「皆木くん!待たせてごめんね」 「苗字さん!大丈夫。今、ついたところだから」 休日に買い物をする客が溢れるデパートの中で、キョロキョロと辺りを見回していれば俺のことを呼ぶ声が聞こえた。こんなにもたくさん人がいるというのに、自分の名前を呼んでくれるのはたった一人で、それも意中の女の子というものだから特別感が大きい。思わず緩みそうになる頬に力を入れていると、彼女が突然腕に触れた。前触れもなく、本当に驚いたが、一瞬だけ触れた彼女の小さな手は苗字さんが俺を誘導するためだったらしい。一秒にも満たない時間でも、その感触は残る。彼女が触れてくれた場所をゆっくりと自分の指でなぞりながら、先導していく姿を追いかける。大学ではあまり思わなかったが、人ごみに紛れるとやはり女の人は、男に比べると随分小さく見えるものだ。 苗字さんが立ち止まったところで、俺も同じく足を止める。どこに向かっているかなど、全く考えもしなかった俺はひたすらに彼女の後をついていくだけだった。彼女が足を止めた場所を見渡せば、いつの間にやら女物が広がるフロアから男物の広がるところへと移動していたらしく、周りは家族連れや男友達同士、そしてカップルの姿が見受けられる。彼女と歩いていれば、傍から見ると男と女の関係に見えるのだろうか。まさかとは思うが、兄妹のようには見えないだろう。そう考えると、一段と緊張が走る。 「皆木くんも買い物だったよね?」 「服、を買おうと思って」 「偶然!わたしもお洋服を買いに、ね」 彼女の肩にはショップバッグが掛けられていた。今の今まで気づかなかったのは、あまりにも別のことに気を取られすぎたことと、苗字さんのことを真っ直ぐ見ることができなかったからに違いない。玄関を出る前に話をした至さんや伏見さんだったら、きっと会ってすぐに荷物を持つよとか言えたかもしれないけれど、そんな余裕は俺にはなかった。普段通りを心掛けることで精一杯なのだ。彼女との距離が縮まるごとに胸をドキドキさせて、チラチラと盗み見をしてはやっぱり好きだなと再確認していることを悟られてはならない。苗字さんが返事をしない俺を不思議そうに見ていることに気づいて、すぐさま取り繕うように言葉を発した。 「苗字さんって、どんな服が好き?」 「今、着ている感じのかな」 「あ、そうじゃなくて……男の」 場を取り繕うことができても、本心を隠すような発言ができるほど俺は器用ではないらしい。思わず出てしまった心の言葉はもう取り消すことなんてできない。深い意味はないと彼女は捉えただろうか、それとも皆木綴が好いていることを察してしまっただろうか。緊張と焦りで、気持ちの悪い汗が滲み出てくる。当の彼女は、うーんと考え込んで、俺の方を見たり、近くにいた店員さんを見ていた。どうやら深く考えてはいないようで、内心ホッとした。 「わたしは」 「……うん」 「その人が着たいな、って思ったものでいいと思うよ。極端に似合わないとかは置いておいてね」 「そっか」 雑誌を読み耽って、近くにいたお洒落な人にアドバイスを求めた俺はなんだったのだろう。仮にその人たちを参考にして服を買ったところで、タンスの中で眠ってしまうのがオチだ。背伸びして自分の着たい服とは違う系統の物を買ったとしても、結局は着る勇気を出せずに普段通りの服に落ち着くだろう。考えてみれば簡単なことだった。苗字さんの言う通りだ。着こなしたモデルさんに憧れても、実際自分が着るとなれば、大きく違う。 皆木くんはそういう格好が好きなんでしょう、そう言った彼女の手には既にハンガーが幾つか握られている。苗字さんはいつもお洒落だ。前にも思ったが、至さんの隣に立つのが似合うくらいに。それは二人並んだ時に映えるだけであって、実際のところ気が合ったりするかどうかは分からない。至さんのような彼を連れていそうという、飽くまで自分の勝手なイメージだ。 「これ……!色が」 「皆木くんは春っぽい色がすごく似合うよ。爽やかな感じ。