せめてこの物語の中では幸せに


*女の子≠プロデューサー



喧騒から縁の遠い程に、閑静な佇まいを見せる街並みにひっそりとある本屋でわたしは先生と知り合った。一人ぼっちで、人々の会話から逃げるようにそこで本と出会うことがわたしの唯一の楽しみ。それに鮮やかな色が付けられたようだった。手に取ろうかと本の前で迷っていたわたしの隣に音も立てずに現れて、どういう内容なのかを簡潔に教えてくれた。突然、本を紹介してくれる男の人にびっくりして最初は内容が頭に入ってこなかったし、不審者かもしれないなんて失礼なことも考えた。本を読んだ後に気づいたのだけれど、先生は所謂ネタバレというものを上手く避けるように話を進めていたのである。本屋の店員さんよりもよっぽど詳しい九十九さんのことを先生と呼ぶようになったのは、そこが始まりだ。
チラリと覗く片目はひどく優しく、透き通った眼差しがわたしには眩しかった。暗がりで必死にもがいて生きてきたような人間とは違うと思っていたけれど、ある時、喫茶店でお茶をしたときにわたしの想像とは真反対のような人生を今まで送ってきていたことを知った。遠すぎる存在が、ほんの少し近づいたような気もする。



「……名前、今日も本を探しに?」
「先生!そうなんです。今日は、甘酸っぱい恋愛みたいな本を探していて」
「……意外だな。この前までとはジャンルがまるで違う」
「わたしだって恋愛の本くらい読みますっ!」



どうしてそのジャンルに手を伸ばそうとしているか、自分では本当の理由に気づいていた。でも、先生の前では絶対に素直に言うことができない。決して、彼に心を開いていないとかそういうわけではないけれど。単にその想いを伝えることが恥ずかしい、いや、怖いから。先生は自分の昔のことを語ってくれたけれど、一方のわたしは何も話せていない。人と関わるのが苦手で、世界を煩いと思っていて、現実から目を逸らすためにここへ足を運んでいる、だなんて。先生みたいに、本を心の底から愛しているという理由じゃない。それを話したら、せっかく出来た繋がりを自ら壊してしまいそうだった。引っ張ればすぐに切れてしまう細い糸のような繋がりしか築けていないのだから、特に。



「……おれのおすすめはこの本、か」



わたしに差し出される本の表紙は、二人の男女が距離を空けてベンチに腰掛けていた。この距離を本当の意味で詰めることがとても難しいことは、本を読まなくたってわたしは充分痛感していた。その一歩はきっと、自分自身を知ってもらうことから始まる。先生は、過去を背負って今アイドルとして活動している。切り捨ててしまうことは過去の自分を全て否定しまうことになるし、今の自分があるのはその過去も含めてだからと先生は話していた。先生からアイドル活動のことを聞いて、わたしはその日にすぐインターネットで検索した。三人で組まれたユニットで、トリコロールの旗が印象的だったし、そのうちの一人はどこかで見たことがあると思った。デビューシングルも発売されていたから、通販サイトで予約もした。過去の全てを知ることはできないけれど、今の先生の姿をたくさん知りたいと思ったから。



「先生のおすすめなら間違いないですよね」



本を受け取る際になるべく先生の手に触れないように気を付けたのは、まだわたしに踏み出す勇気がないから。自分でも呆れてしまうくらいに素直になって、この想いを告げることができるのはいつの日になることか。もしかしたら、その頃には先生は手の届かない場所へと行ってしまっているかもしれない。こうやって本屋で頻繁に会うこともできなくなるかもしれない。ああ、なんでわたしにとって先生の存在はこんなにも特別なのだろう。手渡した本とわたしを見ながら、満足そうに微笑む先生の表情はわたしの胸をぎゅっと締め付けた。



Title:ジャベリン
Image song:in fact/橘ありす
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