「タケルくーん!」 ランニングの途中でベンチに座って休憩していると、上機嫌で高らかな声が聞こえてくる。名前さんだと瞬時に思った。声のした方向を見れば、彼女が大きく手を振ってやって来ていた。やっぱり、そうだった。小走りで向かってくる予想通りの彼女は、手に何か袋のような物を持っているみたいだ。目の前まで来た彼女は息をひとつ吐き出すと、その袋を差し出しながら隣に腰掛ける。少し見覚えのあるような袋に、眠っている記憶を掘り起こしてみることにした。事務所にサンプルが置いてあった気もする。だが、俺たちの仕事ではなかった。あの袋は、確か隼人さんたちが。 「ハイジョの宣伝してたお菓子!」 「……あ」 俺の記憶の中でも隼人さんまで辿りついていたけれど、その前に名前さんが答えを出してくれた。そうだ、隼人さんたちがあのお菓子のCMキャラクターに抜擢されたのだった。事務所にやって来た人が現役高校生を探していたらしく、イメージにぴったりだと喜んでいた様子を思い出す。彼らが持っていたお菓子の袋をその場で開き始めた名前さんは、それはもう小さな子どもが夢中になってはしゃいでいる姿にそっくりで、思わず反対を向いて笑みを漏らす。彼女と知り合って、そんなに長いわけではないが、時折こんな風に子どもっぽいところもあることが見え隠れする。 視線を名前さんに戻すと、綺麗に開かれた袋の口から親指と人差し指で摘ままれた小さなチョコレートの粒が姿を現す。隼人さんたちのグループとコラボしたそれは、パッケージに大きく楽器のシルエットが載っていたり、ところどころにユニットカラーが使われている。確か、今ならおまけでメンバーを可愛らしくしたキーホルダーがランダムに入っていたような。 「はい」 「え、名前さん」 差し出された小さなチョコレートを受け取ることが出来ないのは、さっきまで散々走り回ってトレーニングをしていたせいで手が汚れているからだ。食べ物を目の前にすると、いつも円城寺さんが言ってくれる、手洗いうがいが頭を過る。分かっていても、毎回言ってくれる円城寺さんは本当に俺やアイツのことを考えてくれているんだと思う。 「今、手が汚れていて」 「そっか。わたし、自分の分のお手拭きしかないや……」 残念とばかりにそのチョコレートを自分の口の中に放り込んだ名前さんだったが、再度親指と人差し指をひっくり返したお手拭きで拭いた。それに、このお菓子は袋が小さいのであまり量も入っていないはずだ。俺のことはいいから、名前さんが食べてくれたらいい。同じ事務所の仲間たちの活躍が目に見えるように嬉しいから。それに、俺たちも負けていられないなと思う。 「タケルくん」 「美味いか?」 「うん。だから、口、ちょっとだけ開けて?」 さっきまで胸元辺りに差し出されていたはずのまんまるな粒は、俺の口の前に来ていた。切り揃えられた爪先が目に入る。ほんのり青色をしている。それがどこか自分の髪色に近いような気がした。彼女の勢いに何も言えないままにゆっくりと口を開けば、ほんの少しだけ、くちびるに触れる。鼻を掠めるチョコの香りに、離れて行った指先のことを忘れようとチョコレートを噛むと、中に入っていたクッキーが心地良い音を立てる。サクッと気分爽快、ふんわり広がる甘み、そんなフレーズを口にしている隼人さんたちを一瞬思い出した。 これしか方法がなかったとはいえ、随分と恥ずかしいことをしたような気分になったが、何事もなかったかのように名前さんは履いているスカートを整え始める。変に意識してしまっているのは自分だけか、そう思った。その時、忘れていたように吹き付ける風が強くて、彼女の髪の毛の間から耳がチラリと見える。見間違いでなければ、赤い気がした。もう、チョコレートは口の中に残っていないというのに、無くなってしまったことを惜しむようにチョコを求めて無意味に口を動かす。ほんの僅かしか残っていないチョコの味は、今までの中で一番甘かった。 |