明るめで清潔感を与えるような服を着ているもんね」 「苗字さんにはそう見えてるってことか……」 「皆木くんが着たい服なんだろうなあって思ってるよ」 俺に何着かの洋服を当てながら、苗字さんがそう言う。大学で過ごす大半の時間、彼女と一緒ではない。行き帰りで偶然出会って話をしたり、一週間に何度か講義が被ったりするくらいだ。たった少しの時間であるのに、彼女はよく見てくれているらしい。まあ、俺に限ったことではないのだろうけれど、それでも嬉しかった。周りの人間をよく観察していて、気が付くような女の子だと思う。俺の方が背が高いために、腕を伸ばして懸命になっている姿を鏡越しに見つめていると、服を合わせてくれる彼女と目が合う。きっと彼女は服を選ぶために見つめていると勘違いするだろうけれど、今見ていたのは間違いなく苗字さんのことだ。気づかれない方がこちらにとって、今はまだ都合がいいかもしれない。 わたしのおすすめはこれかな、と言って差し出された服を俺が選ぶのも当たり前のことだった。理由は簡単だ。彼女が俺のために悩んで、俺のことを考えて選んでくれた物なのだから。それに流行りの服装や、雑誌に載っていた女の子の好む男子の格好とやらの理想を押し付けてくるわけでもなく、俺がいつも着ている系統に合わせてくれたものだ。買っただけで終わるはずもない。でも、大切にしすぎて着られないということに陥る可能性はあるか。 受け取った服を持ってレジへと向かう俺の後ろをついてくる苗字さんは、あまりにも彼女らしくて、デートかと勘違いしそうだ。これは大学の友達で、たまたま時間と目的も合って、一緒にいるだけ。いや、俺の目的は彼女とは違うか。不純な動機と言われるかもしれない。自分が少しでも彼女を惹けるようにと、まずは形から入ろうとした結果だ。財布を取り出したところで、レジの店員さんと目が合う。 「可愛らしい彼女さんですね!」 「あっ、い、いや、違うっすよ」 「すみません、失礼しました!」 「ははは……」 丁寧に包まれたビニールの中で、彼女が選んでくれた服は輝いているように目に映った。店員さんの指摘もあり、俺たちは並んでいるだけなのにやっぱり付き合っているように見えるのだ。苗字さんの耳にその会話が届いていたかどうかは分からないけれど、何も知らない周りの人から見て一瞬でもそう思ってもらえるのなら、自分にも少しは彼女の隣を許される何かがあるのだなと嬉しくなる。 店頭まで紙袋を持ってきた店員さんが、それを俺に手渡してくれた時にこっそりと呟いた言葉は忘れられない。外見と雰囲気で俺よりも幾つか年上のお兄さんだと思ったが、その言葉を聞いて絶対にそうだと思った。思わず彼に頭を下げて歩き出す俺の横では、苗字さんがクスクスと笑っている。さっきの会話も、今の言葉も実は聞こえていたのではないか、なんて思ったりもしたが、さすがにあの会話や言葉に笑っているだけというのは考えにくい。 あの子のこと、好きなんですね。頑張ってください。シンプルな言葉だったけれども、的確な言葉であって、身体の熱が顔に集まってくる感じだ。苗字さんが俺の彼女と勘違いされたり、皆木綴が好いている人物であるという言葉の交わし合いを聞かれてはいない。再度、そう自分に言い聞かせたのは、至って普通にしている彼女の様子からして絶対ないと判断したからだ。 「皆木くん」 「ん?」 「ちょっと、休憩しない?美味しいアイスがあるの」 「じゃ、じゃあ、俺、苗字さんに奢るよ。今日付き合ってもらったお礼に」 「え!それはわたしの方こそだよ。楽しかった!」 「ううん。俺が買うから。何がいい?」 「……ふふ、皆木くんちょっと強引なところもあるんだね。じゃあ、お言葉に甘えて」 多少強引な形になったとしても、どうにかカッコつけておきたかったのは男としてのプライドだった。紳士的なエスコートも気遣いも今日はできなかったけれど、最後の最後だけは死守した。自分の好みだとアイスを口にする苗字さんは、とても喜んでくれていたようで、俺も嬉しい。彼女がこうやって、いつも隣にいてくれて、嬉しいことを一緒に喜べるような存在になれば、いいのに。 |