていく。オリオンには最初から最後までお見通しだったな、とチタンは溜め息をついた。 |