*プロデューサー≠女の子



桜庭さんあのね、そう書かれた無機質なディスプレイの上に並ぶ文字は、単調に見えたが、文字一つひとつが酷く痛々しく、桜庭の目には映った。続く文字を順に追っていくと、治ったはずの病気が再発したということが書かれている。メールの主は、桜庭のよく知る幼馴染であり、病気の治療の経過について彼もよく知っていた。ちょうど自分がアイドルとしてデビューした頃に、病気が完治したと直接会って聞いていたくらいである。自分が道を迷走している時には、桜庭自身がどうしたいのかと路頭に迷った彼を見つけてくれたこともある。いつも笑っていて、何か間違えたって取り戻せるよ、と頻繁に彼女は口にしていた。そんな彼女だからこそ、こんなにも暗い雰囲気で書かれたメールは似合わなかった。嫌な予感がする。胸騒ぎがする、そう思った時には桜庭は通話ボタンに触れていた。プルル、プルル、コール音が桜庭の静かな部屋に響き渡る。早く出てくれ、縋るような思いで繰り返される音に耳を傾ける。メールは文字の羅列だからこそ、本当の気持ちが伝わりにくい。しかし、彼は彼女のメールから明るく前を向いて生きる姿が想像できなかった。
繋がらない電話を切った桜庭は、近くにあった薄い羽織りものを手に取ると、玄関の鍵と財布、携帯だけを持って家を飛び出した。彼女の家は幸いにも近くで、場所もよく知っている。アイドルとして活動し始めた頃は、自分に余裕が持てず、夕食を彼女の家でご馳走になったこともあった。一人暮らしの彼女の家は、いつでも物が少なく、本当に最低限の物しか置かれていなかったものの、桜庭たちが世間に知れ渡るようになってきた頃には彼女は彼のファンだと言い張り、桜庭薫コーナーなるものを作り上げていた。雑誌に、CDに、DVDに、写真に、サインに。最初こそ、気恥ずかしかったために照れ隠しのような言葉を吐いていた桜庭だったが、本当は心の底から嬉しいと言わんばかりの顔をしていたため、彼女には大いに笑われた。



「おい、苗字!いるんだろう?」



近所迷惑にもなりかねない行為は冷静沈着な桜庭にしては、大変珍しいことであった。しかし、同時にそれは平静を保っていられないということである。何度もチャイムを鳴らし、ドアをドンドンと叩き、彼女の名前を叫ぶ。幾度も繰り返すそれに埒があかないと思った桜庭は、ドアノブに手を掛け、思いっきり回した。気持ちの良いくらい、ガチャ、と響き渡る音は彼を少しだけ安心させる。ひんやり冷たいドアノブはすぐに桜庭の熱を吸収し、生暖かいものへと変わっていた。
靴を脱ぎ散らかした桜庭は彼女のいるであろう部屋に向かって、一心に突き進んだ。名前を呼んでも返事はないが、鍵がかかっていなかったところを思うと家にはいるのだろう。彼は歩みを止めることなく、いくつかの部屋を覗き、最後に寝室へと足を運んだ。部屋に入る瞬間に啜り泣くような声が彼の耳へと届く。暗い部屋の電気を点けると、ベッドに突っ伏した彼女の姿があって、そこでようやく息を吐いた。



「苗字……」
「また、あの毎日が来る」
「医者になんと言われたんだ」
「治療を頑張れば、またすぐによくなるよって。言葉だけなら本当に綺麗事みたい。でも、実際は物凄く辛いんだよ……!嫌だ、もう、絶対に嫌だって思ってたのに」
「頑張れ、か」



随分泣いていたことは擦れた声と、ぐちゃぐちゃになった顔からよく分かった。苗字は桜庭の方を見ると、桜庭さんは昔と比べて世界が変わったようねと呟く。わたしはこの世界を呪うほど、憎んでいるのに。どうして、わたしだけがこんな目に合わなくちゃならないの。次々と飛んでくる苗字の言葉は桜庭を突き刺すようだった。医者時代にもよく聞いた言葉だ。口を閉じることを忘れてしまったような彼女の腕を桜庭がぐっと自分の方へと引っ張る。突然のことに驚いたようで苗字は、黙ってしまう。彼はとにかく彼女を落ち着かせようと必死であった。



「僕は、頑張れとは言わない」
「……桜庭さん、もうわたし、頑張れない」
「背中を押すから一緒に歩こう、と言いたい」



桜庭は自分の携帯の画面を彼女に見せる。そこには彼の所属する事務所が執り行うライブのことがつらつらと書かれていた。僕は、苗字に背中を押されてここまで来た。だから、今度は僕の番だ。日時、内容、彼女は息を呑んでその項目に目を通していく。ちょうどこの日の時間は、自分が自由に使えるところだった。環境さえ整えることができれば、彼の姿を液晶越しではあるが、観ることが可能だということだ。何度か瞬きをした彼女の耳に、そっと音が届き始める。それは、桜庭の心臓の音に、呼吸音に、彼の歌声だった。きっと今度のライブで披露するであろう曲だが、苗字はもちろん既に知っている。彼女が作った桜庭薫のコーナーに収められているCDの中の一曲だった。アカペラで紡がれていく音は非常に心地良く、小さな一室がまるでちょっとしたライブ会場であるかのようだ。桜庭の声が耳を擽る。耳元でそっと歌われる曲は、彼女だけにしか聴こえない。囁かれるような声は絶妙に擦れ、桜庭の色気をぐっと引き出している。サビ前で歌う事をやめた彼は、苗字の身体から離れると、眼鏡をゆっくりと持ち上げる。



「……ステージ、観て欲しい」



この続きは本番までお預けとばかりに、意地悪い表情を浮かべた桜庭を見て、苗字は今までの空気がなんだったかというくらいに笑い出す。背中を押した桜庭に、こんな風に言われるなんて。互いに真っ暗な世界にそれぞれ明かりを灯したようだった。苗字は桜庭の体温が残る自分の身体をぎゅっと抱きしめるように、自身の腕を交差させる。そうして、彼の方を見て、ゆっくりと頷く。あたたかいね、薫。そう呟いた彼女には昔ながらの笑顔が戻ってきていた。



Title:さよならの惑星
Image song:ワールド・ランプシェード/GUMI(buzzG)


答えはきみと同じでいい

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