天気予報は大ハズレで、今日は朝から快晴だった。昨夜の談話室では、次の日が雨であることを憂いている高校生組がいたが、そんな彼らは俺より早く元気に出て行った。傘が必要ないと思えるくらいには、雲がない。俺も準備して早く出よう。講義前に運がよければ、苗字さんに会えるかもしれないし。
大学の正門のところでスマホを弄りながら、時折キョロキョロと辺りを見渡している苗字さんを見つけた時には本当にラッキーだと思ったが、その次の瞬間に彼女が誰かに向かって大袈裟に手を振るものだから俺は声を掛けられなかった。そして、手を振った相手というのも悪い。珍しく高校生組よりも早く寮を出た伏見さんだった。なんとなく気まずくて、二人の視界に入らないような場所に移動したつもりだったけれど、隠れるよりも早く、伏見さんが俺に気がついて手招きをする。きっと伏見さんは俺のことを知っているから気を利かせてくれたのだろう。



「あれ?皆木くんは臣先輩と……そっか!劇団でね。おはよう、皆木くん」
「そうそう、名前のことを知ってるって話をしたんだ」
「そ、そうなんだ。おはよう、苗字さん」
「綴と講義が一緒なんだろ?ほらほら、もう行った方がいいぞ」
「苗字さん、伏見さんに用事あったんじゃ……?」
「え!よく分かったね。でも、もう臣先輩の話は終わったから大丈夫だよ」
「じゃあ、また。綴、名前」



伏見さんは別の学科のため、方向が違う。俺が自然に彼女と二人になることができたのは伏見さんのおかげに間違いなかったけれど、どうも彼女と伏見さんのやり取りを見た時から自分が入ることのできないような雰囲気を感じ取っていた。互いに名前で呼び合っているところが、もう俺たちの関係よりも上を行っている気がしてならないのだ。俺だって、苗字さんのことを名前で呼べたらいいなあって思っているのに。



「皆木くん、行こう?」



講義室の方へと歩いていく彼女の手を思わず掴む。このままでは、講義の内容なんて頭に入るはずがない。伏見さんに例え好意がなかったとしても、彼女が惹かれていく可能性は大いにあるのだ。突然のことに驚いたらしい苗字さんが俺の方に振り向くと、彼女のスカートがふわりと揺れる。伏見さんのことをどう思っているのか、伏見さんとはどんな関係なのか。それが分かれば、きっとこの胸の靄も消えてくれるだろう。俺は完全に嫉妬という感情を抱いていることを自分で理解していた。台本を書く時に、登場人物の台詞に感情を乗せていくけれど、嫉妬に関しては今なら一番良いものが書けそうな気がする。掴んだ手は今まで触れたことのない柔らかさとあたたかさを持っていて、正直もう離したくないと思った。でも、同時に緊張と焦燥にも襲われていた。強張っている自分に気づかれて、もしかしたら心の中まで見透かされてしまうのではないかと。



「さっき、伏見さんと」
「あー、あのね、皆木くんにも伝えなきゃいけないことあるの。臣先輩のことで」
「俺に?」
「臣先輩がカップルの写真を撮りたいんだって。それでわたしにお願いしてきたの」
「……カップル」
「うん。それで、男の人のモデルさんは皆木くんに頼みたいって。わたしと臣先輩の二人との繋がりがあるから、って言ってたよ」



伏見さんに嫉妬したのも束の間、やっぱりあの人は面倒見の鬼というべき人だ。これもきっと伏見さんが俺の背中を押すために仕掛けてくれたのだろう。俺はそんな話ひとつも聞いていないし、苗字さんを使って頼んでくるところがずるい。断ったり逃げたりすることが絶対にできないようにしている。歳が少しばかりしか変わらないはずなのに、随分と大人びた伏見さんには敵わないと思った。



「……皆木くん」
「えっ?」
「あの、練習するために、このまま行く?」



目と目がばっちりと合う。このままの状態というのは俺が手を握ったまま、彼女を連れて行くということだ。流石にキャンパス内でそれができる程の勇気は持ち合わせていなかったために、パッと手を離す。少し残念そうにした彼女の表情に、勘違いしてしまいそうになる。もしかして、苗字さん、離して欲しくないとか、思っていたのだろうか。
並んで歩き出すと、スマホにLIMEが届く。差出人は絶対伏見さんだろうと、画面を起動させてみれば予想的中だった。名前と写真を撮るように仕向けたから、あとは綴の頑張るところだ、と書かれている。俺も早く、伏見さんみたいに彼女のことを名前で呼びたいんだよな、と再度心の中で復唱する。それに彼女からも名前で呼ばれたい。伏見さんが用意してくれた機会はそれが叶うチャンスなのかもしれない。このチャンス、絶対にモノにしたい。カメラの前でカップルを演じるわけだから、自然と距離が近くなるし、伏見さんがポーズを要求してくるのだ。きっと、また伏見さんが後押ししてくれるはず。刺激が強すぎない程度でお願いしたい。



「今は、ちょっと、恥ずかしいよね」
「そ、そうだよな」
「でも臣先輩、写真の時は結構容赦ないよ。わたしたちできるかな……」
「大丈夫!お、俺がついてる」
「ふふっ、皆木くんは頼もしいね」
「写真っていつ撮る予定なんだ?」
「それがねー、臣先輩ったら突然でね。今日のお昼だって。先輩いつも計画立てて連絡くれるのに……珍しいね」
「……も、もうあんま時間ない」
「あれれ、さっきの勢いは?」
「大丈夫っす!」
「ふふ。臣先輩に他の人との写真撮ってもらうの初めてだから、楽しみだけど緊張するね」



伏見さんに撮ってもらうから楽しみだけど、緊張するのか。彼女の言葉を率直に受け取るなら、そういう意味だろう。でも、俺は心のどこかで淡い期待を抱いてしまうのだ。皆木綴という男が彼氏役だから、という意味も入っていますように、と。


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