*女の子≠プロデューサー *後半少し注意 久しぶりに彼女の家を訪ねていた春名は、風呂に入ろうと脱衣所へ行った名前の鼻歌を聞きながら、天井へと手を伸ばした。電球を付け替えたばかりの光は随分と眩しく、目を開いて見つめることは厳しいと思わせるようだった。春名は高校生で、名前は大学生。年齢は一緒だが、学年は違う。同じ学校にいた時は彼の目が行き届く範囲に彼女がいたために、大体の情報は聞かずとも耳に入ってきていた。しかし、離れてしまってからは彼女のことがすっかり分からなくなってしまうのではないかと、不安でいっぱいだった。不安定な気持ちになっていた春名はその頃、自身の所属する軽音部の仲間たちとアイドル活動も始めていた。場所は違えど、二人は新しい環境に慣れることに精一杯だった。いくらか、春名の方が順応は早かったかもしれないが。毎日顔を合わせることがなくなり、春名は初めて今まで当然だったことが何よりも幸せなことだったと思い知る。そして、彼女から大学の話を聞く度に、ほんの小さなことでも不安が募っていくのだった。学部の話に、サークルの話に、新しい友達のことに。名前の周りは女だけでなく、男もいることは随分前から覚悟してきたことではあったが、いざ彼女の口から直接聞くとなると、余裕などなかった。自分の見ていないところで何が起こっているか、分からないのだから。 だが、それは春名だけではないことも充分承知の上だった。春名は学校から飛び出し、全国というステージにまで活動を広げているのだ。彼自身も相当に環境が変わってきている。だからこそ、彼女にいろいろと尋ねることは憚られた。ふわふわと風で揺れる髪の毛やしっとりとして手の滑る肌に触れられていないか、だとか。適当につけていたテレビ番組の音も春名の耳には全く届いていなかった。無音の部屋で一人ぽつんと取り残されたような気分になった彼は近くにあったクッションに手を伸ばして、顔を埋める。低い唸り声を上げる春名はさながら獣のようだ。良くない方向へとばかり考えてしまうのは、名前が本当に自分の傍から離れてしまうことが怖いからだった。 彼女は大学へ行く時、春名に自分の夢を語っていた。将来を見据える名前は、期待で満ち溢れていて、春名は星屑が零れる夜を彼女の瞳の中に見たようだった。具体的にどういうことがしたい、と言葉を並べていく彼女のことを心底羨ましく思っていた春名だったが、その後すぐに自分も夢を持つこととなる。軽音部でドラムを叩いて、そこから更にアイドルへの道を歩き出したのだから。軽音部とアイドルのことを彼女に伝えると、一層その瞳の輝きは増したようで、春名は、彼女の煌めいた瞳の理由のひとつになれたと感じた。わたしは春名くんのこと、ずっと応援しているから。その言葉で、もう彼女以外に何もいらないと言いたくなった。随分と大袈裟な表現だったが、春名の目は本気だった。 「春名くん」 脱衣所の扉が開き、タオルで髪の毛を拭きながら名前が、顔を上げていた春名の方へ歩いてくる。クッションを横に放り投げた彼は、近くに置いてあるドライヤーを手に取る。コンセントには彼女がソファーに腰掛ける前にプラグを差し込んでいたようで、これも長く一緒にいるおかげだと春名は緩む口元を押さえるのに必死だった。 ドライヤーの音が辺りを包む。温風を当てながら、春名は彼女の濡れた髪の毛に指を通す。痛くないように、そして、丁寧に。名前と会ったのは久しぶりだったが、春名はいつも電話をかけてきていいと彼女に言っていた。今日も会った時に、電話待ってたんだけどさ、と零せば、名前は春名くんが忙しそうだから電話はかけちゃいけないと思って、と言葉が続く。笑顔を向けられた春名は、本当は彼女が電話をしたいと思っていることを感じ取っていた。どうして電話してくれないの、と頬を思いっきりひっぱたくくらいしてくれた方が春名にとっては、心を痛めずにすむ。自分が悪いと思わせないように、彼女は笑っているのだ。それが、逆に心を刺すようだった。 ドライヤーのスイッチを切った春名は、コンセントからプラグを抜くことも忘れ、名前の細い肩を勢いよく掴んだ。髪を梳かそうとしていた彼女の手からブラシが落ちていく。カーペットにブラシがコツンとぶつかる音は、テレビに映っている若里春名の台詞でかき消されていく。