あの時、差し伸べられた君の手の優しかったことといったら
*女の子≠プロデューサー
久しぶりに派手に転げたわたしの手から、鞄はすり抜けて飛ぶ。パンプスが片方脱げて、なんとも無様な格好で草の上に転がる。幸いなことに地面がアスファルトではなかったことが救いだ。服の端っこに引っかかっていた枝を一本折ると、膝からじんわりと滲む赤いものに気づく。転んでぶつけたというよりは、切ったという表現が正しい。たぶん、この草の先端に擦れて切れたのだろう。
鞄の中にあったティッシュを手に取ると、周りに土を洗い落とすことのできる設備がないか、辺りを見回す。すると、誰かがこちらに向かって駆けてくるのが分かった。知り合いだろうか、と目を細めてみる。金髪の小柄な子だ。腕に黄緑色のぬいぐるみのようなものを抱えている。いやいや、わたしの知り合いにそんな子はいない。
「おねえさん、ダイジョブ?」
「……えっ!だ、大丈夫です」
眉を下げた男の子は、じっとわたしの方を見つめてくる。大きな瞳に閉じ込められたような気がして、どこか恥ずかしい。いたい、と尋ねてくる彼はわたしの膝と顔を交互に見ながら、ごそごそとポケットの中を漁っている。見ず知らずの人に心配されるなんて。それもこんなに小さい子に。たった少しの怪我をこんなにも心配してくれる彼の優しさに触れたわたしの目から、ぽたりと零れ落ちたのは涙だ。
「えっ!?」
「ご、ごめんね。気にしないで」
「ボク、みんな、笑顔にする!」
わたしの手を取った彼は、こっちと言ってどこかへと導いていく。突然現れた小さな子がそれはもう、王子様のように見えたのは内緒だ。繋がれた手を離すまいと込められた力に引っ張られて、わたしは痛む足を動かす。彼はちらちらとわたしの様子を伺いつつも、前方を指差しながら歩き続ける。
しばらくすると、どこからか子どもたちの楽しげな声と共に水音が聞こえてくる。水道の蛇口が見えたことにより、わたしの表情は自然と明るくなっていたようで、男の子はおねえさん、元気出てきた、と嬉しそうに笑っている。水道の蛇口からはぽたり、ぽたりと水滴が滴る。不規則に落ちるそれを掻き消すように、蛇口を思いっきり回すと勢いよく水が流れ出してきた。おねえさん、ヒザ、と急かす男の子はカエルのぬいぐるみを持っていない方の手で、絆創膏をヒラヒラとさせている。
「……っ!滲みる」
「いたい?でも、ヨゴレ、落とさないと!」
「うん」
「あ!」
「び、びっくりした」
「ボク、ピエール。おねえさんは?」
指先と水で、膝に付着している草や土を落としているといきなり彼、ピエールくんが名前を教えてくれた。ピエールくんは外国出身なのかな。わたしも名前を教えると、名前、ボク、笑顔にすると何か張り切っているようで、腰に両手を当てたと思えば、歌とダンスを披露し始める。ピエールくんは先程からずっと突然だ。周りで遊んでいた子どもたちも、その親も、一切の動きを止めて彼の歌声に耳を傾け、目は釘付けにされている。蛇口をゆっくりと捻ったわたしは、ピエールくんに貰った花柄の絆創膏を切り傷の上に貼り付ける。てっきり、カエルの絆創膏かと思っていたから少し意外だった。
不思議なことに、ただの草むらがまるでアイドルのステージにでもなったかのように輝いて見える。ピエールくんがステップを踏むごとに煌めきを増していく。木々の間から降ってくる太陽の光は、スポットライトのようだった。くるり、と回って差し出される手は異国の王子様。彼のことが王子様に見えた瞬間はあながち間違いではないのかもしれない。ペコリ、とお辞儀をすれば、周りから割れんばかりの拍手が送られる。わたしも精一杯のありがとうを拍手に乗せて、ピエールくんに伝えた。
「名前、笑顔、なった!」
「ピエールくんのおかげだよ」
「……あ、大変!恭二、みのり、置いてきた!行かなきゃ」
「本当にありがとう」
「ボク、みんなに魔法、かける。きらきらの魔法!」
大きく手を振ったピエールくんは、わたしに背を向けて走り去って行く。彼の駆けて行く先には、ピエールと叫ぶ二人の男の人の姿があった。一人はわたしと同じ年で、もう一人はわたしより年上のはず。無事に合流できたピエールくんは再度わたしの方を見ると、大きな声で名前を呼んでくれた。抑えきれない気持ちが溢れ出す。わたし、最初から気づいていたの。大好きなBeitというアイドルグループの一人であるピエールくんだと。いつかどこかで巡り逢えないかな、って心のどこかで期待をしていた。夢のまた、夢という感じだけれど。でも、今日その夢はあっさりと叶えられる。人の優しさに触れたことに加えて、わたしの涙を誘ったのは、大好きなアイドルと会えたからだった。
Title:ジャベリン
Image song:スマイルエンゲージ/Beit