エンディング・イズ・ハッピー


*女の子≠プロデューサー



スマホの画面に指を滑らせた名前は、目の前にある楽器の電源を切った。薄く光っていた白と黒の鍵盤がすっと輝きを失う。彼女はとあるガールズバンドのキーボード担当であり、ライブを控えている。初めての舞台に、緊張が毎日彼女を襲った。彼女の前に広がった想像の客席には、たくさんの目があってステージの人物を品定めするように見る。もしこのライブが成功しなければ、彼女たちのバンドは事務所からいらないものだと判断されてしまうかもしれない。得体の知れない恐ろしさで、彼女はここのところ、指が踊らなくなっていたのだ。
連絡先から冬美旬の名前を探し出すと、スピーカーのモードに切り替えて通話ボタンを押す。High×Jokerのキーボードとして活躍する彼は、同じ学校で名前と同級生であった。彼女たちが毎日バンド活動を楽しくやっている間に、アイドルとしての道を駆け上がっていた彼らは今ではすっかり人気者である。学校でも毎日騒がれるような存在になっていた。そんなメンバーの一人である旬と名前は、キーボードという楽器の繋がりで話すことが度々あったのだ。



「……もしもし、冬美です」
「旬くん」
「名前、何かありました?」
「あの、ライブのことなんだけど」
「ああ……この前言ってた」
「キーボード、弾けなくなっちゃった」



スランプではないのだが、名前の中の気持ちが本番に向けて追いついていかないのだ。旬は、キーボードを弾けなくなったといった彼女の状態がすぐに理解できた。なぜなら、彼女が零す言葉ひとつひとつに、ライブが怖いという気持ちが見え隠れしているからである。ステージは楽しむもの、今でこそ胸を張って言える旬だからこそ、なんと言葉をかけてよいか電話口で躊躇っていた。
旬も、実は初めてのステージの時に似たような気持ちを少しばかり抱いたことがあったが、周りの仲間たちに助けられたものである。そして、自分たちを支えてくれるプロデューサー、事務所のアイドルたち。弱音を吐くのは悪いことじゃない。新しいことに挑戦するときはいつでも不安が付き物なのだ。きっと、彼女はそれを分かっていないのだろうと旬は思った。



「名前、誰でも怖いと僕は思います」
「……うん」
「頑張りはメンバーのみんなが知ってるから」
「うん」
「それに、僕も」
「わたしは旬の頑張りも知ってる」
「ほら。お互い様」
「そっか」



電話越しの彼らの会話は、柔らかい言葉の受け渡しだ。同じ楽器を演奏しているからこそ、分かり合えることもあるが、何よりも互いに練習を積み重ねていることを知っているのだ。メンバーたちの知らないところで、一緒に練習をしたことだってある。名前は、旬の声を聞きながら、光を失ったままの鍵盤の上に指を置く。怖い気持ちは拭えないかもしれないけれど、それ以上の気持ちを得られることは旬たちのステージを見て感じていた。彼の声を聞きながら、徐々に浮かんでくるのはHigh×Jokerの初めてのステージだ。



「自分たちが楽しむことが一番だよ」
「……旬くんはずっとそう言ってたもんね。うん。頑張ってみる」
「夢を夢だけにしないように」
「うん!」



ありがとう、名前はそう言うと旬との電話を切る。不思議と、指が動きそうな気がしていた。電源をもう一度入れて、楽譜に目を通す。ある小節を演奏しているときに、次の小節が墨で塗りたくられたように彼女の瞳には映っていたけれど、今はもう違った。まるで、虹が掛かったように見えていたのだ。もう、すぐそこまで眩しい夢は近づいている。



Title:さよならの惑星
Image song:キミがいて夢になる/天海春香
ALICE+