春名はグッと彼女の身体を手繰り寄せながら、自分の映っている液晶画面を消す。自分であっても、誰にも邪魔されたくなかったのだ。数秒の間、首筋に顔を近づけて彼女の香りを思いっきり吸い込むと、ゆっくりと吐き出す行為を繰り返す。春名くん、と何度も呼ばれる名前に返事などしなかった。彼女を抱きあげてそのまま立ち上がると、家の中でも少し照明が暗くなっている場所へと向かっていく。春名のポケットが不自然に膨らんでいることに名前は全く気付かない。それよりも、何も言わずに運ばれる先を想像しては落ち着かずにいた。 「名前」 日中干していたシーツからはあたたかい、春の匂いがした。太陽と花の香りがふわっと舞い上がったのは、彼女がシーツに縫い付けられたからだ。小鳥の囀りや、色鮮やかな花々が咲き誇る庭を想像させる。冬が終わりを告げようとしており、もうそこまで春がやって来ていることを二人に知らせるように。それと混ざるように、彼女の元へ春名の匂いも届いていた。名前の視界には、春名。そして、彼の背中の向こうにはシーツと同じくらいに真っ白な天井が広がっている。おかげで、春名のレンゲツツジのような髪色がとても映える。名前のことをベッドに押し倒した彼は、じっと彼女のことを見つめながら、自身のポケットを漁った。すぐに触れてこない春名を不思議に思った彼女は、ぼーっと彼のことを見つめる。瞳は重なっているものの、春名の心は今、そこにはない。いつも器用にこなす彼が珍しく焦っているような姿を見て、名前は小さく笑う。春名は、少しぐちゃぐちゃになった小さな袋を名前によく見えるように開く。大きさの違う、指輪が二つ。名前が口を開こうとすれば、春名のくちびるがそこに寄せられる。ドーナツを食べる時とはまるで違う、濡れたくちびるから吐き出された息が彼女のくちびるを擽った。幾度となく、短いキスをする。ぺろり、と意地悪をするように春名が舌を覗かせた。その瞬間に、くちびるを再度食べられてしまった彼女は春名から降り注ぐキスの嵐に意識を持っていかれ、いつもの調子を取り戻した彼はその間に器用にも彼女と自分の小指に指輪を嵌め込む。大きさの異なるそれは、互いの指に吸い込まれるようにして収まっていた。いつの間にか指を掬い取られていた名前は自分の手に光る指輪をそっと見つめる。思考がいわゆるペアリングであることに辿りついたときには、彼女の瞳からガラス玉のように光るものが零れ落ちていた。まるで流れ星のようなそれを、受け止めるように春名の指が彼女の頬を優しく撫で、瞼の下にまで滑り込んだ。 「ずっと、思ってたんだ」 「どういう、こと?」 「もう、オレ、ふたりじゃないとダメみたいなんだ」 「春名くん……っ!どこ、さわっ、て」 「名前がいないと、ダメだから」 目尻に向かってなぞられた春名の人差し指は、ワンピースの形をしたパジャマに入り込んで下着に引っ掛けられる。素肌に触れるひんやりとした感触は、名前の背筋をゾクゾクとさせた。春名の指が触れるだけで、そこから甘い痺れが広がっていく。ストップをかけることすら、彼女には許されていなかった。手持ち無沙汰になっている彼の片方の手は、トレードマークともいえるバンダナを外して、ベッドの下へと落としていく。相変わらずパジャマに潜り込んでいる手は、彼の好き勝手に動いていた。際どいところに触れていくのは春名の計算通りで、名前は身体を捩じらせる。抵抗というものは時に、煽る材料となることを幾度となく教えてきたはずだったが、未だに彼女は学習していないらしい。春名は捩れた身体の隙を狙って、下着のホックを外す。風呂に入ったのにも関わらず、下着を着けていることを知った春名は、そのことを彼女の耳元で呟く。満更でもないんだよな、そう、一言だけ。一瞬にして火照ったのは彼女の頬だけではなく、全身もだった。ゆっくりと指に引っ掛けた下着を取り去って、それと一緒に一旦パジャマから手を抜いた春名は、服を整えてやると、髪の毛に触れ、肌に触れ、肩に触れ、頬へと順々に手を動かした。見つめ合う瞳は、両方とも熱く、すぐにでも溶けてしまいそうだ。そうして、春名は名前の名前を紡ぐ。擦れたその声は、彼女しか知らない。彼の言葉に反応して身体を揺らした彼女に、色気を纏った声で春名は懇願する。名前を呼んで、と。 Title:誰そ彼 Image song:Calling/flumpool |